演義の場面

曹操倉亭破本初

事件紹介

「曹操倉亭破本初」は、演義第31回の回目「曹操倉亭破本初 玄徳荊州依劉表」の前半の場面で、官渡で敗れた袁紹が息子たちと甥の軍を集めて再び出陣したものの、倉亭で程昱の十面埋伏にかかって大崩れとなる話である。倉亭の戦いを描いた場面である。 演義 第31回 §9–19

陳寿の本文にも同じ戦いがある。魏書巻1の武帝紀は、建安6年(201)夏4月、曹操が黄河のほとりで軍威を示し、倉亭にいた袁紹の軍を破ったと一行で記す。 正史 魏書 巻1 §73

演義の描写

第31回で、官渡で敗れた袁紹は敗残兵たちの泣き声を聞いて田豊の言を聞かなかったことを悔いるが、逢紀の讒言に怒って獄中の田豊を死なせる。冀州に戻った袁紹は後継ぎを決められないまま、袁熙・袁譚と甥の高幹がそれぞれ兵を率いて来ると、再び曹操と戦うために出陣し、四州の兵2、30万で倉亭に陣営を構える。 演義 第31回 §1–12

両軍が向かい合うと、袁尚が双刀を振るって出てきて、追ってきた徐晃の部将史渙を振り返りざまに弓で射殺す。程昱は軍を川辺に退かせて退路をなくし、左右に5隊ずつ伏せる十面埋伏を進言し、許褚が夜に陣営を襲うふりをして逃げ、袁紹を川辺へおびき出す。曹操が前に道はないから死に物狂いで戦えと叫ぶと、兵たちは向き直って攻めかかり、袁紹は5度にわたって左右の伏兵に打ち破られながら、元の陣営と倉亭へ追われていく。 演義 第31回 §13–18

曹洪・夏侯惇の包囲をやっと抜け出した時、袁熙と高幹は矢傷を負い、兵馬はほとんど死んでいた。袁紹は三人の息子を抱きしめて泣き、倒れて血を吐き、天が自分を滅ぼすのだと嘆き、息子と甥をそれぞれ本州へ帰す。 演義 第31回 §19–20

演義と異なる点

倉亭の戦い:演義第31回で袁紹は2、30万を率いて出陣し、曹操は程昱の十面埋伏で彼を大いに破る。正史の武帝紀は、曹操が黄河のほとりで軍威を示して倉亭の袁紹軍を破ったとだけ記し、袁紹は帰って散った兵を集め、背いた郡県を再び平定した。 演義 第31回 §12–19正史 魏書 巻1 §73

袁紹の病:演義第31回で袁紹は倉亭で敗れたのち血を吐く。正史の武帝紀は、袁紹が官渡で軍が破れてから病となって血を吐き、建安7年(202)夏5月に死んだと記す。 演義 第31回 §19正史 魏書 巻1 §76

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演義の登場回 (1)

正史の登場巻 (1)