王真
人物紹介
王真は演義第112回に登場する魏の将である。姜維が兵糧と秣の蓄えられた長城を攻めに来ると、長城を守っていた司馬望は王真・李鵬の二将とともに城から20里離れた所に陣営を築き、陣頭に出る。王真は司馬望の背後から槍をしごいて出て傅僉と戦うが、馬上で生け捕りにされ、救いに来た李鵬を討とうとした傅僉に地へ投げつけられたのち、蜀軍の乱れ突く槍に刺されて死ぬ。 演義 第112回 §28–31
演義120回のうち第112回の1回にのみ登場し、名が回目に入った回はない。陳寿の本文の姜維伝は、延熙20年(257)、姜維が駱谷に出て沈嶺に至った時、長城には蓄えた穀物が非常に多かったが守備兵は少なく、皆が恐れおののいたこと、魏の大将軍司馬望と鄧艾が長城に布陣したまま、姜維がたびたび戦いを挑んでも応じなかったことを記す。王真は陳寿の本文にも裴松之の注にも見えない。 演義 第112回 §29正史 蜀書 巻14 §39–40
演義の描写
演義第112回、司馬昭が淮南を平定して兵を退こうとしていると、西蜀の姜維が長城を攻めに来て兵糧と秣を断とうとしているとの知らせが入る。演義は、この時が蜀漢の延熙20年で、年号を景耀元年に改めたと記す。姜維は、魏が蓄えた兵糧と秣はすべて長城にあるから、駱谷を取り沈嶺を越えてまずそれを焼き払い、そのうえでまっすぐ秦川を取ろうという傅僉の言に従って長城へ進む。 演義 第112回 §22 · 27–28
長城を守る将軍司馬望は司馬昭の族兄で、城内には兵糧と秣がたいへん多かったが、人馬は少なかった。蜀軍が来ると聞いた司馬望は、急ぎ王真・李鵬の二将とともに城から20里離れた所に陣営を築き、翌日二将を率いて陣頭に出る。姜維が早く降伏せよと言い、司馬望が早く退かなければ甲冑の一片も帰さないと言い返すと、その言葉が終わらないうちに、司馬望の背後から王真が槍をしごいて馬を駆り出し、蜀の陣からは傅僉が迎え撃ちに出る。 演義 第112回 §29–30
10合も戦わないうちに傅僉がわざと隙を見せると、王真はすぐさま槍をしごいて突きかかり、傅僉は身をかわして馬上で王真を生け捕りにし、自陣へ戻る。大いに怒った李鵬が刀を振るって救いに駆けつけると、傅僉はわざと馬をゆっくり進め、李鵬が近づくのを待って王真を力いっぱい地に投げつけ、ひそかに鉄簡を手に握ったのち、身をひねって李鵬の顔を打ち据えて殺す。王真は蜀軍の乱れ突く槍に刺されて死ぬ。 演義 第112回 §30–31
姜維が兵を駆って大いに進むと、司馬望は陣営を捨てて城に入り門を閉ざす。翌日、蜀軍が火矢・火砲を撃ち込み、城下に積んだ乾いた薪に火を放って、城がまさに落ちようとした時、鄧艾の子鄧忠と鄧艾が背後から押し寄せ、鄧艾は固く守るばかりで戦いに出てこない。司馬昭が寿春を攻めて諸葛誕を殺し、長城の救援に来ようとしているとの知らせが入ると、姜維は、今回の魏征伐もまた画餅に帰したから、ひとまず帰るに越したことはないと言う。 演義 第112回 §31–33 · 36–40
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率40
- 武力35
- 知力35
- 政治35
- 魅力35
- 徳45
- 処世35
- 文芸31
- 弁舌33
- 用人33
項目別の根拠
演直接の記録なし — 司馬望配下の将としての記録から推定第112回 §29
演槍を手に出たが、10合もたたずに傅僉に生け捕りにされた第112回 §30
演直接の記録なし — 司馬望配下の将としての記録から推定第112回 §29
演直接の記録なし — 司馬望配下の将としての記録から推定第112回 §29
演直接の記録なし — 司馬望配下の将としての記録から推定第112回 §29
演直接の記録なし — 司馬望配下の将としての記録から推定第112回 §29
演直接の記録なし — 司馬望配下の将としての記録から推定第112回 §29
演直接の記録なし — 司馬望配下の将としての記録から推定第112回 §29
演直接の記録なし — 司馬望配下の将としての記録から推定第112回 §29
演直接の記録なし — 司馬望配下の将としての記録から推定第112回 §29
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。