周魴

正史演義 呉 字 子魚 Zhou FangZiyu주방자어周鲂

プロフィール
職業正演文官 · 鄱陽太守所属呉
登場正演収録呉書
出生出身地呉郡 陽羨県
実在実在言及正16回

人物紹介

周魴は字を子魚といい、呉郡陽羨県の人である。孝廉に推挙されて県長を務め、銭唐の大帥彭式を斬って丹楊西部都尉となり、黄武年間に鄱陽の大帥彭綺が乱を起こすと鄱陽太守となって彼を捕らえた。 正史 呉書 巻15 §49

黄武7年(228)、偽って離反したふりをして七か条の書簡を送り、魏の大司馬曹休を誘い出し、髪を切って疑いを解いた。曹休が皖に入ってくると陸遜に従ってこれを遮って破り、裨将軍を加えられて関内侯となった。郡に在ること13年で死去した。 正史 呉書 巻2 §60正史 呉書 巻15 §50 · 72–73 · 75

正史を著した陳寿は評で「周魴は譎略に奇が多かった」と述べた。演義には第96回にのみ登場し、全120回のうち1回に登場する。この回の回目「周魴 髪を断ちて曹休を賺す」に名が見える。演義は、彼が曹休の幕舎で剣で髪を切って信用を得、石亭へ導くさまを描く。 正史 呉書 巻15 §86演義 第96回 §31 · 34–35

正史の記録

周魴は字を子魚といい、呉郡陽羨県の人である。若いころから学問を好み、孝廉に推挙されて寧国県長となり、懐安に移った。銭唐の大帥彭式らが蟻のように集まって賊となると、銭唐侯相となり、ひと月ほどのうちに彭式の首とその一党を斬って、丹楊西部都尉に移った。 正史 呉書 巻15 §49

黄武年間、鄱陽の大帥彭綺が乱を起こして属する城を陥れると、周魴は鄱陽太守となった。胡綜と力を合わせて攻撃・討伐し、ついに彭綺を生け捕りにして武昌へ送り、昭義校尉を加えられた。 正史 呉書 巻15 §49

周魴は、山中の古い一族や名のある頭目のうち北の敵に名を知られた者をひそかに探し、その者に魏の大司馬・揚州牧曹休を欺いて誘い出させよという命を受けた。周魴は、民の頭目のような小物は頼みとするに足りず、事が漏れれば曹休を誘い出せなくなるおそれがあるとして、近しい者を遣わして七か条の書簡で曹休を誘わせてほしいと願った。別に奉った密表でも、そのような者はにわかには得られず、得ても信用できないおそれがあるから、自分が曹休を欺くほうが計として勝ると述べて書簡の草稿を献じ、返答を受けて実行した。 正史 呉書 巻15 §50 · 69–71

書簡で周魴は、近しい者の董岑・邵南を離反したように装って送ると言い、近ごろ思いがけない譴責を受けて禍が目前に迫っていると述べた。前任の太守王靖が譴責を受けて北へ帰順しようとしたが、事が露見して誅罰が赤子にまで及んだことを挙げ、自分に郡を任せたのも必ず殺すつもりだからだと述べた。また、孫権が諸将を分けて北へ進もうとしており、長江のほとりには三千ほどの兵が残って武昌を守るだけだとし、曹休が一万の兵で皖県から南へ長江の岸に向かって来れば、役人と民を率いて内応すると述べた。 正史 呉書 巻15 §52–53 · 55 · 57–58

別の書簡では、鄱陽の民はいまは降伏しているが乱を起こす心がなお残っていると述べ、孫権が以前に石陽を落とせなかったことを恨んで新兵を大いに集めていると知らせた。最後の書簡では、頭目たちに仮に授ける将軍・侯の印各50個、郎将の印100個、校尉・都尉の印各200個と旗数十本を求め、書簡を隠して秘密にしてほしいと述べた。 正史 呉書 巻15 §62 · 65 · 67–68

周魴が初めて秘密の計を立てたとき、詔を奉じた郎官がたびたび来て諸事を問いただした。周魴はそこで郡の役所の門前に出向いて髪を切って謝罪し、そのため曹休はこれを聞いてもはや疑わなかった。曹休ははたして周魴を信じ、歩兵・騎兵10万を率い、輜重が道を埋めるほどの勢いでまっすぐ皖県に入ってきた。周魴も手勢を集めて陸遜に従って曹休を遮り、曹休は布が裂け瓦が砕けるように崩れ、斬ったり捕らえたりした者は万を数えた。 正史 呉書 巻15 §72–73

呉主伝は、黄武7年(228)夏5月に鄱陽太守周魴が偽って離反し曹休を誘い出し、秋8月に孫権が皖口に至って陸遜に諸将を指揮させ、石亭で曹休を大いに破ったと記している。軍が戻ると孫権は諸将を大いに集めて宴を開き、酒がたけなわになると周魴に「君は髪を切って義を担い、わが大事を成し遂げた。君の功名は竹帛に書き記すべきである」と言った。周魴には裨将軍が加えられ、関内侯の爵位が与えられた。 正史 呉書 巻2 §60正史 呉書 巻15 §73

賊の頭目董嗣が険しい地に拠って略奪を働き、豫章と臨川がともに被害を受けた。吾粲と唐咨が三千の兵で攻めたが何か月たっても落とせなかったため、周魴は上表して兵を引き揚げ、状況に応じて事を処理させてほしいと願い、許された。周魴は間者を送って方策を授け、董嗣を誘ってすきをうかがって殺させ、恐れた董嗣の弟が武昌へ行って陸遜に降伏したので、これ以後、諸郡に再び憂いと恐れはなくなった。 正史 呉書 巻15 §73–74

周魴は郡に在ること13年で死去したが、善を賞し悪を罰して、威と恩をともに行った。息子の周処も文武の才幹があり、天紀年間に東観令・無難督となった。陳寿は評で、この巻の臣たちはみな内の乱をよく鎮め、国内を安らかに静めた者たちであるとし、「周魴は譎略に奇が多かった」と述べた。 正史 呉書 巻15 §75 · 86

演義の描写

演義第96回で、魏の揚州大都督曹休は、東呉の鄱陽太守周魴が郡を挙げて降伏したいと望み、ひそかに七つの事を申し述べてきたと上表する。司馬懿は理にかなっていると言うが、建威将軍賈逵は、周魴は智謀の士だから決して降伏しないだろう、これは兵を誘い出す偽計にすぎないと言う。魏主曹叡は司馬懿と賈逵に曹休を助けさせ、魏軍は三路から進む。 演義 第96回 §23–24

呉では孫権が武昌で役人たちを集め、周魴が偽って七つの事を申し述べ、魏軍を要地の奥深くへ誘い込んだので、伏兵を置いて捕らえることができると言う。孫権は顧雍の推薦に従って陸遜を呼び、輔国大将軍・平北都元帥とし、陸遜は朱桓と全琮を左右の都督として三路に兵を出す。 演義 第96回 §25–27

曹休が皖城に着くと、周魴は彼の幕舎を訪れる。曹休が、君は謀が多いので言ったことが真実でないのではと心配する者もいると言うと、周魴は大声で泣き、従者の剣を抜いて自ら首を刺そうとする。曹休が冗談にすぎないと言って抱き止めると、周魴は剣で髪を切って地に投げつけ、「父母から授かった髪を切って、この心を明かそう」と言う。曹休は彼を深く信じて宴を設ける。 演義 第96回 §29–31

宴ののち、賈逵が、周魴が髪を切って誓ったのは要離が自分の腕を斬ったのと同じ偽りだと言うと、曹休は大いに怒って彼を斬ろうとするが、諸将に止められて兵権だけを取り上げる。周魴はこれを聞き、曹休が賈逵の言を用いていたら東呉は負けていただろうと内心喜び、ひそかに人を送って陸遜に知らせる。この先はどこかという曹休の問いに周魴は、石亭であり兵を駐屯させるのによいと答え、曹休が石亭に駐屯した翌日、呉軍が山の入口を押さえると、数十人を連れて姿を消す。 演義 第96回 §32–35

曹休は石亭で朱桓・全琮・徐盛に大敗し、夾石の道で賈逵に救われて逃れる。陸遜は太守周魴や諸将とともに兵を引き揚げて帰り、孫権は周魴に髪がないのを見て「卿は髪を断ってこの大事を成した。その功名は竹帛に書き記すべきである」と言い、彼を関内侯に封じる。 演義 第96回 §38–43

演義と異なる点

計略を立てた者:演義第96回では、周魴が偽って七つの事を申し述べて魏軍を誘い込んだと孫権が役人たちに知らせる。正史では、孫権が山中の名のある頭目を探してその者に曹休を誘わせよと命じたが、周魴はそのような者は頼みとするに足りないとして、自分が直接書簡で曹休を欺きたいと願った。 演義 第96回 §25正史 呉書 巻15 §50 · 69–70正史 呉書 巻13 §30

七つの事:演義第96回は「七つの事」と言うだけである。正史の周魴伝は七通の書簡をすべて載せており、譴責を受けて禍が目前に迫っているという訴え、孫権の軍の配置、将軍・侯の印と旗を求めることなどが含まれている。 演義 第96回 §23 · 25正史 呉書 巻15 §53 · 57 · 67

髪を切った場所:演義第96回では、疑う曹休の前で剣で髪を切って地に投げつける。正史では、詔を奉じた郎官がたびたび来て諸事を問いただしたので、郡の役所の門前に出向いて髪を切って謝罪し、曹休はこれを伝え聞いて疑わなかった。 演義 第96回 §31正史 呉書 巻15 §73

曹休との対面:演義第96回で周魴は皖城の曹休の幕舎を訪れ、石亭へ導いたのち姿を消す。正史の周魴伝には周魴が曹休に直接会ったことはなく、周魴は手勢を集めて陸遜に従って曹休を遮った。 演義 第96回 §29 · 35正史 呉書 巻15 §72

賈逵の警告:演義第96回では、賈逵が周魴は降伏しないだろうし髪を切ったのも偽りだと言い、曹休に斬られかけて兵権を奪われる。正史の賈逵の伝では、賈逵は呉が必ず皖に軍を集めるだろうから曹休が深く入って戦えば必ず敗れると見積もっただけで、周魴や髪の話はない。 演義 第96回 §24 · 32–33正史 魏書 巻15 §81

恩賞:演義第96回で孫権は髪のない周魴をねぎらって関内侯に封じる。正史では関内侯の爵位とともに裨将軍が加えられた。 演義 第96回 §43正史 呉書 巻15 §73

その他の事績:演義で周魴は第96回にのみ登場し、彭式と彭綺を平定したこと、董嗣を除いたこと、郡に在ること13年で死んだことは描かれない。 演義 第96回 §23 · 43正史 呉書 巻15 §49 · 73–75

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率6245−17
  • 武力4240−2
  • 知力8486+2
  • 政治6640−26
  • 魅力5245−7
  • 徳5552−3
  • 処世7276+4
  • 文芸5845−13
  • 弁舌7274+2
  • 用人4540−5
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

統率正62演45推定 −17

正ひと月のうちに彭式を斬り、彭綺を生け捕りにした呉書 巻15 §49呉書 巻15 §74

演直接の記録なし — 陸遜とともに帰還した太守であることから推定第96回 §42

近い項目 7件 — 根拠を見る

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(1回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

所属の変遷

  1. 呉 · 正史 · 正史 巻60 「乃以魴為鄱陽太守」

関連事件(1)

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