黄氏 黃氏
| 職業 | 正演その他 | 所属 | |
|---|---|---|---|
| 登場 | 正演 | 収録 | |
| 実在 | 実在 | 言及 | 正1回 |
人物紹介
黄氏は、演義第117回で諸葛瞻の母であり黄承彦の娘として紹介される諸葛亮の妻である。演義は、彼女は容貌がひどく醜かったが奇才があり、上は天文に通じ、下は地理を察し、韜略や遁甲に関するあらゆる書で知らないものはなかったと記す。 演義 第117回 §27
諸葛亮は南陽にいたときその賢さを聞いて妻に迎えたいと願い、演義は諸葛亮の学問には夫人の助けが多かったという。諸葛亮が死ぬと夫人もまもなく世を去ったが、臨終に残した教えは、ただ忠と孝をもって子の諸葛瞻を励ますことであった。 演義 第117回 §27–28
演義全120回のうち第117回の1回にだけ登場し、名が回目に入った回はない。陳寿の本文には出てこず、裴松之の注にだけ記録がある。陳寿の本文の諸葛亮伝は諸葛瞻の母を明らかにしておらず、はじめ諸葛亮に子がなかったので兄諸葛瑾の次男諸葛喬を後継ぎとし、建興12年(234)に諸葛亮が諸葛瑾に送った手紙で、瞻は今8歳になったと述べたと記す。 演義 第117回 §27正史 蜀書 巻5 §56 · 59
演義の描写
演義第117回で、江油城を奪った鄧艾は陰平の間道の諸部隊を集めてまっすぐ涪城へ向かい、涪城の官吏・兵士・民はみな降伏する。蜀の人が飛ぶように成都へ知らせ、遠近から急を告げる上表が雪片のように舞い込むが、後主が朝議を開いて協議しても、多くの官員は顔を見合わせるばかりで一言もない。このとき郤正が班列から進み出て、武侯の子を呼んで敵兵を退ける策を協議するよう奏上する。 演義 第117回 §25–27
演義はここで武侯の子諸葛瞻を紹介し、その母の黄氏こそ黄承彦の娘であると明かす。母は容貌がひどく醜かったが奇才があり、上は天文に通じ、下は地理を察し、韜略や遁甲に関するあらゆる書で知らないものはなかった。武侯は南陽にいたときその賢さを聞き、妻に迎えたいと願った。 演義 第117回 §27
演義は、武侯の学問には夫人の助けが多かったと言い、武侯が死ぬと夫人もまもなく世を去り、臨終に残した教えはただ忠と孝をもって子の諸葛瞻を励ますことであったと記す。続いて、諸葛瞻は幼いころから聡明で、後主の娘を娶って駙馬都尉となり、父の武郷侯の爵位を継いだが、黄皓が権力をふるうようになると病と称して出仕していなかったという。 演義 第117回 §28
後主は郤正の言に従って続けざまに三度詔を下して諸葛瞻を呼び寄せ、諸葛瞻は成都の将兵7万を受けて、長男の諸葛尚を先鋒とし、魏軍を迎え撃ちに出る。演義で黄氏の名が出てくるのは、諸葛瞻を紹介するこの場面だけである。 演義 第117回 §28–30
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率31
- 武力31
- 知力68
- 政治40
- 魅力45
- 徳72
- 処世45
- 文芸82
- 弁舌38
- 用人42
項目別の根拠
演直接の記録なし — 諸葛亮の夫人という役割から推定第117回 §27
演直接の記録なし — 諸葛亮の夫人という役割から推定第117回 §27
演奇才があり、韜略・遁甲の書をすべて知っていた第117回 §27
演直接の記録なし — 諸葛亮の夫人という役割から推定第117回 §27
演直接の記録なし — 諸葛亮の夫人という役割から推定第117回 §27
演臨終に忠と孝をもって子の諸葛瞻を励ました第117回 §28
演直接の記録なし — 諸葛亮の夫人という役割から推定第117回 §27
演直接の記録なし — 諸葛亮の夫人という役割から推定第117回 §27
演直接の記録なし — 諸葛亮の夫人という役割から推定第117回 §27
スペシャル — 才能 演義 +25
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占術・天文
演名手 +25 上は天文に通じ、下は地理を察した第117回 §27
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。