演義の場面
関雲長単刀赴会 關雲長單刀赴會
事件紹介
演義第66回の回目「関雲長単刀赴会」の場面である。荊州を取り戻そうという孫権の意向に従って魯粛が陸口に宴を設けて関羽を招くと、関羽は小舟に刀一振りと数人だけを連れて渡り、荊州の話を退け、魯粛の手を握ったまま舟まで歩いて帰って来る。 演義 第66回 §14–28
陳寿の本文は呉書巻9魯粛の伝に、魯粛と関羽が益陽で兵を百歩の外に置き、将軍たちだけが刀一振りずつを帯びて会見したことを記している。 正史 呉書 巻9 §50–52
演義の描写
演義第66回で、孫権は張昭の計に従って諸葛瑾の家族を偽って捕らえ、諸葛瑾を成都へ遣わす。諸葛亮が泣いて懇願すると、劉備は長沙・零陵・桂陽の三郡を返すという書状を書くが、荊州へ行った諸葛瑾に、関羽は将が外にある時は君命といえども受けないことがあると言って断り、孫権が遣わした三郡の役人たちも追い返す。 演義 第66回 §1–13
孫権に叱責された魯粛は陸口に兵を置いて関羽を宴に招き、説得できなければ刀斧手に殺させるつもりだと言う。関平と馬良が止めたが、関羽は澠池の藺相如を挙げて招きを受け、関平に快船十艘と水軍五百を江上に隠しておかせる。翌日、関羽は周倉が大刀を捧げ持つ小舟に乗り、屈強な者八、九人とともに渡って来る。 演義 第66回 §14–21
酒が回ると、魯粛は西川を得ながら荊州を返さないのは信義を失うことだと詰め寄り、関羽は烏林の戦いの功を挙げて、国家の事を宴席で論じるには及ばないと応じる。周倉が「天下の土地は、ただ徳ある者が居るのみ」と叫ぶと、関羽は彼を叱って下がらせるふりをして合図を送らせ、大刀を手にしたまま魯粛の手を取って江辺まで引いて行く。魯粛が傷つくのを恐れて呂蒙と甘寧は動けず、関羽は舟に乗ってからようやく魯粛を放す。 演義 第66回 §22–28
演義と異なる点
会見の場所と出で立ち:演義第66回では、関羽が数人だけを連れて陸口の魯粛の陣営へ渡る。正史魯粛の伝では、益陽で関羽と対峙していた魯粛が会見を求め、双方とも兵馬を百歩の外に置き、将軍たちだけが刀一振りずつを帯びて会見した。 演義 第66回 §15–21正史 呉書 巻9 §50
席上の問答:魯粛の伝で、魯粛が、土地を借りておきながら益州を得ても返さないと責めると、座にいた一人が、土地はただ徳のある所にあるだけだと言い、関羽は刀を執って立ち上がり「此れ自ら国家の事なり、是の人何をか知らん」と言って彼を下がらせた。演義はこの人を周倉とし、関羽が魯粛を捕まえて抜け出す段を加えた。 演義 第66回 §23–27正史 呉書 巻9 §51–52
三郡争いの結末:演義では曹操が攻めて来て孫権が事をやめる。陳寿の本文の呉主伝で、孫権は呂蒙に三郡を奪わせ、魯粛に関羽を防がせたが、曹操が漢中に入ると劉備が和睦を求め、荊州を湘水の東西に分けた。諸葛瑾はこの時孫権の返答を伝えた使者であった。 演義 第66回 §30正史 呉書 巻2 §20–21正史 呉書 巻9 §52正史 蜀書 巻2 §35
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