徐栄 徐榮
人物紹介
徐栄は後漢末の董卓の将である。正史には独立した伝がなく、魏書巻1武帝紀と巻9諸夏侯曹伝の曹洪の記録に滎陽で曹操を破った将として、巻8二公孫陶四張伝に公孫度を遼東太守に推挙した董卓の中郎将として登場する。 正史 魏書 巻1 §9正史 魏書 巻9 §48正史 魏書 巻8 §37
初平元年(190)、董卓を討つため西進した曹操と滎陽の汴水で遭遇してこれを破り、曹操は矢を受けながら従弟の曹洪が差し出した馬で夜に乗じて逃れた。徐栄は曹操が少ない兵で終日力戦するのを見て、酸棗は容易に攻められないと考え、軍を返した。 正史 魏書 巻1 §7 · 9–10
正史に彼への評はなく、陳寿の本文は彼の字と死を記していない。演義では第6回に董卓を出迎える滎陽太守として登場し、全120回のうち1回だけに登場するが、回目に名が見える回はない。演義は、彼が伏兵を置いて曹操の肩を矢で射当て、追撃する途中で夏侯惇の槍に突かれて落馬する姿を描く。 演義 第6回 §15 · 18 · 21
正史の記録
初平元年(190)春正月、袁術・韓馥・袁紹らが同時に兵を挙げて袁紹を盟主に推すと、2月、董卓は天子を長安に移し、洛陽に留まって駐屯し宮殿を焼いた。董卓の軍が強く袁紹らは誰も先に進もうとしなかったため、曹操は兵を率いて西へ向かい成皋を押さえようとし、張邈は部将の衛茲に兵を分けて曹操に従わせた。 正史 魏書 巻1 §7–9
曹操は滎陽の汴水に至って董卓の将徐栄と遭遇して戦ったが、不利で士卒の死傷はきわめて多かった。曹操は流れ矢に当たり、乗っていた馬も傷を負ったが、従弟の曹洪が自分の馬を与えたので、夜に乗じて逃れることができた。徐栄は曹操の率いる兵が少ないのに終日力戦するのを見て、酸棗は容易に攻められないだろうと考え、やはり兵を率いて引き返した。 正史 魏書 巻1 §9–10
曹洪の記録はこの件を、曹操が義兵を挙げて董卓を討つため滎陽に至り、董卓の将徐栄に敗れたものと記す。曹操が馬を失い敵の追撃がきわめて急になると、曹洪は馬を降りて馬を差し出し、「天下にこの洪はいなくてもよいが、あなたはいなくてはなりません」と言った。徒歩で従って汴水に至ると、水辺に沿って船を見つけ、曹操とともに渡って譙へ逃げ帰った。 正史 魏書 巻9 §48
公孫度の記録によれば、徐栄は公孫度と同郡の人で、董卓の中郎将となって公孫度を遼東太守に推挙した。公孫度は玄菟の小吏の出であったため、遼東郡の人々に軽んじられた。 正史 魏書 巻8 §36–37
陳寿の本文で徐栄が登場するのはこの四つの節だけである。彼の字、その後の事績、死は記されておらず、正史に彼への評もない。 正史 魏書 巻1 §9–10正史 魏書 巻8 §37正史 魏書 巻9 §48
演義の描写
演義第6回で、董卓が滎陽の地に至ると太守の徐栄が出迎える。李儒は、洛陽を捨てたばかりなので追っ手があるかもしれないとして、徐栄に滎陽城外の山麓の堤のそばに兵を伏せさせ、追っ手が来たらそのまま通過させ、味方が敵を打ち破った後に道を断って襲いかからせようと言う。董卓はその計に従い、呂布に精兵で後方を防がせる。 演義 第6回 §15
諸侯が動かないため、曹操は自ら兵1万余りを率いて夜通し董卓を追うが、呂布と李傕・郭汜に大敗して滎陽の方へ逃げる。荒れた山麓で散った兵を集め、鍋を据えて飯を炊こうとしていた二更の頃、四方から喊声が上がり、徐栄の伏兵がことごとく繰り出す。道を切り開いて逃げる曹操は徐栄と出くわすと身を翻して逃げ、徐栄の放った矢が曹操の肩に当たる。 演義 第6回 §14 · 16–18
曹操は草むらに潜んでいた二人の兵の槍で馬を失って捕らえられるが、曹洪に救い出され、曹洪に背負われて川を渡る。夜明け頃、徐栄は上流で川を渡って再び追ってくるが、夏侯惇と夏侯淵が数十騎を率いて駆けつけ、「徐栄、我が主公を傷つけるな」と叫ぶ。徐栄はまっすぐ夏侯惇に向かっていくが、数合で夏侯惇の槍に突かれて落馬し、残りの兵は散り散りになる。 演義 第6回 §18–21
演義と異なる点
職責:演義第6回で徐栄は董卓を出迎える滎陽太守である。正史では、武帝紀と曹洪の記録が彼を董卓の将とし、公孫度の記録は董卓の中郎将と記す。 演義 第6回 §15正史 魏書 巻1 §9正史 魏書 巻9 §48正史 魏書 巻8 §37
戦いの経緯:演義第6回では、李儒の計略により徐栄が滎陽城外に伏兵を置き、呂布らに敗れて逃げる曹操軍を夜中に襲う。正史の武帝紀では、成皋を押さえようと西へ向かった曹操が滎陽の汴水に至って徐栄と遭遇して戦ったが、不利であった。武帝紀と曹洪の記録には、伏兵の計略も、呂布・李傕・郭汜と先に戦ったことも記されていない。 演義 第6回 §15 · 17正史 魏書 巻1 §9正史 魏書 巻9 §48
曹操の負傷:演義第6回では徐栄の放った矢が曹操の肩に当たる。正史の武帝紀は、曹操が流れ矢に当たり乗っていた馬も傷を負ったと記すだけで、誰が射たのか、どこに当たったのかは明らかにしていない。 演義 第6回 §18正史 魏書 巻1 §9
曹洪の救援:演義第6回で曹洪は曹操を捕らえた二人の兵を斬って馬を差し出し、川に至ると曹操を背負って渡る。正史の曹洪の記録では、曹洪は馬を差し出して徒歩で従い、汴水で船を見つけてともに渡った。 演義 第6回 §18–20正史 魏書 巻9 §48
戦いの後:演義第6回で徐栄は川を渡って曹操を追ううち、夏侯惇の槍に突かれて落馬する。正史の武帝紀では、徐栄は少ない兵で終日力戦する曹操を見て酸棗は容易に攻められないと考え、兵を率いて引き返しており、陳寿の本文は彼の死を記していない。 演義 第6回 §20–21正史 魏書 巻1 §10
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能力値
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
- 統率7262−10
- 武力4855+7
- 知力5540−15
- 政治4038−2
- 魅力4038−2
- 徳4040±0
- 処世5040−10
- 文芸3331−2
- 弁舌3533−2
- 用人5533−22
演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上
近い項目 6件 — 根拠を見る
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。