司馬岐
人物紹介
司馬岐は河内郡温県の人司馬芝の子である。父が死ぬと跡を継ぎ、河南丞から廷尉正に転じ、陳留相となった。数年たっても判決の出なかった梁郡の獄事を一朝にして終わらせ、破格に昇進して廷尉となった。 正史 魏書 巻12 §78 · 95
大将軍曹爽が権力を独占していたころ、尚書鄧颺が圭泰に重い刑を科そうとすると、彼は鄧颺を責めた。ついには長くいれば罪を得ることを恐れて病を理由に官を去り、家にいて1年たたずに35歳で死去した。 正史 魏書 巻12 §96–97
正史の魏書巻12崔毛徐何邢鮑司馬伝の司馬芝伝の末尾に短く付されている。巻末の評は父の司馬芝だけを挙げ、司馬岐を別に評してはいない。陳矯伝は、陳矯の子陳本が法律を読まずに優れた廷尉との称賛を得て、司馬岐らに勝っていたと記す。演義には登場しない。 正史 魏書 巻12 §94–97 · 99正史 魏書 巻22 §65
正史の記録
司馬岐の父司馬芝は字を子華といい、河内郡温県の人である。司馬芝は在官のまま死去したが家に余財はなく、陳寿は魏以来今に至るまで河南尹となった者のうち司馬芝に及ぶ者はいないと記した。 正史 魏書 巻12 §78 · 93
司馬芝が世を去ると、子の司馬岐が跡を継いだ。司馬岐は河南丞から廷尉正に転じ、陳留相に昇進した。梁郡に繋がれた囚人がいたが、連座する者が多く、数年たっても判決が出なかった。詔によって獄事を司馬岐の管轄する県に移させると、県はあらかじめ獄具を整えておきたいと願い出た。 正史 魏書 巻12 §95
司馬岐は、いま囚人は数十人いるが、巧みに偽って供述が互いに合わないうえ、すでに苛酷な拷問に疲れ切っているので、その実情はたやすく明らかになるだろうと述べ、どうしてまた長く獄に置いておけようかと言った。囚人たちのいる所に行って問い詰めると、皆あえて隠したり偽ったりせず、一朝にして判決を終えた。この功によって司馬岐は破格に昇進して廷尉となった。 正史 魏書 巻12 §95
このとき大将軍曹爽が権力を独占し、尚書何晏・鄧颺らがその補佐となっていた。南陽の圭泰が言葉で意に逆らったことで廷尉に捕らえられて取り調べを受けることになり、鄧颺が獄事を審理して圭泰に重い刑を科そうとした。司馬岐は鄧颺に対し、枢機の大臣は王室の補佐であるのに、教化を助けて徳を成すこともできず、私怨をほしいままにして罪のない者を不当に論罪しようとしている、民の心を不安にさせるのがこれでなくて何であろうかと責めた。 正史 魏書 巻12 §96
鄧颺は恥じ怒って退いた。司馬岐はついに、長くいれば罪を得ることを恐れて病を理由に官を去った。家にいて1年たたずに死去し、年は35であった。子の司馬肇が跡を継いだ。陳寿の本文は彼の没年を明らかにしていない。 正史 魏書 巻12 §97
陳矯伝は、陳矯の子陳本が郡守と九卿を歴任し、法律を読まなかったのに優れた廷尉との称賛を得て、司馬岐らに勝っていたと記す。 正史 魏書 巻22 §65
陳寿は巻12末の評で、司馬芝を忠実で明らかであり傾かなかったとして、硬いものは吐き出し柔らかいものは呑み込むようなことをしなかった者たちに近いと述べた。司馬岐は別に評していない。 正史 魏書 巻12 §99
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
演義に登場しない人物のため、正史(陳寿『三国志』本文)の点数のみです。
- 統率38
- 武力31
- 知力58
- 政治72
- 魅力45
- 徳68
- 処世62
- 文芸45
- 弁舌52
- 用人42
項目別の根拠
正直接の記録なし — 司法官の経歴から推定魏書 巻12 §95
正直接の記録なし — 司法官の経歴から推定魏書 巻12 §95
正囚人たちの供述の食い違いを見て実情を突き止めた魏書 巻12 §95
正数年滞った獄事を一日で裁決し、廷尉に昇進魏書 巻12 §95
正直接の記録なし — 司法官の経歴から推定魏書 巻12 §95
正苛酷な拷問をやめさせ、権臣鄧颺の私的な刑罰を責めた魏書 巻12 §95魏書 巻12 §96
正罪を得ることを恐れ、病を口実に官を去った魏書 巻12 §97
正直接の記録なし — 司法官の経歴から推定魏書 巻12 §95
正鄧颺を責めて恥じ入らせ退かせた魏書 巻12 §96魏書 巻12 §97
正直接の記録なし — 司法官の経歴から推定魏書 巻12 §95
正史 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。