演義の場面

関公賺城斬車胄 關公賺城斬車胄

事件紹介

関公賺城斬車胄は、演義第21回の回目「曹操煮酒論英雄、関公賺城斬車胄」の後半の場面で、袁術を阻みに徐州へ出た劉備を害そうとした徐州の車胄を、関羽が計略でおびき出して斬る段である。演義は、袁術の死後に劉備が軍馬を徐州に残したので、荀彧の計略に従って曹操が車胄にひそかに劉備を始末するよう命じるところから始まる。 演義 第21回 §41–42

陳寿の本文にも車胄が死んだことはある。蜀書巻2先主伝と巻6関羽伝、魏書巻1武帝紀は、劉備が下邳で徐州刺史車胄を殺したと記す。 正史 蜀書 巻2 §16正史 蜀書 巻6 §3正史 魏書 巻1 §56

演義の描写

演義第21回で、曹操の意向を伝えられた車胄は陳登と相談し、陳登は、劉備は民を呼び集めに出ているので、戻る時に甕城のそばに兵を伏せ、出迎えるふりをして斬るよう言う。しかし陳登は父陳珪の命でまずこのことを知らせに行き、先に戻ってきた関羽と張飛がこれを聞く。 演義 第21回 §42–44

関羽はすぐに戦おうとする張飛を止め、夜に乗じて曹操の兵に扮して車胄をおびき出そうと言う。曹操の旗を掲げた兵たちが張文遠の人馬だと言って城門を開けよと叫ぶと、ためらっていた車胄は千人を率いて出てきたが関羽に押されて引き返し、吊り橋のそばで城上の陳登が矢を射て阻んだので城を回って逃げ、関羽の刀に斬られる。関羽が車胄の首を掲げて見せると、城内の兵たちは矛を逆さにして降伏する。 演義 第21回 §44–47

後から着いた劉備は、曹操が来たらどうするのかと大いに驚いて後悔し、徐州に入ってみると、張飛はすでに車胄の一家をことごとく殺した後だった。陳登は曹操を退ける計略があると言う。 演義 第21回 §47–48

演義と異なる点

車胄を殺した人物:演義第21回では、関羽が計略で車胄をおびき出して斬り、劉備は後でこのことを聞いて驚き後悔する。正史先主伝は、劉備が下邳を押さえた後、朱霊らが帰ると徐州刺史車胄を殺し、関羽に下邳を守らせたと記し、関羽伝も劉備が車胄を襲って殺したと記す。 演義 第21回 §44–48正史 蜀書 巻2 §16正史 蜀書 巻6 §3

その後のこと:演義第21回では、陳登が曹操を退ける計略があると言う。正史武帝紀と先主伝では、劉備は車胄を殺した後に兵を起こして小沛に駐屯し、東海の昌覇が背くなど多くの郡県が曹操に背いて劉備についた。劉備は孫乾を送って袁紹と手を結んだ。 演義 第21回 §48正史 魏書 巻1 §56正史 蜀書 巻2 §16

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

演義の登場回 (1)

正史の登場巻 (3)