演義の場面
仮投降巧計成虚話 假投降巧計成虛話
事件紹介
この場面は演義第119回の回目「仮投降巧計成虚話」の場面で、鍾会の乱において偽って降伏し鍾会をそそのかしていた姜維の計が魏の将たちの蜂起によって崩れ、鍾会・姜維・鄧艾が相次いで死ぬくだりである。演義は姜維が死んだ時の年を59とする。 演義 第119回 §1 · 6 · 16–19
陳寿はこの事を魏書巻28鍾会伝・鄧艾伝と蜀書巻14姜維伝に記した。鍾会伝は、咸熙元年(264)正月18日、胡烈の兵を皮切りに諸軍の兵が立ち上がって姜維と鍾会を殺したとし、鄧艾伝は衛瓘が遣わした田続らが綿竹の西で鄧艾を斬ったと記す。 正史 魏書 巻28 §127–128 · 81正史 蜀書 巻14 §48
演義の描写
演義第119回で姜維は鍾会に、監軍衛瓘に鄧艾を捕らえさせよと勧める。鄧艾が衛瓘を殺せば謀反が明らかになるという計算だったが、衛瓘は檄文でまず鄧艾の部将たちを寝返らせ、明け方に寝台の鄧艾父子を捕らえて檻車に載せる。鄧艾の兵までも握った鍾会に、姜維は韓信と大夫種の事を挙げて、退いて隠れるか早く良策を図るかせよとそそのかし、後主には数日の恥を忍べば社稷を再び安らかにするという密書を送る。 演義 第119回 §1–6
司馬昭が長安に来ているという書状に、鍾会が西蜀に退いても劉備くらいにはなれると意を固めると、姜維は郭太后の遺詔を偽って掲げるよう勧め、自分が先鋒になると言う。元宵佳節の宴で鍾会は剣を抜いて将たちに署名させて宮中に閉じ込め、姜維は従わない者を穴に埋めよと言う。しかし丘建がこれを胡烈に知らせ、胡烈の子胡淵と諸営の将たちは衛瓘とともに正月18日の正午に攻め込むことにする。 演義 第119回 §7–14
魏の将たちを殺しに出ようとした姜維は突然胸の痛みで倒れ、その時四方から兵が押し寄せる。鍾会は矢に当たって倒れ、姜維は「わが計成らず、これ天命なり!」と叫んで自ら首をはねて死ぬ。衛瓘は鄧艾が戻れば自分の立つ瀬がないとして田続に綿竹で鄧艾父子を斬らせ、張翼と太子劉璿、漢寿亭侯関彝も乱軍の中で死ぬ。 演義 第119回 §15–19 · 22
演義と異なる点
姜維の計:演義第119回で姜維は鍾会をそそのかして事を起こさせながら、後主にひそかに社稷を復興するという書を送る。正史姜維伝は、鍾会が姜維と同じ車に乗り同じ席に座るほど親しくし、彼に兵5万を与えて先鋒にしようとしたとだけ記し、姜維の計と密書は陳寿の本文にない。 演義 第119回 §5–6正史 蜀書 巻14 §48
鄧艾を捕らえた経緯:演義第119回では姜維の謀で鍾会が衛瓘に鄧艾を捕らえさせる。正史鍾会伝では、詔によって鄧艾を檻車で召還させたが、司馬文王は鄧艾が命に従わないことを恐れて鍾会に成都へ進ませ、監軍衛瓘が先に行って文王の自筆の命令で諭すと、鄧艾の軍はみな武器を置いた。 演義 第119回 §1–3正史 魏書 巻28 §121
姜維の死:演義第119回で姜維は胸の痛みで倒れた後、自ら首をはねて死ぬ。正史鍾会伝では、姜維は鍾会の側近を率いて戦い、自ら5、6人を殺したが、兵たちに斬られた。 演義 第119回 §16–17正史 魏書 巻28 §128
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