蔡陽

正史演義 Cai Yang채양蔡阳

プロフィール
職業正武将 演武将 · 将軍所属
登場正演収録
死去死去地正汝南郡
死因正戦死 演戦死 推定
実在実在言及正2回

人物紹介

蔡陽は曹操の将である。陳寿の本文には個別の伝がなく、魏書巻1武帝紀と蜀書巻2先主伝に一度ずつ登場する。袁紹の命で再び汝南に赴いた劉備が賊の龔都らと合流して軍勢が数千人になると、曹操は蔡陽を派遣してこれを討たせた。先主伝は蔡陽が劉備に殺されたと記し、武帝紀は彼が龔都を攻めたが不利で、龔都に破られたと記す。陳寿の本文は彼の字と出身を記していない。 正史 蜀書 巻2 §18正史 魏書 巻1 §73

演義では第26回に、関羽が去ったと聞いて鉄騎3千で追うと名乗り出る将軍として初めて登場し、全120回のうち3回に登場する。第28回の回目は「蔡陽を斬って兄弟疑いを釈き」で始まる。その回で、甥の秦琪を殺した関羽を捕らえに来たが、張飛が打ち鳴らす最初の太鼓が終わらないうちに関羽に首を斬られる。 演義 第26回 §40演義 第28回 §35–36

正史の記録

先主伝によれば、曹操が官渡で袁紹と対峙すると、汝南の黄巾の劉辟らが曹操に背いて袁紹に呼応した。袁紹は劉備に兵を率いさせ、劉辟らとともに許一帯を攻略させたが、曹操が曹仁を派遣して攻めると、劉備は袁紹の軍中に戻った。劉備は内心では袁紹のもとを離れようとし、南の荊州牧劉表と手を結ぶよう袁紹を説き、袁紹は彼に元から率いていた兵を連れて再び汝南に向かわせた。劉備が賊の龔都らと合流して軍勢が数千人になると、曹操は蔡陽を派遣して彼を討たせたが、蔡陽は劉備に殺された。 正史 蜀書 巻2 §17–18

武帝紀はこの事件を、建安6年(201)9月に曹操が許に帰還した記事の後に、袁紹がまだ破れる前のこととして記す。袁紹が劉備に汝南を攻略させると、汝南の賊龔都らがこれに呼応し、曹操は蔡陽を派遣して龔都を討たせたが、不利で龔都に破られた。武帝紀は蔡陽が死んだとは記していない。その後、曹操が南に劉備を討つと、劉備は曹操が自ら来ると聞いて劉表のもとへ逃れ、龔都らはみな散り散りになった。 正史 魏書 巻1 §73

陳寿の本文で蔡陽が登場するのはこの二か所だけである。彼の字・出身・官職は記されておらず、彼に対する評もない。 正史 蜀書 巻2 §18正史 魏書 巻1 §73

演義の描写

演義第26回で、関羽は下賜された金銀を封じておき、漢寿亭侯の印を広間に掛けたまま北門を出て行く。この報告に皆が驚くと、一人の将が身を挺して進み出て、鉄騎3千を率いて行き、関羽を生け捕りにして丞相に献上すると言う。これが将軍蔡陽である。 演義 第26回 §39–40

第27回で演義は、曹操配下の将のうち張遼のほかには徐晃だけが関羽と親しく、残りもみな彼を敬っていたが、蔡陽だけは関羽に服しておらず、そのため彼が去ったと聞いて追おうとしたと記す。曹操は、旧主を忘れず去就が明白であるのはまことの大丈夫だと言い、蔡陽を叱りつけて退け、追わせない。 演義 第27回 §1

関羽は続いて黄河の渡し場で夏侯惇の部将秦琪を一合で斬る。第28回で関羽を追ってきた夏侯惇は、秦琪は蔡陽の甥で、蔡陽が自分に預けた者であるのに関羽に殺されたのだから、どうしてこのまま済ませられようかと言う。張遼は自分が蔡将軍に会って別に話をつけると言い、夏侯惇を退かせる。 演義 第27回 §44演義 第28回 §6–7

同じ回で関羽は古城で張飛に会うが、張飛は関羽が兄に背いて曹操に降ったと言って矛で突きかかる。ちょうど曹操の軍勢が到着すると、関羽はやって来る将を斬って真心を示すと言い、張飛は太鼓を三通打ち終えるまでに斬れと言う。先頭に立つ蔡陽は刀を構えて馬を走らせながら、甥の秦琪を殺した関羽を丞相の命を奉じて捕らえに来たと叫ぶ。関羽はそれ以上何も言わずに刀を振り下ろし、張飛が自ら打つ最初の太鼓が終わらないうちに蔡陽の首が地に落ちる。 演義 第28回 §31 · 34–36

関羽が生け捕りにした認旗持ちの兵卒は、蔡陽は甥が殺されたと聞いてひどく憤り、河北へ行って関羽と戦おうとしたが、丞相が許さず、代わりに汝南へ送って劉辟を討たせたところ、思いがけずここで関羽に出会ったのだと申し上げる。張飛は関羽が許都にいた時のことをこの兵卒に詳しく尋ねて、ようやく関羽を信じる。 演義 第28回 §36–37

演義と異なる点

追おうとした人物:演義第26~27回では蔡陽が関羽を追うと名乗り出て、曹操が彼を叱って退ける。正史の関張馬黄趙伝では、左右が関羽を追おうとすると、曹操はそれぞれ自分の主のためにしているのだから追うなと言っただけで、追おうとした者の名は記していない。 演義 第26回 §40演義 第27回 §1正史 蜀書 巻6 §6

甥の秦琪:演義第28回で蔡陽は関羽が斬った秦琪の母方のおじであり、甥の仇を討とうとする。蔡陽が登場する陳寿の本文の二か所には、秦琪も蔡陽の親族も登場しない。 演義 第28回 §6 · 35–36正史 蜀書 巻2 §18正史 魏書 巻1 §73

殺した人物:演義第28回では、古城で関羽が張飛の最初の太鼓が終わらないうちに蔡陽を斬る。正史の先主伝では、蔡陽は汝南の劉備を討ちに行って劉備に殺され、武帝紀は彼が龔都に破られたとだけ記す。 演義 第28回 §36正史 蜀書 巻2 §18正史 魏書 巻1 §73

派遣された相手:演義第28回の兵卒は、曹操が蔡陽を汝南に送って劉辟を討たせたと申し上げる。正史で曹操が蔡陽を派遣して討たせた相手は、先主伝では龔都らと合流した劉備であり、武帝紀では龔都である。 演義 第28回 §37正史 蜀書 巻2 §18正史 魏書 巻1 §73

関羽が戻った順序:演義では、蔡陽は関羽がまだ劉備と再会する前、兄を訪ねて行く途中で死ぬ。正史の先主伝では、関羽が劉備のもとに戻った後、劉備が袁紹の軍中に戻り、再び汝南に向かった後に、蔡陽がやって来て死ぬ。 演義 第28回 §27 · 36正史 蜀書 巻2 §18

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率3540+5
  • 武力4038−2
  • 知力3530−5
  • 政治3131±0
  • 魅力3533−2
  • 徳4240−2
  • 処世3533−2
  • 文芸3131±0
  • 弁舌3131±0
  • 用人3131±0
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

10点以上の差がある項目はありません — 演義も正史とほぼ同じように描いています。

近い項目 10件 — 根拠を見る
  • 統率正35演40 +5

    正龔都を討ちに行って破れ、劉備に殺された魏書 巻1 §73蜀書 巻2 §18

    演兵を率いて関羽を追ってきたが、たちまち崩れた第28回 §35第28回 §36

  • 武力正40推定演38 −2

    正直接の記録なし — 将としての役割から推定蜀書 巻2 §18

    演最初の太鼓が終わらないうちに関羽に首を落とされた第28回 §36

  • 知力正35推定演30推定 −5

    正直接の記録なし — 事績から推定蜀書 巻2 §18

    演直接の記録なし — 事績から推定第27回 §1

  • 政治正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 将としての役割から推定蜀書 巻2 §18

    演直接の記録なし — 将としての役割から推定第26回 §40

  • 魅力正35推定演33推定 −2

    正直接の記録なし — 事績から推定蜀書 巻2 §18

    演直接の記録なし — 事績から推定第27回 §1

  • 徳正42推定演40推定 −2

    正直接の記録なし — 事績から推定蜀書 巻2 §18

    演直接の記録なし — 甥の仇を討とうとした事績から推定第27回 §1第28回 §6

  • 処世正35推定演33推定 −2

    正直接の記録なし — 事績から推定蜀書 巻2 §18

    演直接の記録なし — 事績から推定第28回 §36

  • 文芸・学術正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 将としての役割から推定蜀書 巻2 §18

    演直接の記録なし — 将としての役割から推定第26回 §40

  • 弁舌・外交正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 将としての役割から推定蜀書 巻2 §18

    演直接の記録なし — 将としての役割から推定第26回 §40

  • 識人・用人正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 将としての役割から推定蜀書 巻2 §18

    演直接の記録なし — 将としての役割から推定第26回 §40

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(3回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

関連事件(1)

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