彭和
| 職業 | 演武将 | 所属 | 蜀 |
|---|---|---|---|
| 登場 | 演 | 収録 | |
| 実在 | 架空 | 言及 |
人物紹介
彭和は演義第117回で、綿竹の諸葛瞻が東呉に救援を求めるために遣わす人物である。鄧艾の伏兵に敗れて綿竹に退いた諸葛瞻は、魏軍に鉄桶のように囲まれて形勢が差し迫ると、彭和に書状を持たせて包囲を破って出させ、東呉に救援を求めさせる。 演義 第117回 §41
東呉に着いた彭和が呉主孫休に謁見して危急を告げる書状を差し出すと、孫休は老将丁奉を主帥とし、丁封と孫異を副将として兵5万を率いて蜀の救援に向かわせる。救援が来ないため、諸葛瞻は打って出たのち自刎して死ぬ。 演義 第117回 §41–44
演義全120回のうち第117回の1回にのみ登場し、回目に名が見える回はない。彭和という名は陳寿の本文にも裴松之の注にも見えない。陳寿の本文の三嗣主伝は、永安6年(263)冬10月に蜀が魏の攻撃を受けていると知らせてきたと記すだけで、知らせに来た者の名は明らかにしていない。 演義 第117回 §41正史 呉書 巻3 §43
演義の描写
演義第117回で、諸葛瞻の子諸葛尚は単騎一槍で師纂と鄧忠を戦って退け、諸葛瞻は両翼の兵を指揮して魏軍を大いに破る。鄧艾が監軍丘本の言に従って書状を送り、帰順すれば上表して琅琊王にしようと誘うと、諸葛瞻は勃然として大いに怒り、書状を引き裂いて来た使者を斬らせる。 演義 第117回 §36–39
鄧艾は丘本の諫言に従い、天水太守王頎と隴西太守牽弘に二隊を後方に伏せさせ、自ら兵を率いて進む。諸葛瞻がまっすぐ魏の陣中に斬り込み、敗れて逃げる鄧艾を追うと、両側から伏兵が躍り出て、蜀軍は大敗して綿竹に退く。魏軍が一斉に喊声を上げて綿竹を鉄桶のように囲むと、諸葛瞻は彭和に書状を持たせて斬って出させ、東呉に救援を求めさせ、彭和は東呉に着いて呉主孫休に謁見し、危急を告げる書状を差し出す。 演義 第117回 §40–41
書状を読み終えた呉主は群臣と協議し、蜀が危急であるのにどうして座視して救わずにいられようかと言って、老将丁奉を主帥とし、丁封と孫異を副将として兵5万を率いて蜀の救援に向かわせる。丁奉は丁封と孫異に兵2万を分け与えて沔中へ進ませ、自らは兵3万を率いて寿春へ進む。 演義 第117回 §42
しかし救援が来ないため、諸葛瞻は長く守るのは良策ではないと言い、子の諸葛尚と尚書張遵に城を守らせ、三つの城門を大きく開いて打って出る。四方から押し寄せた魏軍に囲まれた諸葛瞻は、矢を受けて落馬すると自刎して死に、諸葛尚も打って出て陣中で死ぬ。演義で彭和の名が出てくるのは、綿竹から東呉へ向かったこの一節だけである。 演義 第117回 §41 · 43–45
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率35
- 武力45
- 知力38
- 政治31
- 魅力38
- 徳52
- 処世40
- 文芸35
- 弁舌48
- 用人31
項目別の根拠
演直接の記録なし — 諸葛瞻の使者という役割から推定第117回 §41
演綿竹の包囲を破って出て東呉に着いた第117回 §41
演直接の記録なし — 諸葛瞻の使者という役割から推定第117回 §41
演直接の記録なし — 諸葛瞻の使者という役割から推定第117回 §41
演直接の記録なし — 諸葛瞻の使者という役割から推定第117回 §41
演危急の綿竹から救援の書状を最後まで届けた第117回 §41
演直接の記録なし — 諸葛瞻の使者という役割から推定第117回 §41
演直接の記録なし — 諸葛瞻の使者という役割から推定第117回 §41
演呉主孫休に謁見し、危急を告げる書状を差し出した第117回 §41
演直接の記録なし — 諸葛瞻の使者という役割から推定第117回 §41
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。