演義の場面
曹丕廃帝篡炎劉 曹丕廢帝篡炎劉
事件紹介
演義の描写
演義第80回で、華歆らは献帝に堯・舜の道に倣って魏王に禅譲するよう奏上し、李伏・許芝は麒麟・鳳凰・黄龍の瑞祥と「鬼、辺に在り、委、相連なる」で始まる図讖を解いて、魏が許昌で禅譲を受けるべきだと言う。献帝が瑞祥も図讖も虚妄だとして泣きながら後殿に入ると、百官はあざ笑って退く。 演義 第80回 §1–5
翌日、剣を帯びた曹洪・曹休が入って来ると、曹操の娘である皇后曹節は彼らを乱賊と罵り、兄が漢を簒奪しようとしていると言って泣きながら奥へ入る。華歆は竜袍をつかんで許すか許さないか一言言えと迫り、曹洪と曹休が剣を抜いて玉璽を出せと言うと、符宝郎の祖弼は天子の宝を渡すことはできないと罵り、引き出されて殺される。階下に並ぶ魏兵数百を見た献帝は、残りの命だけは保たせてほしいと言い、陳群に禅譲の詔を書かせる。 演義 第80回 §6–12
曹丕は司馬懿の言に従って上表して辞退し、献帝が桓階に作らせた二度目の詔と玉璽を張音に持たせて送ると、賈詡の言のとおりこれを再び送り返し、受禅台を築いて公然と禅譲させるようにする。献帝は繁陽に三層の壇を築き、10月庚午の日の寅の刻を選ぶ。 演義 第80回 §15–19
その日、献帝は官僚400余人と禁軍30余万の前で自ら玉璽を捧げて曹丕に献じ、曹丕は帝位に即いて延康元年を黄初元年と改め、国号を大魏とし、父を太祖武皇帝と追尊する。山陽公となった献帝は華歆に罵られる中その日のうちに去り、曹丕は「舜・禹の事、朕これを知れり」と言う。天地に答礼しようとした曹丕は怪しい風に驚いて倒れ、許昌の宮殿を嫌って洛陽へ移り、宮殿を大いに造営する。 演義 第80回 §20–28
演義と異なる点
禅譲の経緯:演義第80回では、華歆と曹洪・曹休が剣を手に献帝を追い詰め、符宝郎の祖弼が立ち向かって殺される。正史の文帝紀は、漢の皇帝は衆望が魏にあるため公卿を召して高廟に告げ、張音に璽綬を奉じさせて禅位したとだけ記し、追い詰める場面はない。 演義 第80回 §8–12正史 魏書 巻2 §13
山陽公:演義第80回で、献帝は禅譲の当日に山陽公に封じられ、その日のうちに追い出される。正史の文帝紀では、黄初元年11月癸酉の日、河内の山陽邑1万戸をもって漢の皇帝を山陽公とし、漢の正朔を用い、天子の礼で郊祭を行い、上書の際に臣と称さなくてよいとした。 演義 第80回 §24–25正史 魏書 巻2 §17
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