演義の場面
姜伯約帰降孔明 姜伯約歸降孔明
事件紹介
「姜伯約帰降孔明」は、演義第93回の回目「姜伯約帰降孔明 武郷侯罵死王朗」の前半の場面である。天水郡の姜維が諸葛亮の計を見抜いて趙雲と諸葛亮を相次いで退けると、諸葛亮が彼を冀城に誘い込み、魏の側に彼を疑わせてついに降伏させ、天水・上邽まで手に入れるまでを描く。演義が描く天水之乱の一幕である。 演義 第93回 §1–10 · 14–24 · 27–29
陳寿の本文にも姜維が諸葛亮のもとへ赴いた出来事がある。蜀書巻14の姜維伝は、建興6年(228)、天水太守に疑われて城に入れなかった姜維らが諸葛亮のもとへ赴いたと記す。 正史 蜀書 巻14 §29–30
正史に見る経過
天水郡冀県の人姜維は幼くして父を失い、母と暮らした。郡の上計掾を経て、羌の反乱の際に郡将を守って戦死した父の功により中郎となり、本郡の軍事に参与した。建興6年(228)諸葛亮の軍が祁山へ向かった時、姜維は巡察に出た天水太守に功曹梁緒・主簿尹賞・主記梁虔らとともに随行した。太守は蜀軍が迫り諸県が呼応していると聞いて、姜維らがみな異心を抱いていると疑い、夜に逃げて上邽を守った。姜維らは追ったが城門が閉ざされて入れず、冀県に戻ったが冀県も受け入れなかったので、ともに諸葛亮のもとへ赴いた。 正史 蜀書 巻14 §29–30
折しも馬謖が街亭で敗れると、諸葛亮は西県の千余家と姜維らを連れて引き揚げ、このため姜維は母と離ればなれになった。諸葛亮は姜維を倉曹掾とし、奉義将軍を加えて当陽亭侯に封じた。時に27歳であった。諸葛亮は張裔・蒋琬に手紙を送り、姜維は職務に忠実で勤勉、思慮が精密で、永南・季常らも及ばない涼州の上士であると述べた。 正史 蜀書 巻14 §30–31
演義の描写
演義第93回で、姜維は馬遵に城を出てすぐに戻らせ、自らは要路に伏兵を置いて、空の城を狙って来た趙雲を前後から討った。趙雲は張翼・高翔の救援でかろうじて戻り、自ら出た諸葛亮も夜中に四方から起こった姜維の兵に敗れ、彼をまことに将の器だと感嘆した。 演義 第93回 §1–10
姜維の母が冀県に住んでいると聞いた諸葛亮は、魏延に冀県を攻めるふりをさせて姜維を冀城に誘い込み、捕らえていた夏侯楙に、姜維は駙馬さえいれば帰順すると言っていると告げ、彼を呼んで来るよう釈放した。夏侯楙は姜維が降伏したという民の話を聞いて天水城に入り、夜に姜維に扮した兵卒が城を攻めて夏侯楙を罵ると、馬遵らは姜維が蜀についたと信じた。 演義 第93回 §11–19
兵糧を奪いに出た隙に冀城を魏延に奪われた姜維は、天水城の馬遵と上邽城の梁虔に矢で追い払われ、涙を流して長安へ向かう途中、関興と車上の諸葛亮に阻まれ、馬を下りて降伏した。諸葛亮は姜維の手を取り、生涯の学問を伝える人をようやく得たと喜んだ。 演義 第93回 §20–25
姜維が射込んだ密書で疑われた梁緒・尹賞が城門を開いて天水が落ち、夏侯楙と馬遵は羌の地へ逃げた。梁緒が弟の梁虔を呼んで上邽も降伏すると、諸葛亮は、夏侯楙を放したのは一羽の鴨を放したようなもので、伯約を得たのは一羽の鳳凰を得たようなものだと言った。 演義 第93回 §26–29
演義と異なる点
姜維の帰順:演義第93回では、姜維は諸葛亮の計で魏軍の疑いを買って行き場を失い、捕らえられるように降伏する。正史の姜維伝では、巡察中の太守が先に姜維らを疑って上邽へ逃げ、上邽と冀県がともに受け入れなかったので、姜維らが諸葛亮のもとへ赴いた。 演義 第93回 §15–24正史 蜀書 巻14 §29–30
母:演義第93回では、姜維は冀城で母に会って城を守る。正史では、諸葛亮が撤退する際に姜維を連れて行ったため、姜維は母と離ればなれになった。 演義 第93回 §14正史 蜀書 巻14 §31
天水太守と上邽:演義第93回では、天水が落ちると馬遵は夏侯楙と羌の地へ逃げ、梁虔が上邽を差し出す。正史では、天水太守は初めから上邽へ逃げて城を守った。 演義 第93回 §28正史 蜀書 巻14 §30
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