凌操

正史演義 Ling Cao능조

プロフィール
職業正武将 · 破賊校尉 演武将 · 従征校尉所属
登場正演収録
出生演? 推定出身地呉郡 余杭県 推定
死去演203年 推定死去地正演夏口
死因正戦死 演戦死 推定
実在実在言及正4回

人物紹介

凌操は呉の武将凌統の父である。正史には独立した伝がなく、呉書巻10「程黄韓蔣周陳董甘淩徐潘丁伝」の凌統の記録の冒頭に短く見える。任侠で胆力があり、孫策が初めて起ったときから征伐に従い、永平県長を代行したのち破賊校尉に移った。 正史 呉書 巻10 §70

孫権が軍を統べるようになると江夏討伐に従い、夏口に入って一番乗りして敵の先鋒を破ったが、軽舟で単独で進むうちに流れ矢に当たって死んだ。陳寿の本文は彼が死んだ年を記していない。 正史 呉書 巻10 §70

陳寿は巻10の評でこの巻の武将たちをまとめて江表の虎臣と呼んだだけで、凌操を個別に挙げてはいない。演義では第15回に、余杭へ逃げた厳白虎を村人を率いて撃ち、敗走させた土地の者として初めて登場し、全120回のうち3回に登場するが、回目に名が入った回はない。第38回で夏口に攻め込み、甘寧の矢に当たって死ぬ。 正史 呉書 巻10 §109演義 第15回 §54演義 第38回 §30

正史の記録

凌統は字を公績といい、呉郡余杭県の人である。陳寿は、その父凌操は任侠で胆力があったと記している。孫策が初めて起ったとき、凌操は征伐のたびに従い、常に軍中で先頭に立って刃をおかした。永平県長を代行して山越を平定して治めると、悪賢い者たちは手を引き、破賊校尉に移った。 正史 呉書 巻10 §70

孫権が軍を統べるようになると、凌操は江夏討伐に従った。夏口に入って一番乗りして敵の先鋒を破ったが、軽舟で単独で進むうちに流れ矢に当たって死んだ。陳寿の本文は、この戦いがいつの年のことか、矢を射たのが誰かを記していない。 正史 呉書 巻10 §70

そのとき息子の凌統は15歳であった。孫権は凌操が国事に殉じたことから、凌統を別部司馬とし、破賊都尉を代行させて父の兵を率いさせた。のちに山賊を撃ったとき、攻撃の期日を前にともに酒を飲んでいた督の陳勤が一座をあなどったうえ、凌統をののしり、その父凌操までののしったが、凌統は涙を流すだけで言い返さなかった。陳勤が道でも再び辱めると、凌統は刀を抜いて斬りつけ、陳勤は数日後に死んだ。 正史 呉書 巻10 §71–72

陳寿は巻10の評でこの巻の武将たちをまとめて「江表の虎臣であり、孫氏が厚く遇した者たち」と呼んだが、凌操を個別に挙げてはいない。 正史 呉書 巻10 §109

演義の描写

演義第15回で孫策が呉城を包囲すると、厳白虎は城を捨てて余杭へ逃げ、道中で略奪を働くが、土地の者凌操が村人を率いて攻めて敗れると、会稽へ逃げる。凌操父子二人が孫策を出迎えに来ると、孫策は二人を従征校尉とし、ともに兵を率いて江を渡る。 演義 第15回 §54–55

第38回、建安8年(203)11月に孫権が黄祖を攻めて大江の中で戦い、黄祖の軍は敗れる。孫権の部将凌操は軽舟に乗って先頭に立ち夏口に攻め込むが、黄祖の部将甘寧の矢一本に当たって死ぬ。そのときわずか15歳であった息子の凌統が力を尽くして父の遺体を奪い返し、孫権は形勢が不利と見て兵を収め、東呉に帰る。同じ回で呂蒙は孫権に、甘寧は降ろうとしながらも、黄祖を救い凌操を殺したことを江東が恨んでいるのではないかと恐れていたと申し上げる。 演義 第38回 §30 · 42 · 44

第39回、黄祖を破ったあとの宴で凌統が大声で泣き、剣を抜いて甘寧に襲いかかる。甘寧が江夏にいたとき、彼の父凌操を射殺したからである。孫権はあのときはそれぞれ自分の主君のためであったと止め、その日のうちに甘寧に夏口を守らせて凌統を避けさせる。 演義 第39回 §6–7

演義と異なる点

孫策に従った経緯:演義第15回で凌操は、余杭へ逃げながら略奪を働く厳白虎を村人を率いて撃ち敗走させ、息子とともに孫策を出迎えに来る。陳寿の本文の凌統伝は、孫策が初めて起ったときから征伐のたびに従ったとだけ記し、厳白虎と戦ったことは記していない。 演義 第15回 §54–55正史 呉書 巻10 §70

官職:演義第15回で孫策は凌操父子を従征校尉とする。正史で凌操は永平県長を代行したのち破賊校尉に移った。 演義 第15回 §55正史 呉書 巻10 §70

没年:演義第38回は凌操が死んだ戦いを建安8年(203)11月のこととする。陳寿の本文は、孫権が軍を統べるようになってからの江夏討伐とだけ述べ、年を明らかにしていない。 演義 第38回 §30正史 呉書 巻10 §70

射た者:演義第38回で凌操は黄祖の部将甘寧の矢一本に当たって死ぬ。陳寿の本文の凌統伝は流れ矢に当たって死んだとだけ記し、甘寧伝の本文にも凌操を射たことは見えない。 演義 第38回 §30正史 呉書 巻10 §70 · 53–68

遺体:演義第38回では15歳の凌統が力を尽くして父の遺体を奪い返す。正史には遺体を取り戻した話はなく、凌統は15歳で別部司馬となって父の兵を率いた。 演義 第38回 §30正史 呉書 巻10 §70–71

甘寧への仇:演義第39回で凌統は宴の席で父を射殺した甘寧に剣を抜いて襲いかかり、孫権が甘寧を夏口へ送って二人を引き離す。陳寿の本文の凌統伝と甘寧伝にはこの出来事はない。 演義 第39回 §6–7正史 呉書 巻10 §53–68 · 70–79

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率5550−5
  • 武力7060−10
  • 知力3835−3
  • 政治5535−20
  • 魅力4548+3
  • 徳5548−7
  • 処世4045+5
  • 文芸3131±0
  • 弁舌3131±0
  • 用人3533−2
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

政治正55演35推定 −20

正永平県長を代行して山越を平定し、悪賢い者たちが手を引いた呉書 巻10 §70

演直接の記録なし — 武将としての事績から推定第15回 §55

武力正70演60 −10

正胆力があり、常に軍中で先頭に立って刃をおかし、一番乗りした呉書 巻10 §70

演軽舟で先頭に立ち、夏口に攻め込んだ第38回 §30

近い項目 8件 — 根拠を見る
  • 統率正55演50 −5

    正破賊校尉。夏口で先鋒を破った呉書 巻10 §70

    演村人を率いて厳白虎を撃ち、敗走させた第15回 §54

  • 知力正38推定演35推定 −3

    正直接の記録なし — 武将としての事績から推定呉書 巻10 §70

    演直接の記録なし — 武将としての事績から推定第15回 §55

  • 魅力正45推定演48 +3

    正直接の記録なし — 武将としての事績から推定呉書 巻10 §70

    演土地の人々を糾合して率い、戦った第15回 §54

  • 徳正55演48推定 −7

    正孫策の初期から征伐のたびに従い、国事に殉じた呉書 巻10 §70呉書 巻10 §71

    演直接の記録なし — 武将としての事績から推定第15回 §55

  • 処世正40推定演45 +5

    正直接の記録なし — 武将としての事績から推定呉書 巻10 §70

    演父子で孫策を出迎えに来て帰順した第15回 §55

  • 文芸・学術正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 武将としての事績から推定呉書 巻10 §70

    演直接の記録なし — 武将としての事績から推定第15回 §55

  • 弁舌・外交正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 武将としての事績から推定呉書 巻10 §70

    演直接の記録なし — 武将としての事績から推定第15回 §55

  • 識人・用人正35推定演33推定 −2

    正直接の記録なし — 武将としての事績から推定呉書 巻10 §70

    演直接の記録なし — 武将としての事績から推定第15回 §55

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(3回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

家族

子凌統 演義・正史

Wikidataの歴史・演義人物項目に基づく。推定バッジのない関係は正史原文でも確認済み。

関連事件(1)

ウィキペディア情報ボックス・原文キーワードの自動照合(推定)を含みます。