成済 成濟

正史演義 魏 Cheng Ji성제成济

プロフィール
職業正文官 · 太子舎人所属魏
登場正演収録
出生正? 演? 推定出身地
死去正260年 演(同じ) 推定死去地
死因正処刑 演処刑 推定
実在実在言及正10回

人物紹介

成済は魏の太子舎人で、騎督成倅の弟である。甘露5年(260)5月、高貴郷公が車駕に従う人々と兵を率いて大将軍司馬昭の居所へ向かった時、兵陣に躍り込んで高貴郷公を傷つけ、命を落とさせた。司馬昭は彼を捕らえて軍法を執行し、その家族を廷尉に引き渡した。 正史 魏書 巻4 §97–98 · 107 · 109

正史には独立した伝がなく、陳寿の本文では司馬昭の上奏と太后の詔にのみ現れる。演義には第114回にのみ登場し、全120回のうち1回に登場するが、名が回目に入った回はない。演義は、彼が賈充の言葉を聞いて曹髦を戟で刺し殺したのち、司馬昭の命で舌を切られ三族を滅ぼされる姿を描く。 正史 魏書 巻4 §107–110演義 第114回 §12–13 · 16–17

正史の記録

甘露5年(260)夏4月、大将軍司馬昭を相国とし、晋公に封じて九錫を加えよとの詔が再び下された。5月己丑の日、高貴郷公が死んだ。二十歳であった。 正史 魏書 巻4 §97–98

皇太后の令によれば、高貴郷公は太后を害し大将軍を捕らえようとして、侍中王沈・散騎常侍王業・尚書王経を呼び、懐中の詔を見せたが、王沈と王業はただちに大将軍のもとへ駆けつけて知らせた。高貴郷公は左右を率いて雲龍門を出て、太鼓を鳴らし、自ら刀を抜いて軍陣の間に入ったが、先鋒に害された。 正史 魏書 巻4 §100–101

同月戊申の日、大将軍司馬昭は上書した。高貴郷公が車駕に従う人々と兵を率い、刀を抜き鉦と太鼓を鳴らして自分の居所へ向かってきたので、刃が交わることを恐れて将兵に危害を加えないよう命じ、命に背けば軍法で処すとした。ところが騎督成倅の弟である太子舎人成済がほしいままに兵陣に躍り込んで公を傷つけ、ついに命を落とさせたので、ただちに成済を捕らえて軍法を執行した、というのである。 正史 魏書 巻4 §107

司馬昭は、次々と重ねて命じて車駕に近づかせないようにしていたのに、成済が突然陣中に躍り込んで大変を引き起こしたと述べた。そして、法律では大逆無道の者は父母・妻子・兄弟姉妹をみな斬るとし、成済は凶悪で悖逆、国を犯し綱紀を乱したので、殺してもなお罪を償いきれないとして、侍御史に命じて成済の家族を捕らえ、廷尉に引き渡してその罪を裁かせたと上奏した。 正史 魏書 巻4 §108–109

太后は詔で、自分は婦人で大義に明るくないので、成済をただちに大逆とすることはできないと考えたが、大将軍の志が切実で言葉が哀切であるから上奏のとおり聞き入れると述べた。そしてこれを遠近に広く布告して、その本末を知らせるよう命じた。陳寿の本文は、成済についてこれ以外のことを記していない。 正史 魏書 巻4 §109–110

演義の描写

演義第114回、甘露5年夏4月、晋公と九錫をめぐって司馬昭に詰め寄られた曹髦は、王沈・王経・王業を呼んで司馬昭を討つと言う。王沈と王業は司馬昭に知らせに行き、曹髦は焦伯に殿中の宿衛と蒼頭・官僮300余人を集めさせ、剣を手に輦に乗って雲龍門へ進む。 演義 第114回 §6–11

そこへ賈充が軍服姿で馬に乗り、左に成倅、右に成済を従え、鉄甲をまとった禁軍数千人とともに攻め込んでくる。禁軍が曹髦を見てあえて動けずにいると、賈充は成済に、司馬公がお前を養ったのはまさに今日のような事のためだと言う。成済が殺すべきか縛るべきかと問うと、賈充は司馬公の命がある、死んだものだけをお望みだと答える。成済は戟で曹髦の胸を刺して輦の外に突き落とし、もう一度刺して刃を背中まで貫かせて殺し、槍を構えて立ち向かう焦伯も刺し殺す。 演義 第114回 §12–13

司馬昭は曹髦が死んだのを見ると大いに驚いたふりをして泣き、臣下を集めてこの事をどの法で処すべきかを問う。陳泰が賈充一人を斬るべきだと言うと、司馬昭は、成済は大逆無道であるから凌遅刑に処し、その三族を滅ぼせと言う。成済は、自分の罪ではない、賈充がお前の命令を伝えたのだと司馬昭を大いに罵り、司馬昭はまずその舌を切らせる。成済は死ぬまで無実を叫び続け、弟の成倅も市で斬られ、三族がことごとく滅ぼされる。回末の詩は、司馬氏が賈充に命じて君主を弑しながら、成済の三族を斬ったと詠む。 演義 第114回 §14–18

演義と異なる点

起きた時期:演義第114回は、甘露5年夏4月、司馬昭が晋公と九錫をめぐって曹髦に詰め寄った直後にこの事件が起きたように描く。正史で4月は司馬昭を相国・晋公とし九錫を加えよとの詔が再び下された月であり、高貴郷公が死んだのは5月己丑の日である。 演義 第114回 §6–13正史 魏書 巻4 §97–98

兄弟関係:演義第114回は成倅を成済の弟と記す。正史では成済が騎督成倅の弟である。 演義 第114回 §17正史 魏書 巻4 §107

賈充の言葉:演義第114回で成済は、賈充から司馬公の命であり死んだものだけを望んでいると聞いて曹髦を刺す。陳寿の本文に賈充は登場せず、司馬昭は上奏で、危害を加えるなと重ねて命じたのに成済がほしいままに兵陣に躍り込んだと述べた。 演義 第114回 §12–13正史 魏書 巻4 §107–108

刺した様子:演義は、成済が戟で曹髦を二度刺して刃を背中まで貫かせ、焦伯まで刺し殺す様子を描く。陳寿の本文は、成済が兵陣に躍り込んで公を傷つけ、命を落とさせたとだけ記す。 演義 第114回 §13正史 魏書 巻4 §107

処罰を決めた経緯:演義では陳泰が賈充を斬れと言うと、司馬昭は代わりに成済を凌遅刑に処し三族を滅ぼせと言う。正史では司馬昭が、ただちに成済を捕らえて軍法を執行し家族を廷尉に引き渡したと上奏し、太后は成済をただちに大逆とすることはできないと考えたが、大将軍の意に従って聞き入れた。 演義 第114回 §16正史 魏書 巻4 §107 · 109–110

成済の最期の言葉:演義で成済は、賈充が命令を伝えたのだと司馬昭を罵り、舌を切られる。陳寿の本文には成済の言葉は出てこない。 演義 第114回 §16–17正史 魏書 巻4 §107–110

成倅の最期:演義では成倅も市で斬られる。陳寿の本文は、成済の家族を廷尉に引き渡して罪を裁かせたとだけ記し、成倅がどうなったかは記していない。 演義 第114回 §17正史 魏書 巻4 §109

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率3131±0
  • 武力5060+10
  • 知力3025−5
  • 政治3131±0
  • 魅力3131±0
  • 徳55±0
  • 処世1010±0
  • 文芸3131±0
  • 弁舌3131±0
  • 用人3131±0
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

近い項目 9件 — 根拠を見る

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(1回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

所属の変遷

  1. 魏 · 演義 · 演義 第114回 「贾充呼成济曰:“司马公养你何用」 · Q124672242

家族

兄弟姉妹成倅 演義・正史

Wikidataの歴史・演義人物項目に基づく。推定バッジのない関係は正史原文でも確認済み。

関連事件(2)

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