楊済 楊濟
| 職業 | 演武将 · 冠軍将軍 | 所属 | |
|---|---|---|---|
| 登場 | 演 | 収録 | |
| 実在 | 架空 | 言及 |
人物紹介
楊済は演義第120回で、晋の皇帝司馬炎が呉を討つ際に名が出る晋の将である。杜預の上表と張華の勧めによって司馬炎は出兵を決め、鎮南大将軍杜預を大都督として諸将を幾つもの道に分けて出す。演義は続けて、冠軍将軍楊済に襄陽に出て駐屯し、諸方面の人馬を統制させたと記す。 演義 第120回 §31–34
演義全120回のうち第120回の1回・一節にのみ名が見え、名が回目に入った回はなく、彼がみずから語ったり動いたりする場面もない。陳寿の本文にも裴松之の注にも見えない。陳寿の本文の三嗣主伝は、天紀3年(279)冬に晋が司馬伷・王渾・王戎・胡奮・杜預らを幾つもの道から出し、王濬と唐彬に長江を下らせ、太尉賈充を大都督としたと記すだけで、楊済の名はない。 演義 第120回 §34正史 呉書 巻3 §74 · 78
演義の描写
演義第120回で、咸寧4年(278)に入朝した羊祜は司馬炎に、孫皓の暴虐はすでに甚だしく、今なら戦わずして勝てると奏上し、その年の11月に病が重くなると、見舞いに来た司馬炎に右将軍杜預を推挙して世を去る。司馬炎は羊祜の言に従って杜預を鎮南大将軍・都督荊州事とし、杜預は襄陽で民を慰撫し兵を養って呉を討つ準備をする。 演義 第120回 §22–25 · 28
呉主孫皓が宴のたびに臣下を泥酔させて過失を奏上させ、罪を犯した者の顔の皮を剥いだり目をえぐったりすると、晋の益州刺史王濬が呉を討つよう上疏する。司馬炎は意を決するが、侍中王渾がもう一年遅らせるよう求めると兵を止める。しかし杜預が、今中止すれば孫皓は都を武昌に移して江南の諸城を修築するであろうという上表を送り、ともに碁を打っていた秘書丞張華が碁盤を押しのけて、今討てば労せずして平定できると奏上する。 演義 第120回 §29–33
司馬炎はただちに殿上に昇り、鎮南大将軍杜預を大都督として兵10万を率いて江陵に向かわせ、鎮東大将軍琅邪王司馬伷は涂中へ、安東大将軍王渾は横江へ、建威将軍王戎は武昌へ、平南将軍胡奮は夏口へと、それぞれ兵5万を率いて進ませ、みな杜預の指揮に従わせる。また竜驤将軍王濬と広武将軍唐彬に長江に船を浮かべて東へ下らせ、水陸の兵は20余万、戦船は数万艘に及ぶ。そして冠軍将軍楊済には襄陽に出て駐屯し、諸方面の人馬を統制させる。 演義 第120回 §33–34
知らせを聞いた孫皓は丞相張悌に兵を率いて出させ、中常侍岑昏の計に従って長江の要所ごとに鉄の鎖を張り渡し、水中に鉄の錐を沈めさせる。杜預は江陵に進んで呉軍を大いに破り、孫歆と陸景は晋の将たちに斬られ、王濬は藁人形を立てた筏で鉄錐を抜き取り、麻油を注いだ大きな松明で鉄鎖を焼き切りながら長江を下ってくる。張悌は戦って乱軍の中で死ぬ。 演義 第120回 §35–40 · 44–45 · 47
晋軍が城に入ると、孫皓は棺を車に載せ、みずから身を縛って王濬の陣前に出て降伏し、晋の皇帝は彼を帰命侯に封じる。演義で楊済の名が見えるのは出兵命令を記した一節だけで、襄陽に駐屯した後のことは記されていない。 演義 第120回 §55 · 60 · 34
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率50
- 武力38
- 知力40
- 政治40
- 魅力40
- 徳45
- 処世40
- 文芸35
- 弁舌35
- 用人38
項目別の根拠
演襄陽に駐屯し諸方面の人馬を統制第120回 §34
演直接の記録なし — 冠軍将軍任命の一行から推定第120回 §34
演直接の記録なし — 冠軍将軍任命の一行から推定第120回 §34
演直接の記録なし — 冠軍将軍任命の一行から推定第120回 §34
演直接の記録なし — 冠軍将軍任命の一行から推定第120回 §34
演直接の記録なし — 冠軍将軍任命の一行から推定第120回 §34
演直接の記録なし — 冠軍将軍任命の一行から推定第120回 §34
演直接の記録なし — 冠軍将軍任命の一行から推定第120回 §34
演直接の記録なし — 冠軍将軍任命の一行から推定第120回 §34
演直接の記録なし — 冠軍将軍任命の一行から推定第120回 §34
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。
演義の登場回(1回)
登場登場なし 登場回の一覧 →