陸康

正史演義 後漢 字 季寧 Lu KangJining육강계령陆康

プロフィール
職業正演文官 · 廬江太守所属後漢
登場正演収録
出生出身地呉郡 呉県 推定
実在実在言及正6回

人物紹介

陸康は漢末の廬江太守である。正史には独立した伝がなく、孫策の伝と、子の陸績、従孫の陸遜の伝に名が見える。陳寿の本文は彼の字と生没年を記さない。 正史 呉書 巻1 §26–27正史 呉書 巻12 §18正史 呉書 巻13 §2

袁術が徐州を攻めようとして米三万斛を求めたが陸康が与えなかったため、袁術は孫策を遣わして彼を攻めさせ、孫策は城を陥とした。袁術が彼を攻めようとしたとき、陸康は任地に伴っていた従孫の陸遜と親族を呉へ帰した。 正史 呉書 巻1 §26–27正史 呉書 巻13 §2

演義では第15回に、孫策が廬江太守陸康を攻めて勝って帰ったという報告の中にのみ名が見え、全120回のうち1回に登場し、回目に名が入った回はない。 演義 第15回 §9–10

正史の記録

陸績伝によれば、陸績は呉郡呉県の人で、父の陸康は漢末に廬江太守であった。 正史 呉書 巻12 §18

孫策伝によれば、興平元年(194)に袁術に従った孫策に対し、袁術は初め九江太守を任せると約束したが、まもなく丹楊の人陳紀を代わりに用いた。その後、袁術は徐州を攻めようとして廬江太守陸康に米三万斛を求め、陸康が与えなかったため大いに怒った。 正史 呉書 巻1 §25–27

孫策はかつて陸康を訪ねたことがあったが、陸康は会わずに主簿に応対させたので、孫策は常に恨みを抱いていた。袁術は孫策を遣わして陸康を攻めさせる際、「以前誤って陳紀を用い、本意を遂げられなかったことを常に悔やんでいた。いま陸康を捕らえれば、廬江はまことに君のものだ」と言った。孫策は陸康を攻めて城を陥としたが、袁術はまたも自分の旧部下の劉勲を太守とし、孫策はいっそう失望した。 正史 呉書 巻1 §27

陸遜伝によれば、陸遜は幼くして父を失い、大叔父である廬江太守陸康に従ってその任地にいた。袁術が陸康と仲違いして彼を攻めようとすると、陸康は陸遜と親族を呉へ帰した。陸遜は陸康の子陸績より数歳年上であったので、彼のために一門の事を取り仕切った。 正史 呉書 巻13 §2

陳寿の本文は、城が陥ちたのち陸康がどうなったかを記していない。 正史 呉書 巻1 §27正史 呉書 巻12 §18正史 呉書 巻13 §2

演義の描写

演義第15回で、袁術が寿春で将兵のために大宴会を開いていると、孫策が廬江太守陸康を攻めて勝って帰ったという報告が入る。演義は続けて、袁術が孫策を懐義校尉として涇県の大帥祖郎を攻めさせて勝たせ、孫策の勇を見て再び陸康を攻めさせたところ、今度も勝って帰ってきたのだと説明する。 演義 第15回 §9–10

演義で陸康はこの報告の中に名が見えるだけで、自ら登場して語ったり動いたりする場面はない。孫策が彼を攻めた理由も、その後陸康がどうなったかも描かれない。 演義 第15回 §9–10

演義と異なる点

戦いの理由:演義第15回は、袁術が孫策の勇を見て陸康を攻めさせたとだけ言う。正史の孫策伝では、袁術が徐州を攻めようとして米三万斛を求めたが陸康が与えなかったため袁術が大いに怒り、孫策もかつて陸康が会わずに主簿に応対させたことで恨みを抱いていた。 演義 第15回 §10正史 呉書 巻1 §26–27

廬江をめぐる約束:正史で袁術は孫策に、陸康を捕らえれば廬江は君のものだと言ったが、陥落後は旧部下の劉勲を太守とし、孫策をいっそう失望させた。演義第15回には、この約束も劉勲の任命もない。 正史 呉書 巻1 §27演義 第15回 §9–10

陸遜と親族:正史の陸遜伝で、陸康は袁術が自分を攻めようとすると、任地に伴っていた従孫の陸遜と親族を呉へ帰した。演義第15回には陸康の家族は登場しない。 正史 呉書 巻13 §2演義 第15回 §9–10

家族関係:正史は陸績の伝で陸康を陸績の父、陸遜の伝で陸遜の大叔父として明らかにする。演義でも第38回に陸績と陸遜が孫権の臣として名を連ね、第43回に陸績が袁術の席で橘を懐に入れた「陸郎」として登場するが、陸康との関係には触れない。 正史 呉書 巻12 §18正史 呉書 巻13 §2演義 第38回 §26–27演義 第43回 §25

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率4542−3
  • 武力3333±0
  • 知力4540−5
  • 政治5248−4
  • 魅力3840+2
  • 徳6245−17
  • 処世6038−22
  • 文芸4540−5
  • 弁舌3835−3
  • 用人3035+5
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

処世正60演38推定 −22

正袁術が攻めようとすると、陸遜と親族を呉へ帰した呉書 巻13 §2

演直接の記録なし — 孫策に敗れた廬江太守として推定第15回 §9

近い項目 8件 — 根拠を見る
  • 統率正45推定演42推定 −3

    正直接の記録なし — 廬江太守の役割から推定呉書 巻1 §26

    演直接の記録なし — 孫策に敗れた廬江太守として推定第15回 §9

  • 武力正33推定演33推定 ±0

    正直接の記録なし — 廬江太守の役割から推定呉書 巻1 §26

    演直接の記録なし — 孫策に敗れた廬江太守として推定第15回 §9

  • 知力正45推定演40推定 −5

    正直接の記録なし — 廬江太守の役割から推定呉書 巻1 §26

    演直接の記録なし — 孫策に敗れた廬江太守として推定第15回 §9

  • 政治正52演48推定 −4

    正漢末に廬江太守として郡を治めた呉書 巻12 §18呉書 巻1 §26

    演直接の記録なし — 孫策に敗れた廬江太守として推定第15回 §9

  • 魅力正38演40推定 +2

    正訪ねてきた孫策に会わず、恨みを買った呉書 巻1 §27

    演直接の記録なし — 孫策に敗れた廬江太守として推定第15回 §9

  • 文芸・学術正45推定演40推定 −5

    正直接の記録なし — 廬江太守の役割から推定呉書 巻1 §26

    演直接の記録なし — 孫策に敗れた廬江太守として推定第15回 §9

  • 弁舌・外交正38推定演35推定 −3

    正直接の記録なし — 廬江太守の役割から推定呉書 巻1 §26

    演直接の記録なし — 孫策に敗れた廬江太守として推定第15回 §9

  • 識人・用人正30演35推定 +5

    正孫策に会わず、主簿に応対させた呉書 巻1 §27

    演直接の記録なし — 孫策に敗れた廬江太守として推定第15回 §9

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(1回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

所属の変遷

  1. 後漢 · 正史 · 正史 巻57 「後拜廬江太守」

家族

子陸績 正史

Wikidataの歴史・演義人物項目に基づく。推定バッジのない関係は正史原文でも確認済み。