曹遵

正史演義 魏 Cao Zun조준

プロフィール
職業演武将 · 先鋒所属魏
登場正演収録
出生出身地沛国 譙県 推定
死因演戦死 推定
実在実在言及正1回

人物紹介

曹遵は魏の大将軍曹真の同族である。正史には独立した伝がなく、諸夏侯曹伝の曹真のくだりに一度見える。若い頃、曹真・朱賛とともに太祖に仕えたが早く死に、のちに大司馬曹真が自分の食邑を分け与えることを願い出て、その子が関内侯となった。 正史 魏書 巻9 §68

演義では第93回に曹真の同族の弟として初めて登場し、全120回のうち第93・94回の2回に登場するが、名が回目に入った回はない。諸葛亮を防ぎに出た曹真の先鋒となり、副先鋒の朱賛とともに蜀の陣営を攻めて計略にかかり大敗し、第94回で魏延の刀に討たれる。 演義 第93回 §33 · 52–54演義 第94回 §21–22

正史の記録

曹真は字を子丹といい太祖の一族の甥で、父の曹邵が死んだのち、太祖が引き取って自分の息子たちと同じように育てた。陳寿は、曹真が若い頃に同族の曹遵、同郷の朱賛とともに太祖に仕えたと記す。 正史 魏書 巻9 §62 · 68

曹遵と朱賛が早く死ぬと、曹真はこれを哀れみ、自分の受ける食邑を分けて二人の息子たちを封じてほしいと願い出た。詔は、大司馬は孤児をいたわった叔向の仁を備え、古い約束を守った晏平仲の義に篤いとして、曹真の封邑を分けて曹遵と朱賛の息子たちにそれぞれ百戸の関内侯の爵位を与えることを許した。曹真が大司馬に移ったのは、太和4年(230)に洛陽に入朝したときである。正史は曹遵の字と官職、死んだ年と死因を記さない。 正史 魏書 巻9 §66 · 68

演義の描写

演義第93回で諸葛亮が祁山に出ると、魏主曹叡は王朗の推挙で曹真を大都督とする。曹真は同族の弟曹遵を先鋒、蕩寇将軍朱賛を副先鋒とし、太和元年(227)11月、東西二京の軍馬20万を率いて出陣し、渭水の西に陣営を構える。 演義 第93回 §30–33

王朗が陣前で諸葛亮の罵倒を聞いて死んだのち、副都督郭淮は、諸葛亮は魏軍が喪に服すと読んで今夜必ず陣営を襲いに来るだろうとして、兵を四手に分け、二手で蜀の陣営を襲い二手は陣営の外に伏せようと言う。曹真は曹遵と朱賛にそれぞれ兵1万を率いて祁山の後ろへ回り、蜀軍が魏の陣営へ向かうのが見えれば蜀の陣営を攻め、蜀軍が動かなければ軽々しく進まず戻るよう命じる。曹遵は日暮れに陣営を出て、二更ごろ山の前で兵が動くのを見ると、郭都督の策はまことに神妙だと兵を急がせる。 演義 第93回 §44 · 46–47 · 52

三更ごろ曹遵は真っ先に蜀の陣営に突入したが、人ひとりいない空の陣営で、計略にかかったと知って退こうとしたとき、陣営の中から火が起こる。後から来た朱賛の兵と互いに殺し合い、二人が馬を合わせてようやく同士討ちに気づくと、四方から王平・馬岱・張嶷・張翼が攻め寄せ、腹心の騎兵百余りを率いて大道へ逃げる。趙雲と魏延に相次いで道を阻まれて大敗し陣営に戻るが、陣営を守っていた兵は蜀軍が来たと思って合図の火を上げ、曹真と郭淮の兵とまた互いに殺し合い、その背後を魏延・関興・張苞が襲う。 演義 第93回 §52–54

第94回で、蜀軍が陣営を払って出発したとの報告に、郭淮は羌兵が攻めてきたので退くのだとして、二手に分けて追わせる。先鋒の曹遵が追撃の最中、魏延の率いる軍が躍り出ると、大いに驚いて馬を駆って渡り合うが、三合もしないうちに魏延の刀で馬から斬り落とされる。副先鋒の朱賛も趙雲の槍に討たれ、曹真は先鋒二人を失って悲しみがやまぬまま朝廷に援軍を請う。 演義 第94回 §21–23

演義と異なる点

曹真との関係:演義第93回で曹遵は曹真の同族の弟として登場する。正史は曹真の同族とだけ記し、世代は明らかにしない。 演義 第93回 §33正史 魏書 巻9 §68

祁山の戦い:演義第93回で曹遵は曹真の先鋒となり、祁山の後ろへ回って蜀の陣営を攻め大敗する。正史の曹真のくだりは、諸葛亮が祁山を囲んだとき曹真が諸軍を率いて郿に駐屯し、張郃が馬謖を大いに破って三郡が平定されたと記すが、曹遵がこの戦いに出た記録はない。 演義 第93回 §47 · 52–54正史 魏書 巻9 §65 · 68

死:演義第94回で曹遵は蜀軍を追撃するうちに魏延の刀に斬られて死ぬ。正史は曹遵が早く死んだとだけ記し、いつどのように死んだかは明らかにしない。 演義 第94回 §22正史 魏書 巻9 §68

死後:演義第94回は曹真が先鋒二人を失って悲しんだとだけ記す。正史では、曹真が曹遵と朱賛の早世を哀れんで自分の食邑を分け与えることを願い出て、詔により二人の息子たちがそれぞれ百戸の関内侯となった。 演義 第94回 §23正史 魏書 巻9 §68

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率4228−14
  • 武力4232−10
  • 知力3825−13
  • 政治3531−4
  • 魅力4535−10
  • 徳4545±0
  • 処世4035−5
  • 文芸3131±0
  • 弁舌3331−2
  • 用人3331−2
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

統率正42推定演28 −14

正直接の記録なし — 曹真とともに太祖に仕えた同族であることから推定魏書 巻9 §68

演空の陣営を襲って計略にかかり、同士討ちとなった第93回 §52第93回 §53

知力正38推定演25 −13

正直接の記録なし — 曹真とともに太祖に仕えた同族であることから推定魏書 巻9 §68

演郭淮の策を信じて急いで進み、空の陣営にはまった第93回 §52

武力正42推定演32 −10

正直接の記録なし — 曹真とともに太祖に仕えた同族であることから推定魏書 巻9 §68

演魏延と渡り合い、三合もしないうちに斬られた第94回 §22

魅力正45推定演35推定 −10

正直接の記録なし — 曹真とともに太祖に仕えた同族であることから推定魏書 巻9 §68

演直接の記録なし — 先鋒としての事績から推定第93回 §33

近い項目 6件 — 根拠を見る
  • 政治正35推定演31推定 −4

    正直接の記録なし — 曹真とともに太祖に仕えた同族であることから推定魏書 巻9 §68

    演直接の記録なし — 先鋒としての事績から推定第93回 §33

  • 徳正45推定演45推定 ±0

    正直接の記録なし — 曹真とともに太祖に仕えた同族であることから推定魏書 巻9 §68

    演直接の記録なし — 先鋒としての事績から推定第93回 §33

  • 処世正40推定演35推定 −5

    正直接の記録なし — 曹真とともに太祖に仕えた同族であることから推定魏書 巻9 §68

    演直接の記録なし — 先鋒としての事績から推定第93回 §33

  • 文芸・学術正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 曹真とともに太祖に仕えた同族であることから推定魏書 巻9 §68

    演直接の記録なし — 先鋒としての事績から推定第93回 §33

  • 弁舌・外交正33推定演31推定 −2

    正直接の記録なし — 曹真とともに太祖に仕えた同族であることから推定魏書 巻9 §68

    演直接の記録なし — 先鋒としての事績から推定第93回 §33

  • 識人・用人正33推定演31推定 −2

    正直接の記録なし — 曹真とともに太祖に仕えた同族であることから推定魏書 巻9 §68

    演直接の記録なし — 先鋒としての事績から推定第93回 §33

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(2回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

所属の変遷

  1. 魏 · 演義 · 演義 第93回 「却说魏先锋曹遵、朱赞黄昏离寨,迤逦前进」 · Q124454996

関連事件(1)

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