司馬攸
人物紹介
司馬攸は演義第119回に登場する司馬昭の次男である。演義は、司馬昭の妻である王粛の娘が二人の息子を産み、次男の司馬攸は性格が温和で恭しく倹約で、孝行で兄弟の情に厚かったので司馬昭がたいへん愛し、息子のいない司馬師に養子に出してその後を継がせたと記す。 演義 第119回 §31
晋王に封じられた司馬昭は、常に天下は兄上の天下だと言って司馬攸を世子に立てようとするが、山涛・賈充・何曽・裴秀と王祥・荀顗が相次いで諫めると、長男の司馬炎を世子に立てる。 演義 第119回 §32–33
演義全120回のうち第119回の1回にのみ登場し、名が回目に入った回はない。陳寿の本文には登場せず、裴松之の注にのみ記録がある。陳寿の本文の三少帝紀は、咸熙元年(264)撫軍大将軍・新昌郷侯司馬炎を晋の世子としたとのみ記す。 演義 第119回 §31正史 魏書 巻4 §144
演義の描写
演義第119回で、朝廷の大臣たちは西川を収めた功を挙げて司馬昭を王に尊ぼうと、魏主曹奐に上表する。名ばかりの天子で何一つ自分で決められなかった曹奐はあえて従わないわけにいかず、晋公司馬昭を晋王に封じ、その父司馬懿に宣王、兄司馬師に景王の諡を贈る。 演義 第119回 §31
演義は、司馬昭の妻は王粛の娘で、二人の息子を産んだと記す。長男の司馬炎は体格が大きく立派で、立つと髪が地面に垂れ、両手は膝の下まで届き、聡明で英武、胆力は人に勝っていた。次男の司馬攸は性格が温和で恭しく倹約で、孝行で兄弟の情に厚く、司馬昭がたいへん愛したが、司馬師に息子がいなかったので、司馬攸を養子に出してその後を継がせた。 演義 第119回 §31
司馬昭は常に「天下は我が兄上の天下である」と言っており、晋王に封じられると司馬攸を世子に立てようとする。山涛は長子を廃して幼子を立てるのは礼に背き不吉だと諫め、賈充・何曽・裴秀も、長子は聡明で神武、世に超える才があり、人望はすでに厚く、生まれついての風貌は人臣となる相ではないと諫める。司馬昭がためらって決めかねていると、太尉王祥と司空荀顗が、前代に幼子を立てた例は多く国を乱したと言って深く考えるよう求め、司馬昭はついに長男司馬炎を世子に立てる。 演義 第119回 §32–33
その後、司馬昭は宮中に戻って食事をとろうとしたところで突然中風を起こして口がきけなくなり、翌日病が重くなると、手で太子司馬炎を指さして死ぬ。何曽の言葉に従い、その日のうちに司馬炎が晋王の位に即く。司馬攸の名はこの後、演義に二度と現れない。 演義 第119回 §34–35
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率35
- 武力31
- 知力42
- 政治40
- 魅力55
- 徳78
- 処世40
- 文芸42
- 弁舌38
- 用人38
項目別の根拠
演直接の記録なし — 司馬昭の次男としての紹介から推定第119回 §31
演直接の記録なし — 司馬昭の次男としての紹介から推定第119回 §31
演直接の記録なし — 司馬昭の次男としての紹介から推定第119回 §31
演直接の記録なし — 司馬昭の次男としての紹介から推定第119回 §31
演司馬昭にたいへん愛され、世子に立てられかけた第119回 §31
演温和・恭倹で、孝行と兄弟の情に厚いと記される第119回 §31
演直接の記録なし — 司馬昭の次男としての紹介から推定第119回 §31
演直接の記録なし — 司馬昭の次男としての紹介から推定第119回 §31
演直接の記録なし — 司馬昭の次男としての紹介から推定第119回 §31
演直接の記録なし — 司馬昭の次男としての紹介から推定第119回 §31
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。