羅憲
人物紹介
羅憲は、蜀末期に巴東の領軍であった襄陽の人である。正史には独立した伝がなく、巻11の霍弋の伝の末尾と呉書巻3の三嗣主伝に名が見える。陳寿の本文は彼の字と生没年を記さない。 正史 蜀書 巻11 §8正史 呉書 巻3 §45–46
景耀6年(263)に蜀が魏に併合されると、霍弋とともにそれぞれ一方を保全したまま、それをもって魏に帰順し、以前の職をそのまま務めた。翌年、呉の陸抗らが巴東を守る彼を包囲したが、魏が胡烈を遣わして西陵を攻めさせ彼を救援すると、陸抗らは兵を引いた。 正史 蜀書 巻11 §7–8正史 呉書 巻3 §45–46
陳寿が巻11の末尾に付した評は羅憲に触れない。演義には登場しない。 正史 蜀書 巻11 §50
正史の記録
霍弋の伝によれば、霍弋は永昌郡の夷・獠を討伐したのち、監軍・翊軍将軍として建寧太守を兼ね、帰って南の諸郡の事を統べ、景耀6年(263)に安南将軍に号を進めた。この年、蜀が魏に併合されると、霍弋は巴東の領軍である襄陽の人羅憲とともに、それぞれ一方を保全したまま、それをもって魏に帰順した。そのため二人とも以前の職をそのまま務め、寵遇が加えられた。 正史 蜀書 巻11 §7–8
呉の三嗣主伝によれば、永安6年(263)冬10月、蜀が魏の攻撃を受けていると知らせてくると、呉は大将軍丁奉に諸軍を率いて魏の寿春へ向かわせ、将軍留平を南郡の施績のもとに送って兵の向かう先を協議させるなどして蜀を救おうとした。しかし蜀の君主劉禅が魏に降伏したという知らせが届くと取りやめた。 正史 呉書 巻3 §43–44
永安7年(264)2月、鎮軍将軍陸抗、撫軍将軍歩協、征西将軍留平、建平太守盛曼が兵を率いて、蜀の巴東を守る将羅憲を包囲した。三嗣主伝はその年の秋7月の記事の中に、魏が将軍胡烈に歩兵と騎兵2万を与えて西陵に侵攻させ羅憲を救援したので、陸抗らが兵を率いて退いたと記した。三嗣主伝はこのときも彼を「蜀の巴東を守る将」と呼んでいる。 正史 呉書 巻3 §45–46
陳寿の本文は羅憲の字と生没年を記さない。巻11の評は霍峻・王連・向朗・張裔・楊洪・費詩に触れるだけで、羅憲には触れない。 正史 蜀書 巻11 §8 · 50
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能力値
演義に登場しない人物のため、正史(陳寿『三国志』本文)の点数のみです。
- 統率66
- 武力40
- 知力48
- 政治45
- 魅力48
- 徳58
- 処世64
- 文芸33
- 弁舌38
- 用人35
項目別の根拠
正直接の記録なし — 守将としての事績から推定呉書 巻3 §45
正直接の記録なし蜀書 巻11 §8
正直接の記録なし — 巴東の領軍として一方を守った事績から推定蜀書 巻11 §8
正直接の記録なし — 一方を保全した事績から推定蜀書 巻11 §8
正国が滅びるまで任された地を守り抜いた蜀書 巻11 §8
正直接の記録なし蜀書 巻11 §8
正直接の記録なし蜀書 巻11 §8
正直接の記録なし蜀書 巻11 §8
正史 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。