鄭倫
人物紹介
鄭倫は演義第113回に登場する魏の鄧艾の副将である。蜀漢の景耀元年(258)冬、姜維が祁山に出ると、鄧艾の命で穴掘りの兵五百を率い、夜に地下道をたどって蜀軍の左の陣営を襲う役を担う。のちに鄧艾が司馬望に陣法を競わせ、自ら祁山の背後を襲う際に先鋒となるが、山の角を曲がったところで伏兵に遭い、廖化の一刀のもとに斬られて死ぬ。 演義 第113回 §23–24 · 26 · 35 · 40
演義全120回のうち第113回の1回にのみ登場し、名が回目に入った回はない。鄭倫という名は陳寿の本文にも裴松之の注にもない。陳寿の本文の姜維伝は、姜維が芒水に駐屯してたびたび戦いを挑んだが、司馬望と鄧艾は渭水のほとりに堅く陣を構えて応じなかったこと、景耀元年(258)に姜維が諸葛誕の敗北を聞いて成都に帰ったことを記すのみで、祁山の地下道や陣法の競い合いはない。 演義 第113回 §26正史 蜀書 巻14 §40
演義の描写
演義第113回、蜀漢の景耀元年(258)冬、姜維は蜀兵二十万を起こして祁山へ進み、谷口に三つの陣営を築く。祁山の陣営にいた鄧艾はあらかじめ地勢を測り、わざと蜀軍が陣営を築く土地を残しておき、祁山の陣営から蜀軍の陣営までまっすぐ地下道を掘っていたが、その地下道はちょうど王含と蒋斌が築いた左の陣営の真ん中に通じている。 演義 第113回 §23–25
鄧艾は子の鄧忠と師纂にそれぞれ兵一万を率いて左右から突撃させ、副将の鄭倫を呼んで、穴掘りの兵五百を率い、その夜二更に地下道をたどってまっすぐ左の陣営に至り、帳の後ろの地中から押し出させる。陣営をまだ十分に築けず、あえて鎧を脱いで眠れずにいた王含と蒋斌は、陣中の真ん中で大騒ぎが起こるのを聞き、陣営の外から鄧忠が攻め込んでくると、内外から挟撃されて陣営を捨てて逃げる。しかし姜維がみだりに動くな、弓と弩で射るだけにせよと命じたので、魏軍は十数回突撃しても夜が明けるまで中へ攻め込めない。 演義 第113回 §26–28
翌日、祁山の前で陣法を競った鄧艾は、姜維が変じた長蛇巻地陣に閉じ込められて司馬望に救い出されるが、祁山の九つの陣営をすべて蜀軍に奪われ、渭水の南へ退く。鄧艾は、司馬望に翌日陣前で姜維と陣法を競わせ、自らは一軍を率いてひそかに祁山の背後を襲うことにして、鄭倫を先鋒とする。これを見抜いた姜維は、張翼と廖化に兵一万を率いて山の背後へ行き、伏兵させる。 演義 第113回 §29–33 · 35–36
鄧艾が先鋒の鄭倫を督励して山の背後を襲いに来ると、鄭倫がちょうど山の角を曲がったところで号砲が一発鳴り、鼓と角笛の音が天を揺るがして伏兵が繰り出す。先頭に立つ大将は廖化である。二人が言葉を交わす間もなく、両馬が交わるところで廖化が一刀のもとに鄭倫を馬下に斬って落とす。鄧艾は急ぎ兵を返して退こうとするが、張翼に挟撃されて大敗し、体に四本の矢を受けながら命がけで突破する。演義で鄭倫の名はこの回の三節にのみ出る。 演義 第113回 §40–41 · 26 · 35
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率48
- 武力38
- 知力35
- 政治31
- 魅力35
- 徳45
- 処世35
- 文芸31
- 弁舌31
- 用人31
項目別の根拠
演待ち伏せていた廖化と馬が交わったところで一刀のもとに斬られた第113回 §40
演直接の記録なし — 鄧艾の副将という役柄から推定第113回 §26
演直接の記録なし — 鄧艾の副将という役柄から推定第113回 §26
演直接の記録なし — 鄧艾の副将という役柄から推定第113回 §26
演直接の記録なし — 鄧艾の副将という役柄から推定第113回 §26
演直接の記録なし — 鄧艾の副将という役柄から推定第113回 §26
演直接の記録なし — 鄧艾の副将という役柄から推定第113回 §26
演直接の記録なし — 鄧艾の副将という役柄から推定第113回 §26
演直接の記録なし — 鄧艾の副将という役柄から推定第113回 §26
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。