伏皇后

正史演義 Empress Fu복황후복후伏后

プロフィール
職業正演后妃 · 皇后所属
登場正演収録
出生正? 演? 推定出身地
死去正214年 演(同じ) 推定死去地
死因演殺害 推定
実在実在言及正6回

人物紹介

伏皇后は後漢の献帝の皇后である。正史には独立した伝がなく、魏書巻1武帝紀に建安19年(214)11月のこととして一度出てくる。皇后はかつて、父である元屯騎校尉伏完に手紙を送り、皇帝が董承の誅殺のことで曹操を恨んでいると記したが、その言葉はきわめて醜悪であった。このことが露見すると皇后は廃されて死に、兄弟はみな法によって処刑された。 正史 魏書 巻1 §136 · 142

正史の陳寿の本文は、彼女の名と出身を記していない。演義では第13回に、李傕に連れ去られる天子とともに車に乗せられた姿で初めて登場し、全120回のうち5回に登場する。第20回では献帝が血で書いた密詔を玉帯の裏地に縫い込み、第66回では、回目「伏皇后 国の為に身を捐つ」のとおり、曹操を謀ろうとした手紙が露見して殺される。 正史 魏書 巻1 §142演義 第13回 §16演義 第20回 §21演義 第66回 §48

正史の記録

武帝紀によれば、建安5年(200)春正月、董承らの謀議が漏れ、みな誅殺された。建安18年(213)秋7月には、天子が曹操の三人の娘を迎えて貴人とし、最も幼い娘は年頃になるまで魏国で待たせた。 正史 魏書 巻1 §58 · 134

建安19年(214)11月、漢の皇后伏氏が、かつて父である元屯騎校尉伏完に手紙を送り、皇帝が董承の誅殺のことで曹操を恨んでいると書いたことが露見した。陳寿はその言葉がきわめて醜悪であったと記した。この件に連座して皇后は廃されて死に、兄弟もみな法によって処刑された。 正史 魏書 巻1 §136 · 142

翌建安20年(215)春正月、天子は曹操の中の娘を皇后に立てた。正史の陳寿の本文は、伏皇后の名・出身・皇后となった時期・子女を記していない。 正史 魏書 巻1 §145 · 142

演義の描写

演義第13回で李傕と郭汜が長安でぶつかると、李傕の甥李暹が宮殿を包囲し、二台の車に天子と伏皇后を分けて乗せて李傕の陣営へ連れ去る。翌日、郭汜が陣営の前に来て戦うと、皇帝と皇后はともに驚き恐れる。 演義 第13回 §16–17

第20回で、許田の狩りで曹操の無礼を見た献帝が宮殿に戻り、われら夫婦はどこで死ぬかもわからないと泣くと、伏皇后は、朝廷に満ちる公卿のなかに国難を救える者が一人もいないのかと嘆く。そこへ入ってきた父の伏完が董承を推挙し、衣と玉帯に密詔を入れて送るという計略を出す。献帝は指先を噛み破って血で密詔を書き、伏皇后にそれを玉帯の紫の錦の裏地のなかに縫い込ませる。 演義 第20回 §17–21

第24回で、董承らを殺した曹操が剣を帯びて宮中に入り、身ごもって五か月の董貴妃を引き出すと、伏皇后は、冷宮に退けておき、出産を待ってから殺しても遅くはないと願う。曹操は逆賊の種を残して母の仇を討たせるつもりかと聞き入れず、董貴妃が宮門の外で絞め殺されると、伏皇后も声をあげて泣く。 演義 第24回 §5–8

第66回で、曹操が剣を帯びたまま宮中に入り皇帝を威圧して出ていくと、伏皇后は、父の伏完が常に曹操を殺す心を抱いているので手紙でともに謀ると言う。董承のことを思い出して恐れる皇帝に、朝夕針の筵に座っているようで、このように生きるより早く死んだほうがましだと言い、宦官穆順に密書を託す。伏完は孫権・劉備に外で兵を挙げさせようという返書を送るが、宮門で待っていた曹操が穆順の髪のなかからその手紙を見つけ出す。 演義 第66回 §34–40

曹操は伏完の家を包囲して伏皇后の自筆の手紙を見つけ出し、伏氏の三族を獄につなぐ。郗慮が皇后の璽綬を取り上げると、伏皇后は椒房の二重壁のなかに隠れるが、華歆が壁を壊し、髷をつかんで引きずり出す。外殿で皇帝が殿を下りて彼女を抱いて泣くと、もう生かしてはもらえないのかと泣いて問うが、皇帝は自分の命もいつまでかわからないと答える。曹操は、わしがお前を殺さなければお前が必ずわしを殺すと言って棍棒で打ち殺させ、彼女が生んだ二人の皇子を毒酒で殺し、伏完と穆順らの一族二百余人を市で斬る。時は建安19年11月である。 演義 第66回 §40–43 · 47–49

献帝が何日も食事をとらないと、曹操は自分の娘の曹貴人を正宮に置くよう願い、建安20年正月元日に曹貴人が皇后となる。第78回では、病んだ曹操の寝室に伏皇后と董貴妃、二人の皇子、伏完・董承ら二十余人が血まみれで現れ、翌日には夏侯惇も彼らを見て驚いて倒れる。 演義 第66回 §51演義 第78回 §26 · 28

演義と異なる点

記録の範囲:演義の伏皇后は、李傕の乱、血書の密詔、董貴妃の死、曹操を謀ろうとした手紙に至るまで、5回にわたって語り行動する。正史の陳寿の本文には、武帝紀の建安19年11月の一箇所しかない。 演義 第13回 §16演義 第20回 §18演義 第24回 §7演義 第66回 §35正史 魏書 巻1 §142

血書の密詔:演義第20回では、献帝が指を噛んで血で密詔を書き、伏皇后がそれを玉帯の裏地に縫い込む。正史の先主伝は、董承が皇帝の衣帯のなかの密詔を受けたと称して曹操を誅すべきだと言ったと記すだけで、血で書いたという話も皇后が縫ったという話もない。 演義 第20回 §21正史 蜀書 巻2 §15

手紙の内容:演義第66回では、皇后の密書は父の伏完とともに曹操を謀ろうとするもので、伏完の返書には孫権・劉備と手を結んで外から呼応させようという言葉がある。正史では、皇后がかつて父に送った手紙に、皇帝が董承の誅殺のことで曹操を恨んでいると書いたことが露見して問題となった。 演義 第66回 §35 · 40正史 魏書 巻1 §142

死:演義第66回では、華歆が壁のなかに隠れた皇后を引きずり出し、曹操が棍棒で打ち殺させる。正史の武帝紀は皇后が廃されて死んだと記すだけで、引きずり出した者も死に方も記さない。 演義 第66回 §42 · 48正史 魏書 巻1 §142

ともに死んだ者:演義第66回では、曹操は皇后が生んだ二人の皇子を毒酒で殺し、伏完と穆順らの一族二百余人を市で斬る。正史の武帝紀で法によって処刑されたのは皇后の兄弟であり、伏完は手紙を受け取った元屯騎校尉として出てくるだけで、皇后の子は出てこない。 演義 第66回 §48正史 魏書 巻1 §142

次の皇后:演義第66回では、曹操が自分の娘はすでに貴人であるから正宮に置くよう献帝に願い、曹貴人が皇后となる。正史の武帝紀は、建安18年7月に天子が曹操の三人の娘を貴人に迎え、20年春正月にそのうち中の娘を皇后に立てたと記すだけで、曹操の願い出は出てこない。 演義 第66回 §51正史 魏書 巻1 §134 · 145

曹操の死:演義第78回では、死を前にした曹操の前に伏皇后らの亡霊が現れる。正史の武帝紀は、建安25年正月庚子の日に王が洛陽で66歳で死んだと記すのみで、このようなことはない。 演義 第78回 §26正史 魏書 巻1 §171–172

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率3131±0
  • 武力3131±0
  • 知力3540+5
  • 政治3333±0
  • 魅力3855+17
  • 徳5085+35
  • 処世3330−3
  • 文芸3638+2
  • 弁舌3540+5
  • 用人3358+25
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

識人・用人正33推定演58 +25

正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻1 §142

演忠義で信頼できるとして穆順を選び、彼は尋問されても自白しなかった第66回 §36第66回 §40

魅力正38推定演55 +17

正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻1 §142

演宮人たちがみな知らないと言い逃れて彼女をかくまった第66回 §42

近い項目 7件 — 根拠を見る
  • 統率正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 皇后という身分から推定魏書 巻1 §142

    演直接の記録なし — 皇后という身分から推定第66回 §35

  • 武力正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 皇后という身分から推定魏書 巻1 §142

    演直接の記録なし — 皇后という身分から推定第66回 §42

  • 知力正35推定演40 +5

    正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻1 §142

    演父とともに曹操を謀ろうとしたが、董承のときのように計画が漏れた第66回 §35第66回 §40

  • 政治正33推定演33推定 ±0

    正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻1 §142

    演直接の記録なし — 事績から推定第20回 §18

  • 処世正33演30 −3

    正かつての手紙が露見して廃されて死に、兄弟も処刑された魏書 巻1 §142

    演このように生きるより早く死ぬほうがましだと謀り、壁のなかで捕らえられた第66回 §36第66回 §42

  • 文芸・学術正36推定演38推定 +2

    正直接の記録なし — 手紙を書いた事績から推定魏書 巻1 §142

    演直接の記録なし — 自筆の密書を書いた事績から推定第66回 §37

  • 弁舌・外交正35推定演40 +5

    正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻1 §142

    演董貴妃を冷宮に置き出産後に殺すよう頼んだが、かなわなかった第24回 §7

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(5回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

家族

父母伏完 演義
配偶者劉協 演義・正史

Wikidataの歴史・演義人物項目に基づく。推定バッジのない関係は正史原文でも確認済み。

関連事件(1)

ウィキペディア情報ボックス・原文キーワードの自動照合(推定)を含みます。