演義の場面

姜維闘陣破鄧艾 姜維鬥陣破鄧艾

事件紹介

この場面は演義第113回の回目「姜維闘陣破鄧艾」の場面で、姜維の北伐のうち、祁山で姜維と鄧艾が地下道の奇襲と陣法で対峙し、長蛇巻地陣に閉じ込められた鄧艾が祁山の陣営九つを失うくだりである。演義はこれを蜀漢の景耀元年冬の事とし、鄧艾が広めた流言によって姜維が朝廷に呼び戻されて終わる。 演義 第113回 §23 · 32–33 · 42–43

陳寿の本文にこの陣法の戦いはない。蜀書巻14姜維伝は、景耀元年(258)姜維が成都に戻って再び大将軍となったとし、その後景耀5年(262)侯和に出て鄧艾に破られ、沓中に留まったと記す。 正史 蜀書 巻14 §40 · 43

演義の描写

演義第113回で、呉主孫休が、司馬昭が近く魏を簒奪して呉と蜀を攻めるだろうから備えよという国書を送ってくると、姜維は景耀元年冬、廖化・張翼を先鋒に20万を起こして祁山の谷口に三つの陣営を築く。鄧艾はわざと空けておいたその場所まであらかじめ地下道を掘っておき、夜に鄭倫の地下道部隊と鄧忠・師纂の軍で王含・蒋斌の左の陣営を内外から攻める。姜維がみだりに動かず弓と弩だけを射させたので、魏軍は十数回突撃しても入れず、鄧艾は姜維が孔明の法を深く会得していると嘆く。 演義 第113回 §23–28

翌日、姜維が武侯の八陣の法で陣を布くと、鄧艾も同じく布いて六十四の門に変えてみせる。互いに陣を囲み合ううちに姜維が旗を一振りして長蛇巻地陣に変えて鄧艾を閉じ込め、北西の隅を突いた司馬望が彼を救い出すが、その間に祁山の陣営九つをすべて奪われる。司馬望は、若い頃荊南に遊学した時に崔州平・石広元とこの陣を論じたと言う。 演義 第113回 §29–34

鄧艾は司馬望に陣前で姜維と陣法を競わせ、自らは祁山の背後を突こうとするが、これを見越した姜維は張翼・廖化を山の背後に伏せておき、廖化が先鋒鄭倫を一刀で斬ると、鄧艾は矢を4本受けて逃げる。司馬望の言に従い、鄧艾は襄陽の人党均に金や宝物を与えて成都の黄皓と結ばせ、姜維が天子を恨んで魏に降ろうとしているという噂を広めさせ、後主が姜維を呼び戻すと、姜維はわけも分からないまま軍を返す。 演義 第113回 §35–43

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

演義の登場回 (1)

正史の登場巻 (1)