陳端
| 職業 | 正謀士 | 所属 | |
|---|---|---|---|
| 登場 | 正 | 収録 | |
| 出生 | 出身地 | 広陵郡 | |
| 実在 | 実在 | 言及 | 正4回 |
人物紹介
陳端は字を子正といい、広陵の人張紘と同郡の人である。孫策が会稽を手に入れて長吏を新たに置いたとき、張昭・張紘・秦松らとともに主要な謀主となり、張紘とともに孫策に厚遇されて謀議に参与した。正史には独立した伝がなく、呉書巻1孫破虜討逆伝と巻8張厳程闞薛伝の張紘の記録に見える。 正史 呉書 巻8 §2 · 10正史 呉書 巻1 §31
陳寿は秦松と陳端がいずれも早くに死んだと記すだけで没年を明らかにしておらず、巻8の評にも彼の名はない。演義には登場しない。 正史 呉書 巻8 §10 · 63
正史の記録
孫策は袁術を説いて江東平定に乗り出し、江を渡って転戦し、向かうところをことごとく破った。劉繇が軍を捨てて逃げると、孫策は浙江を渡って会稽を手に入れ、東冶を屠ったのち厳白虎らを打ち破り、長吏をすべて新たに置いた。 正史 呉書 巻1 §29–31
孫策は自ら会稽太守を兼ね、呉景を丹楊太守、孫賁を豫章太守とし、豫章を分けて廬陵郡を設け、孫賁の弟孫輔を廬陵太守、丹楊の人朱治を呉郡太守とした。このとき彭城の人張昭、広陵の人張紘、秦松、陳端らが主要な謀主となった。 正史 呉書 巻1 §31
張紘伝は末尾に、張紘と同郡の人である秦松は字を文表、陳端は字を子正といい、いずれも張紘とともに孫策に厚遇されて謀議に参与したと付け加え、二人とも早くに死んだと記す。張紘は広陵の人である。 正史 呉書 巻8 §2 · 10
陳寿の本文は陳端の官職と没年を記していない。巻8の評は、孫策が張紘を張昭に次いで厚遇したのにはもっともな理由があったと述べるだけで、陳端を別に論じてはいない。 正史 呉書 巻1 §31正史 呉書 巻8 §10 · 63
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
演義に登場しない人物のため、正史(陳寿『三国志』本文)の点数のみです。
- 統率33
- 武力31
- 知力55
- 政治45
- 魅力45
- 徳45
- 処世40
- 文芸45
- 弁舌42
- 用人40
項目別の根拠
正直接の記録なし — 孫策の謀主という役割から推定呉書 巻1 §31
正直接の記録なし — 孫策の謀主という役割から推定呉書 巻1 §31
正直接の記録なし — 孫策の謀主という役割から推定呉書 巻1 §31
正直接の記録なし — 孫策の謀主という役割から推定呉書 巻1 §31
正直接の記録なし — 孫策の謀主という役割から推定呉書 巻1 §31
正直接の記録なし — 孫策の謀主という役割から推定呉書 巻1 §31
正直接の記録なし — 孫策の謀主という役割から推定呉書 巻1 §31
正直接の記録なし — 孫策の謀主という役割から推定呉書 巻1 §31
正直接の記録なし — 孫策の謀主という役割から推定呉書 巻1 §31
正史 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。