演義の場面

劫烏巣孟徳焼糧 劫烏巢孟德燒糧

事件紹介

「劫烏巣孟徳焼糧」は、演義第30回の回目「戦官渡本初敗績 劫烏巣孟徳焼糧」の後半の場面で、袁紹のもとを去ってきた許攸の計を受けた曹操が、袁紹軍に見せかけた5千の兵で烏巣を奇襲し、淳于瓊が守っていた兵糧をすべて焼き払う話である。烏巣の戦いを描いた場面である。 演義 第30回 §21–41

陳寿の本文にも同じ戦いがある。魏書巻1の武帝紀と巻6の袁紹伝は、建安5年(200)冬10月、許攸の勧めを受けた曹操が歩兵と騎兵5千を率いて夜に烏巣へ行き、淳于瓊らをみな斬ったと記す。 正史 魏書 巻1 §68–70正史 魏書 巻6 §53–54

演義の描写

第30回で徐晃と史渙が韓猛の兵糧車を焼くと、袁紹は烏巣を大軍で守るべきだという審配を鄴へ帰し、酒好きの淳于瓊に2万を与えて烏巣を守らせる。曹操の兵糧督促の手紙を手に入れた許攸は許昌を奇襲しようと言ったが袁紹に疑われ、息子や甥たちが獄に入れられたという知らせまで重なって、曹操に身を投じる。 演義 第30回 §16–25

裸足で走り出て許攸を迎えた曹操は、残りの兵糧を1年分、半年分、3か月分と重ねて偽ったが、許攸が差し出した自分の手紙を見てようやく事実を打ち明ける。許攸は、蒋奇の兵と偽って烏巣の兵糧を焼けば、袁紹の軍は3日のうちにおのずと乱れるだろうと言う。 演義 第30回 §27–32

曹操は疑う張遼をなだめ、本営と左右の伏兵を定めたうえで、自ら5千を率い、袁紹軍の旗を掲げ、草や薪を背負い、枚を銜んで夜に出発する。蒋奇の兵と偽って四更に烏巣に着くと四方に火を放ち、酒に酔って寝ていた淳于瓊は鉤に引っかけられて捕らえられる。救援に来た眭元進らも曹操が引き返して討ち取り、兵糧はすべて焼ける。曹操は淳于瓊の耳と鼻、指を切り落とし、馬に縛りつけて袁紹のもとへ送り返す。 演義 第30回 §33–41

演義と異なる点

許攸が来たわけ:演義第30回で許攸は、許昌奇襲を勧めて疑われ、審配が息子や甥たちを捕らえたという書状のために袁紹に追い出される。正史の武帝紀は、許攸が財を貪ったが袁紹が満たしてやれなかったからだとし、荀彧伝は、審配がその妻子を捕らえたので怒って袁紹に背いたと記す。 演義 第30回 §22–25正史 魏書 巻1 §69正史 魏書 巻10 §32

淳于瓊の最期:演義第30回で淳于瓊は捕らえられ、耳と鼻、指を切られて送り返される。正史の武帝紀では曹操が淳于瓊らを大いに破ってみな斬り、楽進伝は楽進がその首を斬ったと記す。 演義 第30回 §39–41正史 魏書 巻1 §70正史 魏書 巻17 §21

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

演義の登場回 (1)

正史の登場巻 (2)