演義の場面

孔明定計捉張任

事件紹介

演義第64回の回目「孔明定計捉張任」の場面であり、劉備の入蜀のうち雒城が落ちる段である。雒城に至った諸葛亮は金雁橋で張任をおびき出し、橋を断って伏兵に捕らえさせ、二君に仕えないという張任を斬る。翌日、城内の張翼が劉璝を斬って門を開き、雒城は落ちる。 演義 第64回 §16–26

陳寿の本文は蜀書巻2先主伝に、劉循の守る雒城をほぼ一年攻めて建安19年(214)夏に破ったとのみ記し、張任が捕らえられたことは記さない。 正史 蜀書 巻2 §32–33

演義の描写

演義第64回で、劉備は黄忠の言に従って張任の陣営に夜襲をかけ、雒城を囲む。西門を攻めていた劉備は南門から出て来た張任に追われ、間道をひとり逃げるうちに、厳顔とともにやって来た張飛に出会って危機を脱する。張飛が来る途中の関所四十五か所がすべて厳顔の功だと言うと、劉備は黄金の鎖子甲を脱いで厳顔に与える。続いて呉蘭と雷銅が降伏し、張飛をおびき出して囲んだ呉懿は、江辺から出て来た趙雲にわずか一合で生け捕りにされる。 演義 第64回 §3–16

呉懿から城内の様子と金雁橋の名を聞いた諸葛亮は、橋の南の葦原に魏延の槍手と黄忠の刀手を、山の東の間道に張飛を、橋の北に趙雲を置き、自ら隊伍も整わない兵で張任をおびき出す。名ばかりで実がないと言って追って来た張任は、橋が断たれ北岸に趙雲が並んでいるのを見て南へ逃げ、葦原で騎兵を失って張飛に捕らえられる。ともに出た卓膺は趙雲に降伏する。 演義 第64回 §16–22

張任は「忠臣豈に二主に事えんや」と言って降伏を拒み、諸葛亮は彼を斬ってその名を全うさせる。劉備はその遺体を金雁橋のそばに葬る。翌日、降伏した将たちを先に立てて城下に至ると、城上で罵っていた劉璝を武陽の人張翼が斬り、城門を開いて降伏し、劉循は西門から抜け出して成都へ逃げる。 演義 第64回 §23–26

演義と異なる点

張任と諸葛亮:演義第64回で、張任は雒城の前で諸葛亮の計略にかかって捕らえられ、降伏を拒んで斬られる。陳寿の本文の先主伝は、張任が劉璝・泠苞・鄧賢とともに涪県で劉備を防いだが敗れて綿竹へ退いたとのみ記す。趙雲の伝では、諸葛亮が趙雲と張飛を率いて長江をさかのぼり郡県を平定し、江州で趙雲を江陽へ遣わして成都で落ち合った。 演義 第64回 §17–24正史 蜀書 巻2 §32正史 蜀書 巻6 §40

雒城の陥落と降伏した将:演義で雒城は、張任が死んだ翌日に張翼が劉璝を斬って門を開き、落ちる。先主伝は、劉循の守る雒城をほぼ一年攻めて建安19年夏に破ったと記す。演義で劉璋の将として登場して降伏する卓膺は、先主伝では初めから黄忠とともに劉備の兵を率いた将であり、張翼の伝は、劉備が益州を平定すると張翼が書佐となったとのみ記す。 演義 第64回 §19 · 22 · 26正史 蜀書 巻2 §32–33正史 蜀書 巻15 §12

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演義の登場回 (1)

正史の登場巻 (1)