演義の場面

姜維兵敗牛頭山

事件紹介

この場面は演義第107回の回目「姜維兵敗牛頭山」の場面で、姜維の北伐のうち、麹山の二城を救おうとした姜維が牛頭山で陳泰・郭淮に阻まれ、兵の大半を失って退くくだりである。演義は、魏の曹爽が誅殺され夏侯覇が蜀に投降した年の秋8月の事として描く。 演義 第107回 §38 · 42 · 51–53

陳寿はこの戦いを魏書巻22桓二陳徐衛盧伝の陳泰の記事に最も詳しく記し、巻26の郭淮の伝と蜀書巻3後主伝・巻14姜維伝にも短く記した。後主伝は、延熙12年(249)秋に姜維が雍州を攻めたが勝てずに帰還し、将軍句安と李韶が魏に降ったという。 正史 魏書 巻22 §39–41正史 魏書 巻26 §77正史 蜀書 巻3 §29正史 蜀書 巻14 §34

演義の描写

演義第107回で姜維は投降した夏侯覇を連れて後主に謁見し、司馬懿父子が権力を握り曹芳が惰弱なので魏は危ういとして出兵を願う。尚書令費禕は丞相でさえ成し遂げられなかったことだと止めるが、姜維は羌人と手を結べば隴より西は断ち切って保有できると言う。姜維は羌人に使者を送って同盟を結び、麹山の下に二城を築いて掎角の勢をなすことにする。 演義 第107回 §38–41

秋8月、句安と李歆が1万5千で麹山の前に二城を築くと、郭淮は陳泰に5万を与えて城を囲ませ漢中からの糧道を断たせた後、高い丘の上の城に水が少ないのを見て堰を築いて上流を断つ。渇いた城中の蜀軍は大雪を溶かして持ちこたえ、李歆はただ一人包囲を突破して姜維に危急を告げる。姜維は羌兵を待って遅れたと言う。 演義 第107回 §42–46

夏侯覇の言葉どおり姜維は雍州の手薄な背後を狙って牛頭山へ向かうが、陳泰はこれを見越して牛頭山で待ち受け、郭淮は洮水を押さえて蜀軍の糧道を断つ。姜維は陳泰を退けて牛頭山の下に陣を構えたが、糧道が断たれたと聞いて夏侯覇を先に退かせ、自ら殿を務める。五路から追う陳泰と洮水から攻め込んだ郭淮に兵の大半を失い陽平関へ逃れる姜維は、道を塞いだ司馬師を三合で退け、関に伏せておいた武侯の連弩が追ってくる司馬師を防ぐ。 演義 第107回 §47–55

演義と異なる点

水路を断った人物:演義第107回では郭淮が高い丘の上の城に水が少ないのを見て堰を築いて上流を断つ。正史魏書巻22の陳泰の記事では、陳泰が麹城は蜀から遠く食糧を運ばねばならないから包囲して取ろうと言い、郭淮がその計に従って陳泰に徐質・鄧艾らを率いて城を囲ませ、輸送路と城外の流水を断った。 演義 第107回 §43正史 魏書 巻22 §39–40

牛頭山の結末:演義第107回で姜維は牛頭山で陳泰と戦って勝ち持ちこたえるが、郭淮が洮水を押さえると退き、兵の大半を失う。正史陳泰伝では、陳泰が諸軍に戦わないよう命じ、郭淮に牛頭山へ向かって退路を断とうと持ちかけ、郭淮が洮水に陣を敷くと姜維は恐れて逃げ、孤立した句安らはみな降伏した。 演義 第107回 §51–53正史 魏書 巻22 §40–41

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演義の登場回 (1)

正史の登場巻 (4)