張節
人物紹介
張節は演義第119回に登場する魏の黄門侍郎である。晋王の位に就いた司馬炎が剣を帯びて宮中に入り、魏主曹奐に才徳ある者に譲って治めさせよと言うと、そばにいた張節が「晋王のお言葉は誤りである!」と大声で叫ぶ。このことを行おうとするなら国を簒奪する賊であると言い返し、大いに怒った司馬炎の叱咤により、武士たちに殿の下で棍棒で打ち殺される。 演義 第119回 §37–38 · 40
演義全120回のうち第119回の1回にのみ登場し、名が回目に入った回はない。演義は「憐れむべし張節、国に忠して死せしも」という句を含む後人の詩で彼を嘆く。この黄門侍郎張節は陳寿の本文にも裴松之の注にも見えない。陳寿の本文の三少帝紀は、12月壬戌の日に曹奐が壇を設けさせ、使者を遣わして晋の嗣王に禅譲したとだけ記す。 演義 第119回 §42正史 魏書 巻4 §150
演義の描写
演義第119回で司馬昭が中風で口がきけなくなって死ぬと、何曽の言に従ってその日のうちに司馬炎が晋王の位に就く。葬儀を終えた司馬炎は賈充と裴秀を宮中に呼び、曹丕でさえ漢の大統を継いだのに、孤がどうして魏の大統を継げぬことがあろうかと問う。二人は再拝し、曹丕が漢を継いだ故事に倣って再び受禅壇を築き、大位に就くよう奏上する。 演義 第119回 §34–37
司馬炎は大いに喜び、翌日剣を帯びて宮中に入り、何日も朝会を開いていなかった魏主曹奐は慌てて御榻から下りて出迎える。司馬炎は魏の天下は誰の力で得たものかと問い、曹奐がすべて晋王の父祖から賜ったものだと答えると、陛下は文では道を論じられず武では国を治められないのに、なぜ才徳ある者に譲って治めさせないのかと言う。曹奐が大いに驚いて口がこわばり物も言えずにいると、そばにいた黄門侍郎張節が「晋王のお言葉は誤りである!」と大声で叫ぶ。 演義 第119回 §37–38
張節は、かつて魏の武祖皇帝は東を掃い西を除き、南を征し北を討って、容易ならずこの天下を得たのであり、今の天子は徳があって罪もないのに、何ゆえ人に譲るのかと詰め寄る。司馬炎は大いに怒り、この社稷はもともと大漢の社稷であり、曹操は天子を擁して諸侯に号令し漢室を簒奪したのであって、祖父と父の三代が魏を輔けたのだから、天下を得たのは曹氏の能力ではなく実に司馬氏の力だと言う。 演義 第119回 §39
張節がさらに「このことを行おうとするなら国を簒奪する賊である!」と言うと、司馬炎は、自分は漢の皇室のために仇を討つのだから何がいけないのかと大いに怒り、武士たちを叱りつけて張節を殿の下で棍棒でめった打ちにして殺させる。曹奐は涙を流してひざまずいて詫び、司馬炎が殿を下りて去ると、賈充は曹奐に、天数は尽きたので漢の献帝の故事に従って受禅壇を築き、晋王に帝位を禅譲するよう言う。 演義 第119回 §40
曹奐はその言に従って賈充に受禅壇を築かせ、12月甲子の日、自ら伝国の玉璽を捧げて壇上に立ち、文武の官を集める。演義はこの場に「魏は漢室を呑み晋は曹を呑む、天運は循環して逃るべからず。憐れむべし張節、国に忠して死せしも、一拳いかでか泰山の高きを障えん」という後人の詩を載せる。司馬炎は魏の大統を継いで国号を大晋とし、年号を泰始元年と改め、演義は魏がついに滅んだと記す。 演義 第119回 §41–42 · 45
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率31
- 武力31
- 知力40
- 政治40
- 魅力40
- 徳86
- 処世28
- 文芸42
- 弁舌50
- 用人35
項目別の根拠
演直接の記録なし — 魏の黄門侍郎という役割から推定第119回 §38
演直接の記録なし — 魏の黄門侍郎という役割から推定第119回 §38
演直接の記録なし — 魏の黄門侍郎という役割から推定第119回 §38
演直接の記録なし — 魏の黄門侍郎という役割から推定第119回 §38
演直接の記録なし — 魏の黄門侍郎という役割から推定第119回 §38
演直接の記録なし — 魏の黄門侍郎という役割から推定第119回 §38
演直接の記録なし — 魏の黄門侍郎という役割から推定第119回 §38
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。