演義の場面

曹丕廃帝篡炎劉 曹丕廢帝篡炎劉

事件紹介

「曹丕廃帝篡炎劉」は、演義第80回の回目「曹丕廃帝篡炎劉、漢王正位続大統」の前半の場面で、「曹丕、漢に代わる」の一くだりである。華歆・王朗と曹洪・曹休が献帝を追い詰めて禅譲の詔を出させたのち、曹丕は二度辞退する形を整えて繁陽の受禅台で玉璽を受けて皇帝となり、献帝は山陽公として追い出される。 演義 第80回 §1–12 · 15–24

陳寿の本文、魏書巻2文帝紀は、漢の皇帝は衆望が魏にあるため群公卿士を召して高廟に告げ、兼御史大夫張音に璽綬を奉じさせて禅位したと記す。魏王は繁陽に築いた壇に庚午の日に登って帝位に即き、延康を黄初と改めた。 正史 魏書 巻2 §13 · 16

演義の描写

演義第80回で、華歆らは献帝に堯・舜の道に倣って魏王に禅譲するよう奏上し、李伏・許芝は麒麟・鳳凰・黄龍の瑞祥と「鬼、辺に在り、委、相連なる」で始まる図讖を解いて、魏が許昌で禅譲を受けるべきだと言う。献帝が瑞祥も図讖も虚妄だとして泣きながら後殿に入ると、百官はあざ笑って退く。 演義 第80回 §1–5

翌日、剣を帯びた曹洪・曹休が入って来ると、曹操の娘である皇后曹節は彼らを乱賊と罵り、兄が漢を簒奪しようとしていると言って泣きながら奥へ入る。華歆は竜袍をつかんで許すか許さないか一言言えと迫り、曹洪と曹休が剣を抜いて玉璽を出せと言うと、符宝郎の祖弼は天子の宝を渡すことはできないと罵り、引き出されて殺される。階下に並ぶ魏兵数百を見た献帝は、残りの命だけは保たせてほしいと言い、陳群に禅譲の詔を書かせる。 演義 第80回 §6–12

曹丕は司馬懿の言に従って上表して辞退し、献帝が桓階に作らせた二度目の詔と玉璽を張音に持たせて送ると、賈詡の言のとおりこれを再び送り返し、受禅台を築いて公然と禅譲させるようにする。献帝は繁陽に三層の壇を築き、10月庚午の日の寅の刻を選ぶ。 演義 第80回 §15–19

その日、献帝は官僚400余人と禁軍30余万の前で自ら玉璽を捧げて曹丕に献じ、曹丕は帝位に即いて延康元年を黄初元年と改め、国号を大魏とし、父を太祖武皇帝と追尊する。山陽公となった献帝は華歆に罵られる中その日のうちに去り、曹丕は「舜・禹の事、朕これを知れり」と言う。天地に答礼しようとした曹丕は怪しい風に驚いて倒れ、許昌の宮殿を嫌って洛陽へ移り、宮殿を大いに造営する。 演義 第80回 §20–28

演義と異なる点

禅譲の経緯:演義第80回では、華歆と曹洪・曹休が剣を手に献帝を追い詰め、符宝郎の祖弼が立ち向かって殺される。正史の文帝紀は、漢の皇帝は衆望が魏にあるため公卿を召して高廟に告げ、張音に璽綬を奉じさせて禅位したとだけ記し、追い詰める場面はない。 演義 第80回 §8–12正史 魏書 巻2 §13

山陽公:演義第80回で、献帝は禅譲の当日に山陽公に封じられ、その日のうちに追い出される。正史の文帝紀では、黄初元年11月癸酉の日、河内の山陽邑1万戸をもって漢の皇帝を山陽公とし、漢の正朔を用い、天子の礼で郊祭を行い、上書の際に臣と称さなくてよいとした。 演義 第80回 §24–25正史 魏書 巻2 §17

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

演義の登場回 (1)

正史の登場巻 (1)