演義の場面

攻雒城黄魏争功 攻雒城黃魏爭功

事件紹介

演義第62回の回目「攻雒城黄魏争功」の場面であり、劉備の入蜀のうち雒県の前の最初の戦いである。劉璋が遣わした将のうち泠苞と鄧賢が城の前に陣営を築くと、黄忠と魏延が互いに先に行くと争い、功を貪って先回りした魏延が危機に陥り、黄忠に救われる。 演義 第62回 §32–46

陳寿の本文の先主伝は、劉璝・泠苞・張任・鄧賢が涪県で劉備を防いだがみな敗れて綿竹へ退いたと記すのみで、二将が功を争ったことはない。 正史 蜀書 巻2 §32

演義の描写

演義第62回で、涪関を失った劉璋は黄権の言に従って劉璝・泠苞・張任・鄧賢に五万の軍を与えて雒県を守らせる。途中、四将は錦屏山の紫虚上人を訪ねるが、上人は「雛鳳地に墜ち、臥龍天に昇る」を含む八句だけを書き与え、それ以上の問いには答えない。雒県に着くと劉璝と張任は城を守り、泠苞と鄧賢は二万の軍で城から六十里離れた所に陣営を二つ築く。 演義 第62回 §27–32

劉備が陣営を攻める者を問うと老将黄忠が名乗り出て、魏延が、老人は筋骨を頼みにできないと言って代わりに行こうとし、二人は武芸を競おうとする。龐統の言で黄忠は泠苞の陣営を、魏延は鄧賢の陣営を受け持つが、魏延は黄忠より先に出発し、二つの陣営の功をすべて手にしようと泠苞の陣営へ道を変える。奇襲を察した泠苞に押されて逃げる魏延は落馬して鄧賢の槍に突かれそうになり、黄忠が矢で鄧賢を射落として泠苞を追う。 演義 第62回 §33–43

その間に劉備は鄧賢の陣営を奪い、間道を逃げる泠苞は、罪を償おうと待ち伏せていた魏延に生け捕りにされる。劉備は軍令に背いた魏延をこの功で許し、黄忠に礼を言わせたうえで、劉璝と張任を招いて降伏させると言う泠苞を放して帰す。雒城に戻った泠苞は捕らえられたことを隠し、援軍に来た劉循・呉懿の前で、涪江の堤を切って劉備の兵を水に沈めようという策を出す。 演義 第62回 §43–50

演義と異なる点

雒県の前の戦い:演義第62回で、泠苞と鄧賢は雒城の前六十里に陣営を築いて黄忠と魏延に破られ、鄧賢は死に、泠苞は捕らえられてから放される。正史先主伝では、四将は涪県で劉備を防いだがみな敗れて綿竹を守り、雒県は劉璋の子劉循が守ってほぼ一年持ちこたえた。鄧賢の死と泠苞の捕縛は陳寿の本文にない。 演義 第62回 §32 · 42–47正史 蜀書 巻2 §32

黄忠と魏延:正史黄忠の伝は、劉璋を攻めた時に黄忠が常に先頭に立って敵陣を陥れ、勇猛さは三軍に冠たるものであったとし、魏延の伝は部曲を率いて蜀に入り、たびたび戦功を立てたと記すのみである。二人が功を争ったことはない。 演義 第62回 §34–37正史 蜀書 巻6 §35正史 蜀書 巻10 §57

呉懿:演義で呉懿は劉循とともに雒城を救いに来る。陳寿の本文の季漢輔臣賛に付された記録で、呉壹は劉璋の中郎将として涪県で劉備を防ぎ、進み出て降伏した。 演義 第62回 §48–49正史 蜀書 巻15 §54

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演義の登場回 (1)

正史の登場巻 (1)