演義の場面

鄧士載智敗姜伯約

事件紹介

この場面は演義第111回の回目「鄧士載智敗姜伯約」の場面で、段谷の戦いにおいて鄧艾が姜維の動きを見越して武城山を先に押さえた後、上邽へ向かう姜維を段谷の伏兵で大いに破るくだりである。演義は、この戦いの後、姜維が武侯の街亭の前例にならい自ら後将軍に降格したという。 演義 第111回 §11–14 · 18–19 · 22

陳寿はこの戦いを蜀書巻14姜維伝・巻3後主伝と魏書巻28鄧艾伝・巻4三少帝紀に記した。姜維伝は、延熙19年(256)姜維が胡済と上邽で会う約束をしたが胡済が来なかったため段谷で鄧艾に破られたとし、鄧艾伝は鄧艾が武城山に拠って対峙した後、段谷で大いに破ったと記す。 正史 蜀書 巻14 §38正史 蜀書 巻3 §36正史 魏書 巻28 §65正史 魏書 巻4 §76

演義の描写

演義第111回で、狄道の包囲を解いた功で安西将軍となった鄧艾は、姜維は力が尽きて二度と出てこられないだろうと言う陳泰に、蜀軍が必ず出てくる理由を五つ挙げ、雍州・涼州の兵を調練して狭い要所ごとに陣営を築く。鍾提で樊建が止めたが、姜維は魏に勝てる理由を五つ挙げて祁山へ進む。 演義 第111回 §1–8

祁山に魏軍の陣営九つが長蛇のように連なっているのを見た姜維は、鮑素に谷口を守らせて鎧や旗を替えながら偵察させ、自分がいるように見せかけ、自ら大軍を率いて董亭を経て南安を奇襲しに行く。偵察の騎兵の馬が疲れているのを見てこれを見抜いた鄧艾は陳泰に祁山の陣営を攻めさせ、自らは夜通し倍の道を駆けて武城山を先に押さえた後、子の鄧忠と師纂を段谷に伏せる。 演義 第111回 §8–14

武城山の下に至った姜維は、山上から攻め下った鄧艾に先鋒を大いに破られ、毎夜鳴る太鼓と角笛、火をつけた車に阻まれて陣営を築けない。夏侯覇を武城山に残して上邽へ向かった姜維は、谷の名が段谷だと聞いて「断たれた谷だ」と驚くが、その時鄧忠・師纂と鄧艾が三方から挟撃して蜀軍は大敗する。祁山の陣営も陳泰に破られ鮑素が戦死したと知った姜維は間道を退くうちに陳泰に囲まれ、蕩寇将軍張嶷が突入して救うが矢に当たって死ぬ。姜維は武侯の街亭の前例どおり自ら後将軍に降格する。 演義 第111回 §15–22

演義と異なる点

敗北の理由:演義第111回で姜維は夏侯覇を武城山に残し、一人上邽へ向かって段谷の伏兵に遭う。正史姜維伝は、姜維が鎮西大将軍胡済と上邽で会う約束をしたが、胡済が約束を破って来なかったため段谷で鄧艾に破られたと記す。 演義 第111回 §18–19正史 蜀書 巻14 §38

張嶷の死:演義第111回で蕩寇将軍張嶷は、段谷の戦いの後に包囲された姜維を救ううちに矢に当たって死ぬ。正史では、張嶷は延熙17年(254)姜維に従って狄道に出て、魏の将徐質と交戦した戦いで死んだ。 演義 第111回 §21正史 蜀書 巻13 §62–63

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

演義の登場回 (1)

正史の登場巻 (4)