邵悌

正史演義 字 元伯 Shao TiYuanbo소제원백

プロフィール
職業正文官 · 西曹属 演文官 · 西曹掾所属
登場正演収録
出生出身地陽平郡
実在実在言及正4回

人物紹介

邵悌は魏の司馬昭の西曹属である。正史には独立した伝がなく、魏書巻28王毌丘諸葛鄧鍾伝の鍾会の記録に二度登場する。陳寿の本文は彼の字と郷里を記していない。 正史 魏書 巻28 §131 · 134

司馬昭が鍾会に蜀征伐を任せようとすると、邵悌は、鍾会は独り身で重い係累がないので、他の者を遣わすに越したことはないと言った。のちに鍾会が鄧艾の不軌を上奏し、司馬昭が西へ向かおうとすると、再び、鍾会に鄧艾を捕らえさせればよく、自ら行くには及ばないと言った。司馬昭は一度目には、鍾会が異心を抱いたとしても成し遂げられることは何もないと答え、二度目には以前言ったことを忘れたのかと問い返し、二度ともこの言葉を漏らさないようにと言った。 正史 魏書 巻28 §131 · 133–134

正史に彼への評はない。演義では第115回に司馬昭の西曹掾として初めて登場し、全120回のうち3回(第115・116・118回)に登場するが、回目に名が見える回はない。 演義 第115回 §41演義 第116回 §1演義 第118回 §33

正史の記録

景元4年(263)秋、鍾会は十余万の軍勢を率い、斜谷と駱谷に分かれて蜀に入った。これより先、司馬昭が鍾会を遣わして蜀を討たせようとすると、西曹属の邵悌が目通りを求めて言った。いま鍾会に十余万の軍勢を率いさせて蜀を討たせるが、愚見では、鍾会は独り身で重い係累がないので、他の者を遣わすに越したことはない、というのである。 正史 魏書 巻28 §103 · 131

司馬昭は笑って、自分がどうしてそれを知らないことがあろうかと言った。蜀は天下の患いであり、これを討つのは掌を指すように容易なのに、人々はみな討てないと言う。心があらかじめ怯えれば知恵も勇気もともに尽きるものであり、ただ鍾会だけが自分と考えを同じくしているので、彼を遣わせば必ず蜀を滅ぼせる、と述べた。 正史 魏書 巻28 §131–132

司馬昭は続けて、蜀を滅ぼしたのち、たとえ邵悌の憂えるとおりになったとしても、何ができようかと言った。敗軍の将とは勇を語れず、亡国の大夫とは存続を図れない。蜀の遺民は震え恐れてともに事を図るに足りず、中原の将兵はそれぞれ帰ることばかり考えて彼と行動を共にしないから、悪事を企てれば自ら一族を滅ぼすだけだ、というのである。そして心配するには及ばないので、くれぐれも人に聞かれないよう気をつけよと言った。 正史 魏書 巻28 §132–133

のちに鍾会が鄧艾の不軌を上奏し、司馬昭が西へ向かおうとすると、邵悌は再び言った。鍾会の率いる兵は鄧艾の五、六倍もあるので、鍾会に命じて鄧艾を捕らえさせればよく、自ら行くには及ばない、というのである。 正史 魏書 巻28 §134

司馬昭は邵悌に、以前言ったことを忘れたのか、それなのにまた行かなくてもよいと言うのかと言った。そうではあるが、この言葉は広めてはならない。自分はあくまで信義をもって人を遇さねばならないので、人が自分に背かない限り、先に異心を抱くことはしない、と述べた。また、先日賈護軍(賈充)が鍾会を少しでも疑っているかと尋ねたので、いまあなたを遣わすのに、どうしてあなたまで疑えようかと答えたという話を聞かせ、長安に着けば事はおのずと片付くだろうと言った。 正史 魏書 巻28 §134–135

軍が長安に着いたとき、鍾会ははたしてすでに死んでおり、陳寿はすべて見込んだとおりであったと記した。鍾会は景元5年(264)正月に蜀で反逆を起こし、18日に兵たちに殺された。 正史 魏書 巻28 §124 · 127–128 · 135

演義の描写

演義第115回で、景元4年(263)秋7月3日に鍾会が軍を率いて出発し、司馬昭が城外10里まで見送って戻ると、西曹掾の邵悌がひそかに司馬昭に言う。鍾会は志が大きく心が高いので、一人で大権を握らせてはならない、というのである。司馬昭が笑って、どうしてそれを知らないことがあろうかと言うと、邵悌は、すでにご存じなら、なぜ人にその職をともに担わせないのかと尋ねる。演義は、司馬昭が数言を述べると邵悌の疑念がたちまち解けたとし、その言葉を次の回に持ち越す。 演義 第115回 §40–42

第116回の冒頭で、司馬昭は邵悌に、朝臣がみな蜀は討てないと言うのは心が怯えているからであり、鍾会だけがひとり蜀を討つ策を立てたのだから、その心は怯えておらず必ず蜀を破るだろうと語る。鍾会が異心を抱いても、肝をつぶした蜀の人々は彼を助けられず、魏の人々は勝てば帰ることばかり考えるだろうとも言う。司馬昭がこの言葉は二人だけが知るべきで決して漏らしてはならないと言うと、邵悌は拝して感服する。 演義 第116回 §1–2

第118回で、司馬昭は鍾会が横取りして書き換えた鄧艾の上表を見て大いに怒り、鍾会に鄧艾を捕らえるよう命じ、賈充に3万の兵で斜谷に入らせ、自らも魏主曹奐とともに親征に出る。邵悌は、鍾会の兵は鄧艾の6倍も多いので鍾会に鄧艾を捕らえさせれば十分であり、明公が自ら行かれる必要があろうかと諫める。 演義 第118回 §32–33

司馬昭が笑って、邵悌が以前、鍾会はのちに必ず謀反すると言ったのを忘れたのかと言い、今回行くのは鄧艾のためではなく、実は鍾会のためだと言うと、邵悌は笑って、明公がそれをお忘れではないかと案じてお尋ねしたのだと答える。邵悌が、いまそのお考えをお持ちならば、くれぐれも秘密にして漏らさないようにと言うと、司馬昭はその言葉をもっともだとし、大軍を率いて出発する。演義で邵悌が登場する場面はこれが最後である。 演義 第118回 §33–34

演義と異なる点

官職:演義第115・116・118回で邵悌は西曹掾である。正史の鍾会の記録では西曹属である。 演義 第115回 §41演義 第118回 §33正史 魏書 巻28 §131

最初の諫言の理由:演義第115回で邵悌は、鍾会は志が大きく心が高いので一人で大権を握らせてはならないとし、他の者にその職をともに担わせるよう求める。正史で邵悌は、鍾会は独り身で重い係累がないとして、他の者を遣わすに越したことはないと言った。 演義 第115回 §41正史 魏書 巻28 §131

司馬昭の答え:演義は第115回で司馬昭の言葉を次の回に持ち越し、第116回の冒頭で答えを示したのち、邵悌が拝して感服したとする。正史では司馬昭がその場で笑ってただちに答えており、邵悌がそれをどう受け止めたかは記されていない。 演義 第115回 §41–42演義 第116回 §1–2正史 魏書 巻28 §131–133

二度目の諫言の兵数:演義第118回で邵悌は、鍾会の兵は鄧艾の6倍も多いと言う。正史では五、六倍と言った。 演義 第118回 §33正史 魏書 巻28 §134

秘密を求めた人:演義第118回では、邵悌が笑って、明公がお忘れではないかと案じてお尋ねしたのだと言い、くれぐれも秘密にするよう司馬昭に求める。正史では、司馬昭がこの言葉は広めてはならないと言い、信義をもって人を遇するという言葉を添えており、邵悌が笑ったり念を押したりする言葉はない。 演義 第118回 §34正史 魏書 巻28 §134

賈充の疑い:演義第118回では、邵悌の話が終わったあと、賈充が別に司馬昭に鍾会を疑う言葉をひそかに申し上げる。正史では、司馬昭が邵悌に、先日賈護軍(賈充)が鍾会を疑っているかと尋ねたので、いまあなたを遣わすのにあなたまで疑えようかと答えたという話を聞かせる。 演義 第118回 §34正史 魏書 巻28 §135

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率3331−2
  • 武力3131±0
  • 知力6464±0
  • 政治4240−2
  • 魅力4040±0
  • 徳5050±0
  • 処世4552+7
  • 文芸4040±0
  • 弁舌5052+2
  • 用人6060±0
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

10点以上の差がある項目はありません — 演義も正史とほぼ同じように描いています。

近い項目 10件 — 根拠を見る

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(3回)

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