張虎
人物紹介
張虎は演義第7回に劉表配下の黄祖の将として登場する人物で、演義は彼を「江夏の張虎」と呼ぶ。孫堅が劉表を討とうと江を渡ってくると、樊城を失って鄧城に退いた黄祖が野に陣を敷くとき、襄陽の陳生とともに率いて出た二人の将の一人である。黄祖の命で戦いを挑み、孫堅の将韓当に討たれる。 演義 第7回 §33–35
演義全120回のうち第7回の1回にのみ登場し、名が回目に入った回はない。陳寿の本文には登場せず、裴松之の注にのみ記録がある。陳寿の本文の劉表伝は、霊帝が崩御したのち荊州刺史となった劉表が兵を集めて襄陽に駐屯し、袁術が孫堅に劉表を攻めさせたが孫堅は流れ矢に当たって死んだと記すだけで、張虎の名は挙げていない。 演義 第7回 §34–35正史 魏書 巻6 §82–83
演義の描写
演義第7回で、袁術は兵糧20万を貸さなかった劉表を恨み、孫堅に書簡を送って劉表を討たせ、孫堅はかつて劉表に帰り道を断たれた恨みを晴らすと言って兵を起こす。劉表は蒯良の言に従って黄祖に備えさせ、続いて大軍を起こす。孫堅は長男の孫策とともに船に乗り、樊城へ攻め寄せる。 演義 第7回 §26–29 · 31
黄祖は江のほとりに弓弩手を伏せておき、船が岸に寄るたびに矢を射かけるが、三日で矢が尽きる。孫堅は船に刺さった矢十数万本を順風に乗せて射返させ、岸に上がった程普・黄蓋と後に続いた韓当が三方から挟み撃ちにすると、黄祖は大敗して樊城を捨て鄧城へ逃げる。孫堅が自ら追うと、黄祖は軍を率いて出て野に陣を敷く。 演義 第7回 §32–33
黄祖は二人の将を率いて出るが、一人は江夏の張虎、一人は襄陽の陳生である。黄祖は鞭を振り上げ、江東の鼠賊がどうして漢室宗親の境界を侵すのかと罵ったのち、張虎に戦いを挑ませる。孫堅の陣から韓当が出て迎え撃ち、二人は二十合余り戦うが、陳生は張虎の力が衰えたのを見て馬を飛ばして助けに来る。 演義 第7回 §34
これを見た孫策は槍を置いて弓を引き、陳生の顔の真ん中を射当て、陳生は弦の音とともに落馬する。張虎は陳生が落ちるのを見て驚き、手を打てずにいるうちに、韓当の刀の一撃で頭の半分を削ぎ落とされる。黄祖は兜と戦馬を捨てて歩兵の中に紛れて逃げ、孫堅は敗残兵を漢水まで追撃する。演義で張虎の名が見えるのはこの戦いだけである。 演義 第7回 §35
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率38
- 武力45
- 知力33
- 政治31
- 魅力35
- 徳42
- 処世33
- 文芸31
- 弁舌31
- 用人31
項目別の根拠
演直接の記録なし — 黄祖配下の将としての役割から推定第7回 §34
演直接の記録なし — 黄祖配下の将としての役割から推定第7回 §34
演直接の記録なし — 黄祖配下の将としての役割から推定第7回 §34
演直接の記録なし — 黄祖配下の将としての役割から推定第7回 §34
演直接の記録なし — 黄祖配下の将としての役割から推定第7回 §34
演陳生が落馬すると驚いて手を打てなかった第7回 §35
演直接の記録なし — 黄祖配下の将としての役割から推定第7回 §34
演直接の記録なし — 黄祖配下の将としての役割から推定第7回 §34
演直接の記録なし — 黄祖配下の将としての役割から推定第7回 §34
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。