鄧龍

正史演義 Deng Long등룡邓龙

プロフィール
職業正演武将所属
登場正演収録
出生演? 推定出身地
死去演208年 推定死去地
死因演戦死 推定
実在実在言及正1回

人物紹介

鄧龍は江夏太守黄祖の部将である。正史には独立した伝がなく、呉書巻9に収められた周瑜の伝に一度登場する。黄祖の命で兵数千人を率いて柴桑に入ったが、追撃してきた周瑜に生け捕りにされ、呉に送られた。 正史 呉書 巻9 §8

周瑜伝はこの事を、建安11年(206)の麻・保二屯の討伐の後、13年(208)春の孫権による江夏討伐の前に記す。陳寿の本文は、捕らえられた後に彼がどうなったかを記さない。 正史 呉書 巻9 §8

演義には第38回にのみ登場し、全120回のうち1回だけで、名が回目に入った回はない。演義は彼を陳就とともに黄祖軍の先鋒として描き、艨艟で沔口を遮っていたが、船の上に跳び上がってきた甘寧に斬り殺される。 演義 第38回 §48–49

正史の記録

鄧龍は正史に独立した伝がなく、呉書巻9周瑜魯粛呂蒙伝の周瑜の記録に登場する。建安5年(200)に孫策が死んで孫権が事を継ぐと、周瑜は中護軍として長史の張昭とともに諸事を取り仕切った。建安11年(206)、周瑜は孫瑜らを督して麻・保の二屯を討伐し、その首領の首を斬ってさらし、一万余人を捕虜としたのち、帰って守りについた。 正史 呉書 巻9 §7–8

周瑜伝は続けて、江夏太守黄祖が部将の鄧龍に兵数千人を率いさせて柴桑に入らせると、周瑜が追撃してこれを討ち、鄧龍を生け捕りにして呉に送ったと記す。陳寿の本文で鄧龍の名が出るのはこの一か所だけであり、彼の字や出身、捕らえられた後のことは記されていない。 正史 呉書 巻9 §8

周瑜伝はその次に、建安13年(208)春に孫権が江夏を討ったとき、周瑜が前部大督となったと記す。呉主伝によれば、この征伐では黄祖がまず水軍を派遣して防いだが、都尉の呂蒙がその先鋒を破り、凌統・董襲らが精鋭を尽くして攻めてその城を屠り、身ひとつで逃げた黄祖は騎兵の馮則が追ってその首を斬ってさらした。この戦いを記した陳寿本文の呉主伝と呂蒙・董襲の伝には鄧龍は登場しない。 正史 呉書 巻9 §8 · 58–59正史 呉書 巻2 §11正史 呉書 巻10 §49–50

演義の描写

演義第38回で、建安12年(207)冬10月に母の呉太夫人が世を去ると、孫権は翌年の春に黄祖を討つことを相談する。孫権は降ってきた甘寧からまず黄祖を取るべしという策を聞き、周瑜を大都督に、呂蒙を前部先鋒に、董襲と甘寧を副将として、自ら大軍10万を率いて出陣する。 演義 第38回 §39 · 41–42 · 46–47

細作がこれを江夏に知らせると、黄祖は蘇飛を大将に、陳就と鄧龍を先鋒として、江夏の兵をことごとく起こして迎え撃つ。陳就と鄧龍はそれぞれ艨艟の一隊を率いて沔口を遮り、艨艟ごとに強弓・硬弩を千余張ずつ備え、太い綱で艨艟を水面にしっかりとつなぎとめる。東呉の兵が来ると艨艟の上で太鼓が鳴って弓と弩が一斉に放たれ、東呉の兵はあえて進めず数里ほど退く。 演義 第38回 §48

甘寧は董襲に、事ここに至っては進まないわけにはいかないと言い、小舟百余隻を選んで一隻ごとに精兵50人を乗せる。20人は船を漕ぎ、30人はそれぞれ鎧をまとって鋼の刀を手に、矢や石を避けずに艨艟のそばへ迫って太い綱を断ち切ると、艨艟は横向きに回る。甘寧が艨艟の上に飛ぶように跳び上がって鄧龍を斬り殺すと、陳就は船を捨てて逃げる。 演義 第38回 §49

続いて呂蒙が船隊の中に入って船を焼き、岸に上がろうとする陳就を斬り、蘇飛は潘璋に生け捕りにされる。孫権は昼夜を分かたず夏口を攻め、第39回で黄祖は兵が敗れ将を失って江夏を捨てて逃げる。演義で鄧龍の名が出るのは第38回のこの戦いの場面だけである。 演義 第38回 §50–51演義 第39回 §1

演義と異なる点

時と場所:演義第38回で鄧龍は、呉太夫人が死んだ翌年の春、孫権が黄祖を討ちに来たときに陳就とともに沔口を遮る。正史の周瑜伝では、黄祖が鄧龍に兵数千人を与えて柴桑に入らせた事として登場し、周瑜伝はこれを建安11年(206)の麻・保二屯の討伐の後、13年(208)春の江夏討伐の前に記す。 演義 第38回 §39 · 42 · 48正史 呉書 巻9 §8

対した相手と結末:演義では甘寧が艨艟の上に跳び上がって鄧龍を斬り殺す。正史では周瑜が追撃して討ち、鄧龍を生け捕りにして呉に送ったと記すだけで、その後彼がどうなったかは明らかにしない。 演義 第38回 §49正史 呉書 巻9 §8

沔口の艨艟:演義では陳就と鄧龍がそれぞれ艨艟の一隊を率いて沔口を遮り、小舟に乗った東呉の兵たちが太い綱を断ち切る。正史の董襲伝は、黄祖が蒙衝2隻を横に並べて沔口を挟んで守らせたと記すだけで守った将を明らかにせず、2本の綱は董襲が自ら刀で断ち切った。この戦いを記した陳寿本文の呉主伝と呂蒙・董襲の伝には鄧龍は登場しない。 演義 第38回 §48–49正史 呉書 巻10 §49正史 呉書 巻2 §11正史 呉書 巻9 §58–59

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率4055+15
  • 武力4042+2
  • 知力3545+10
  • 政治3333±0
  • 魅力3838±0
  • 徳4545±0
  • 処世3838±0
  • 文芸3131±0
  • 弁舌3131±0
  • 用人3333±0
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

統率正40演55 +15

正数千人を率いて柴桑に入ったが周瑜に生け捕りにされた呉書 巻9 §8

演先鋒として艨艟を綱でつなぎ弩を並べて呉軍を防いだ第38回 §48

知力正35推定演45推定 +10

正直接の記録なし — 黄祖の部将としての事績から推定呉書 巻9 §8

演直接の記録なし — 黄祖の先鋒としての事績から推定第38回 §48

近い項目 8件 — 根拠を見る
  • 武力正40推定演42 +2

    正直接の記録なし — 黄祖の部将としての事績から推定呉書 巻9 §8

    演艨艟に跳び上がった甘寧に斬り殺された第38回 §49

  • 政治正33推定演33推定 ±0

    正直接の記録なし — 黄祖の部将としての事績から推定呉書 巻9 §8

    演直接の記録なし — 黄祖の先鋒としての事績から推定第38回 §48

  • 魅力正38推定演38推定 ±0

    正直接の記録なし — 黄祖の部将としての事績から推定呉書 巻9 §8

    演直接の記録なし — 黄祖の先鋒としての事績から推定第38回 §48

  • 徳正45推定演45推定 ±0

    正直接の記録なし — 黄祖の部将としての事績から推定呉書 巻9 §8

    演直接の記録なし — 黄祖の先鋒としての事績から推定第38回 §48

  • 処世正38推定演38推定 ±0

    正直接の記録なし — 黄祖の部将としての事績から推定呉書 巻9 §8

    演直接の記録なし — 黄祖の先鋒としての事績から推定第38回 §48

  • 文芸・学術正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 黄祖の部将としての事績から推定呉書 巻9 §8

    演直接の記録なし — 黄祖の先鋒としての事績から推定第38回 §48

  • 弁舌・外交正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 黄祖の部将としての事績から推定呉書 巻9 §8

    演直接の記録なし — 黄祖の先鋒としての事績から推定第38回 §48

  • 識人・用人正33推定演33推定 ±0

    正直接の記録なし — 黄祖の部将としての事績から推定呉書 巻9 §8

    演直接の記録なし — 黄祖の先鋒としての事績から推定第38回 §48

スペシャル — 才能 正史 +0 · 演義 +10

  • 水戦

    演熟達 +10 艨艟の一隊を率いて沔口を遮った第38回 §48

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(1回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

関連事件(1)

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