李豊 李豐

正史演義 魏 字 宣國 Li FengXuanguo이풍선국李丰

プロフィール
職業正演文官 · 中書令所属魏
登場正演収録
出生正? 推定出身地左馮翊
死去正254年 推定死去地
死因正殺害 演処刑 推定
実在実在言及正18回

人物紹介

李豊は馮翊の人で、魏の中書令である。大将軍司馬師に長く親しく遇されたが、本心は夏侯玄にあり、皇后の父である光禄大夫張緝と結んで、夏侯玄に政治を補佐させようと謀った。 正史 魏書 巻9 §122–123

嘉平6年(254)2月、天子が貴人を冊立する日に乗じて司馬師を殺し、夏侯玄に代えようとした。謀議をうすうす聞いた司馬師が会見を求めると、李豊は知らずに出向いてその場で殺され、李豊・夏侯玄・張緝らはみな三族を滅ぼされた。 正史 魏書 巻9 §123–124 · 126

正史には彼の伝が別になく、事績は夏侯玄伝に載せられ、巻9の評に彼の名は出てこない。演義では第109回に曹芳のそばに残った三人の臣の一人として初めて登場し、全120回のうち2回に登場するが、名が回目に入った回はない。演義は、彼が曹芳の血詔を奉じて発覚し、夏侯玄・張緝とともに市で腰斬されると描く。 正史 魏書 巻9 §122–126 · 132演義 第109回 §26 · 28 · 33演義 第110回 §26

正史の記録

李豊は黄門であったとき、人を評価し人材を選ぶのに、まず性行を挙げてから才能を言う盧毓にそのわけを尋ねたことがある。盧毓は、才能とは善をなす手段であり、才能があると称されながら善をなせないのなら、それは才能が器にかなっていないのだと答え、李豊らはその言葉に感服した。 正史 魏書 巻22 §102–103

夏侯玄は曹爽が処刑されたのち召されて大鴻臚となり、数年後に太常に移ったが、曹爽との関係のために抑えられ、内心は不満であった。中書令李豊は以前から大将軍司馬師に親しく遇されていたが、本心は夏侯玄にあったので、皇后の父である光禄大夫張緝と結んで、夏侯玄に政治を補佐させようと謀った。 正史 魏書 巻9 §122

李豊はすでに内で権柄を握り、息子は公主を娶っており、張緝とともに馮翊の人であったので、張緝は彼を信じた。李豊はひそかに弟の兗州刺史李翼に入朝を願い出させ、兵を率いて入って力を合わせ事を起こさせようとした。李翼は入朝を願い出たが、許されなかった。 正史 魏書 巻9 §123

嘉平6年(254)2月に貴人を冊立することになると、李豊らは天子が殿前に臨み、諸門に陛兵が並ぶときに乗じて大将軍を殺し、夏侯玄に代えさせ、張緝を驃騎将軍にしようとした。李豊は黄門監蘇鑠・永寧署令楽敦・冗従僕射劉賢らに「諸君は宮中にいて法を犯したことが多く、大将軍は厳格で毅然としてたびたびそれを言っているから、張当のことを戒めとすべきだ」とひそかに語り、蘇鑠らはみな命に従うと承諾した。 正史 魏書 巻9 §123–124

大将軍司馬師はその謀議をうすうす聞いて李豊に会見を求めた。李豊は知らずに出向き、その場で殺された。事件は担当の役所に下され、夏侯玄・張緝・蘇鑠・楽敦・劉賢らが捕らえられて廷尉に送られた。三少帝紀はこの年2月庚戌の条に、中書令李豊が張緝らと大臣を廃して替え、太常夏侯玄を大将軍にしようと謀ったが、事が発覚して連座した者はみな処刑されたと記す。 正史 魏書 巻9 §124正史 魏書 巻4 §39 · 43

廷尉鍾毓は、李豊らが至尊を脅迫し、冢宰をほしいままに殺そうと謀ったのは大逆無道であるとして、法どおりに論罪するよう願い出た。公卿・朝臣の議論も、李豊らはそれぞれ特別な寵愛を受けて機密を総べながら、禍をたくらむ心を抱き、宦官と結んで奸計を授けたとし、鍾毓が正したことはすべて法律の条文どおりであるとした。詔は、斉長公主が先帝の遺された愛児であるとしてその三人の息子の死罪を免じ、李豊・夏侯玄・張緝・楽敦・劉賢らはみな三族を滅ぼされ、そのほかの親族は楽浪郡に移された。 正史 魏書 巻9 §125–126

張緝は中書令李豊とともに謀って誅殺された。中領軍許允は李豊・夏侯玄と親しく、李豊らのことが発覚すると鎮北将軍に移されたが、出発前に官物をみだりに分け与えたことで捕らえられ、楽浪へ流される途中で死んだ。毌丘倹もまた夏侯玄・李豊らと親交が厚かった。 正史 魏書 巻15 §58正史 魏書 巻9 §128正史 魏書 巻28 §20

李豊のことは夏侯玄伝に載せられているだけで、彼の伝は別にない。巻9の評で陳寿は、夏侯玄は規範と度量で名高かったが曹爽と深く結びついて禍を免れられなかったと論じ、李豊については何も述べなかった。 正史 魏書 巻9 §122–126 · 132

演義の描写

演義第109回で、司馬師が剣を帯びたまま殿に上り、群臣の上奏をひとりで決裁すると、魏主曹芳は後殿に退き、そばに残った太常夏侯玄・中書令李豊・光禄大夫張緝とともに密室へ行って泣く。李豊は、臣は才はないものの陛下の明詔を奉じて四方の英傑を集め、この賊を討ち滅ぼしたいと奏上する。 演義 第109回 §24–27

曹芳が指先を噛み破って書いた血詔を張緝に与え、武皇帝が董承を誅したのは事を密にしなかったからだとして慎重にするよう念を押すと、李豊は、臣らは董承の輩ではなく、司馬師がどうして武祖に比べられようかと言い、疑わないよう求める。 演義 第109回 §28

三人は退出して出てくると、東華門の左手で剣を帯びてやって来る司馬師と出くわす。李豊は、聖上が夏・殷・周三代の書を御覧になって伊尹と周公のことを尋ねられたので、今の司馬大将軍こそ伊尹・周公であると申し上げたと言い繕うが、司馬師は三人の目がまだ涙で赤いと叱りつけ、身体を調べて張緝から血詔を見つけ出す。司馬師は三人を市で腰斬して三族を滅ぼさせ、三人は東市に至るまでに歯をすべて打ち落とされながらも、もごもごと罵りながら死ぬ。 演義 第109回 §29–33

第110回で毌丘倹の乱が平定されたのち、病に伏した司馬師は目の痛みが止まず、毎夜、李豊・張緝・夏侯玄の三人が寝台の前に立っているのを見る。 演義 第110回 §26

演義と異なる点

謀議を始めた人:演義第109回では、曹芳が三人を密室に呼んで泣き、血詔を書いて与える。正史では、本心が夏侯玄にあった李豊が張緝と結んで夏侯玄に政治を補佐させようと謀ったのであり、夏侯玄伝と三少帝紀に血詔は出てこない。公卿の議論はむしろ、李豊らが君主に強要し脅迫しようとしたとした。 演義 第109回 §26–28正史 魏書 巻9 §122–126正史 魏書 巻4 §43

決起の計画:演義第109回で李豊は、詔を奉じて四方の英傑を集めると言う。正史では、弟の兗州刺史李翼に兵を率いて入朝させようとし、貴人冊立の日に陛兵が並ぶときに乗じて大将軍を殺そうとし、蘇鑠・楽敦・劉賢ら宮中の者を引き入れた。 演義 第109回 §27正史 魏書 巻9 §123–124

発覚の経緯:演義第109回では、東華門で出くわした司馬師が涙の跡を見て身体を調べ、血詔を見つけ出す。正史では、司馬師が謀議をうすうす聞いて李豊に会見を求め、李豊は知らずに出向いた。 演義 第109回 §29–32正史 魏書 巻9 §124

死:演義第109回では、三人がともに市で腰斬される。正史で李豊は司馬師に会いに行ったその場で殺され、夏侯玄・張緝らは廷尉に引き渡され、鍾毓の上奏と公卿の議論を経たのち三族を滅ぼされた。東市で斬首されたのは夏侯玄である。 演義 第109回 §33正史 魏書 巻9 §124–126

張皇后:演義第109回で司馬師は、張緝の娘張皇后を東華門の内で白絹により絞め殺させる。正史の三少帝紀は、この事件の後、3月に皇后張氏を廃したとだけ記す。 演義 第109回 §36正史 魏書 巻4 §43

司馬師が見た三人:演義第110回で病の司馬師は、毎夜、李豊・張緝・夏侯玄が寝台の前に立っているのを見る。正史の三少帝紀は、司馬師が許昌で世を去ったとだけ記す。 演義 第110回 §26正史 魏書 巻4 §55

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率3331−2
  • 武力3131±0
  • 知力3535±0
  • 政治5040−10
  • 魅力4040±0
  • 徳3572+37
  • 処世2030+10
  • 文芸4540−5
  • 弁舌4540−5
  • 用人4035−5
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

政治正50推定演40推定 −10

正直接の記録なし — 特別な寵愛を受けて機密を総べた記録から推定魏書 巻9 §125

演直接の記録なし — 中書令の官から推定第109回 §26

処世正20演30 +10

正謀議が漏れたことを知らずに出向き、その場で殺された魏書 巻9 §124

演密室での謀議の直後に司馬師に会い、言い訳をして発覚した第109回 §30第109回 §31

近い項目 7件 — 根拠を見る
  • 統率正33推定演31推定 −2

    正直接の記録なし — 中書令の文官として推定魏書 巻9 §123

    演直接の記録なし — 中書令の文官として推定第109回 §26

  • 武力正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 文官として推定魏書 巻9 §123

    演直接の記録なし — 文官として推定第109回 §26

  • 知力正35演35 ±0

    正廃立の挙を謀ったが、発覚を知らずに呼び出されて死んだ魏書 巻9 §123魏書 巻9 §124

    演司馬師の前で言い繕ったが、涙の跡で露見した第109回 §29第109回 §31

  • 魅力正40推定演40推定 ±0

    正直接の記録なし — 張緝が彼を信じた記録から推定魏書 巻9 §123

    演直接の記録なし — 英傑を集めるという言葉から推定第109回 §27

  • 文芸・学術正45推定演40推定 −5

    正直接の記録なし — 盧毓に才と性行について尋ねた記録から推定魏書 巻22 §103

    演直接の記録なし — 天子に書を読んで差し上げたという言葉第109回 §29

  • 弁舌・外交正45演40 −5

    正宦官蘇鑠らを説いて命に従わせた魏書 巻9 §124

    演伊尹・周公になぞらえたと言い繕ったが、司馬師に見抜かれた第109回 §30

  • 識人・用人正40推定演35推定 −5

    正直接の記録なし — 中書令の官から推定魏書 巻9 §122

    演直接の記録なし — 中書令としての事績から推定第109回 §27

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(2回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

所属の変遷

  1. 魏 · 正史 · 正史 巻15 「中書令李豐」

家族

父母李義 正史

Wikidataの歴史・演義人物項目に基づく。推定バッジのない関係は正史原文でも確認済み。

関連事件(1)

ウィキペディア情報ボックス・原文キーワードの自動照合(推定)を含みます。