董重
人物紹介
董重は演義第2回に登場する董太后側の国舅である。中平6年(189)、霊帝が死に何進の妹が産んだ太子弁が皇帝となると、張譲の進言に従って董太后が下した詔によって驃騎将軍に封じられた。両太后が争ったのち、何進が禁軍を出してその屋敷を囲み印綬を差し出すよう迫ると、奥の間で自ら首をはねて死んだ。 演義 第2回 §36–37 · 41 · 45 · 48–49
演義全120回のうち第2回の1回にのみ登場し、回目に名が見える回はない。名が出るのは、張譲が彼を推して驃騎将軍に封じられるくだりと彼が死ぬくだりを合わせて3節である。陳寿の本文・裴松之の注には見えない。 演義 第2回 §45 · 48–49
演義の描写
演義第2回で、中平6年(189)夏4月、霊帝の病が重くなる。何進の妹の何皇后は皇子弁を産み、霊帝が寵愛した王美人の産んだ皇子協は、何皇后が王美人を毒殺したのち霊帝の母董太后の宮中で育てられた。董太后はかねて協を太子に立てるよう勧めており、霊帝も協を立てたいと思っていた。 演義 第2回 §36–38
霊帝が死ぬと、何進は袁紹に御林軍5千を与え、大臣30余人を率いて入り、霊帝の柩の前で太子弁を皇帝に立て、協を立てようとした中常侍蹇碩は殺された。何太后が何進に録尚書事を任せると、董太后は張譲らを呼び、何進の妹を最初に引き立ててやったのは自分なのに、今その子が皇帝となって威勢と権力が重くなりすぎた、どうすればよいかと問うた。 演義 第2回 §40–42 · 44–45
張譲は、董太后が朝廷に臨んで簾を垂れて政を聴き、皇子協を王に封じ、国舅董重に高い官を与えて兵権を握らせ、自分たちを重用すれば大事を図ることができると奏上した。大いに喜んだ董太后は翌日の朝廷で詔を下し、協を陳留王に、董重を驃騎将軍に封じ、張譲らをともに朝政に参与させた。 演義 第2回 §45
何太后が宴を設けて、女人は朝廷の政治に関わるべきではないと勧めると、董太后は大いに怒り、驃騎将軍に命じて何進の首を斬らせることなど手のひらを返すようにたやすいと言った。何太后からこのことを聞いた何進は三公と相談し、翌日、廷臣たちに、董太后はもともと藩王の妃であるから河間に移るべきだと奏上させた。そして一方で人を送って董太后を送り出し、一方で禁軍を出して驃騎将軍董重の屋敷を囲み、印綬を差し出すよう迫った。 演義 第2回 §46–48
事が急を告げたと知った董重は奥の間で自ら首をはねて死に、家人が哭礼をすると兵士たちはようやく引き揚げた。董太后の一派が崩れたのを見た張譲と段珪は、何進の弟何苗とその母舞陽君に金銀財宝を贈って何太后の前で自分たちをかばわせ、6月、何進はひそかに人をやって河間の駅亭で董太后を毒殺した。 演義 第2回 §49–50
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率38
- 武力35
- 知力32
- 政治35
- 魅力35
- 徳38
- 処世22
- 文芸35
- 弁舌33
- 用人30
項目別の根拠
演直接の記録なし — 国舅・驃騎将軍の地位から推定第2回 §45
演直接の記録なし — 国舅・驃騎将軍の地位から推定第2回 §45
演直接の記録なし — 国舅・驃騎将軍の地位から推定第2回 §45
演直接の記録なし — 国舅・驃騎将軍の地位から推定第2回 §45
演直接の記録なし — 国舅・驃騎将軍の地位から推定第2回 §45
演直接の記録なし — 国舅・驃騎将軍の地位から推定第2回 §45
演直接の記録なし — 国舅・驃騎将軍の地位から推定第2回 §45
演直接の記録なし — 国舅・驃騎将軍の地位から推定第2回 §45
演直接の記録なし — 国舅・驃騎将軍の地位から推定第2回 §45
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。
演義の登場回(1回)
登場登場なし 登場回の一覧 →