薛蘭

正史演義 Xue Lan설란薛兰

プロフィール
職業正武将 · 別駕 演武将所属
登場正演収録
出生正? 推定出身地
死去正195年 推定死去地正鉅野県
死因正戦死 演戦死 推定
実在実在言及正4回

人物紹介

薛蘭は後漢末に呂布のもとで別駕を務めた人物である。正史には独立した伝がなく、魏書巻1武帝紀、巻10荀彧荀攸賈詡伝の荀彧の記録、巻18二李臧文呂許典二龐閻伝の李典の記録に、いつも治中の李封とともに名が見える。 正史 魏書 巻18 §2正史 魏書 巻1 §33正史 魏書 巻10 §10

呂布の乱の際、李封とともに乗氏に戻った李乾を招いて反乱に引き込もうとし、李乾が聞き入れないと彼を殺した。興平2年(195)夏には李封とともに鉅野に駐屯したが、曹操の攻撃を受けて敗れ、救援に来た呂布が逃走した後、首を斬られた。 正史 魏書 巻18 §2正史 魏書 巻1 §28 · 33

正史に彼への評はなく、陳寿の本文は彼の字と郷里を記していない。演義では第11回に呂布の副将として初めて登場し、全120回のうち2回(第11・12回)に登場するが、回目に名が見える回はない。第12回で兗州を守っていたところを曹操に襲撃され、鉅野へ逃げる途中、呂虔の矢を受けて落馬する。 演義 第11回 §43演義 第12回 §34–35

正史の記録

李典の叔父李乾は英雄の気概があり、賓客数千家を集めて乗氏におり、初平年間に手勢を率いて曹操に従い、寿張で黄巾を撃破した。呂布の乱が起こると、曹操は李乾を乗氏に帰して諸県を慰撫させた。このとき呂布の別駕薛蘭と治中李封は李乾を招いてともに反乱しようとしたが、李乾が聞き入れなかったので、ついに彼を殺した。 正史 魏書 巻18 §2

曹操は李乾の子李整に李乾の兵を率いさせ、諸将とともに薛蘭と李封を討たせた。薛蘭と李封が撃破されると、李整は続いて兗州の諸県の平定に従って功を立てた。 正史 魏書 巻18 §3

武帝紀によれば、興平2年(195)春、曹操は定陶を襲撃し、ちょうど来た呂布を撃破した。その年の夏、呂布の将薛蘭と李封が鉅野に駐屯すると、曹操はこれを攻撃した。呂布が薛蘭を救いに来たが、薛蘭は敗れ呂布は逃走し、曹操はついに薛蘭らの首を斬った。呂布は再び東緡から陳宮とともに一万余人を率いて来て戦ったが、伏兵を置き奇兵を放った曹操に大敗した。 正史 魏書 巻1 §28 · 33

荀彧の記録によれば、興平2年夏、曹操が乗氏に駐屯していたとき大飢饉があった。陶謙が死ぬと、曹操はこの機に徐州を取ってから戻って呂布を平定しようとしたが、荀彧は、兗州は将軍にとっての関中・河内であり先に平定しなければならないと諫めた。荀彧は、いますでに李封と薛蘭を破ったので、兵を分けて東に陳宮を討てば陳宮はあえて西を顧みないだろうから、その間に実った麦を刈り取り穀物を蓄えれば、一挙に呂布を破れると述べた。曹操はそこで取りやめ、麦を大いに刈り取った後に再び呂布と戦い、呂布が敗走して兗州は平定された。 正史 魏書 巻10 §8–10 · 12

陳寿の本文で薛蘭が登場するのはこの四つの節だけである。彼の字・郷里・年齢は記されておらず、正史に彼への評もない。 正史 魏書 巻1 §33正史 魏書 巻10 §10正史 魏書 巻18 §2–3

演義の描写

演義第11回で、曹操が徐州から軍を返してすでに滕県を過ぎたと知った呂布は、副将の薛蘭と李封を呼び、以前からお前たち二人を用いたいと思っていたと言って、兵1万を率いて兗州を固く守るよう命じる。陳宮は、薛蘭は必ず兗州を守りきれないとして、真南180里の泰山の険しい道に精兵1万を伏せておくよう進言するが、呂布は聞き入れず、薛蘭に兗州を守らせて濮陽へ発つ。 演義 第11回 §43–45

曹操の軍が泰山の険しい道に至って郭嘉が伏兵を危ぶむと、曹操は、呂布は無謀の輩であり、薛蘭に兗州を守らせて自分は濮陽へ行ったのだから、ここに伏兵があるはずがないと笑う。曹操は曹仁に一軍を率いて兗州を包囲させ、自らは濮陽へ進む。 演義 第11回 §45–46

第12回で、曹操が汝南と潁川を平定して軍を返すと、曹仁と夏侯惇は間者の報告により、兗州の薛蘭と李封の兵がみな略奪に出て城邑が空になっていると告げる。曹操がまっすぐ兗州へ駆けつけると、薛蘭と李封は不意を突かれ、やむなく兵を率いて城を出て迎え撃つ。許褚はこの二人を捕らえて初めてお目見えする礼物にしたいと進み出る。 演義 第12回 §33–34

李封が許褚と馬を交えてわずか二合で斬られると、薛蘭は急いで陣へ逃げ戻ろうとするが、吊り橋のたもとで李典に阻まれる。城に戻ることもできず兵を率いて鉅野へ逃げるが、馬を飛ばして追ってきた呂虔の矢一本で馬から射落とされ、兵はみな総崩れとなって散り散りになる。曹操は再び兗州を得る。 演義 第12回 §35

演義と異なる点

職責:演義第11回で薛蘭は呂布の副将である。正史では、李典の記録が彼を呂布の別駕とし(李封は治中)、武帝紀は李封とともに呂布の将と記す。 演義 第11回 §43正史 魏書 巻18 §2正史 魏書 巻1 §33

李乾殺害:演義第11~12回には李乾は登場しない。正史の李典の記録では、薛蘭と李封が乗氏に戻った李乾を招いてともに反乱しようとし、彼が聞き入れないと殺しており、曹操は李乾の子李整にその兵を率いて二人を討たせた。 演義 第11回 §43–45演義 第12回 §34–35正史 魏書 巻18 §2–3

兗州の守備:演義第11回で呂布は薛蘭に兵1万で兗州を守らせ、濮陽へ向かう。陳寿の本文には薛蘭が兗州を守ったという記述はなく、武帝紀は薛蘭と李封が鉅野に駐屯したと記す。 演義 第11回 §44–45正史 魏書 巻1 §33正史 魏書 巻10 §10正史 魏書 巻18 §2–3

戦いの経緯:演義第12回で薛蘭は、兵が略奪に出て城が空になった隙に曹操の襲撃を受け、城を出て迎え撃つ。呂布はこの戦いに登場しない。正史の武帝紀では、鉅野に駐屯した薛蘭を曹操が攻撃すると呂布が救援に来たが、薛蘭が敗れると逃走した。 演義 第12回 §34–35正史 魏書 巻1 §33

最期:演義第12回で薛蘭は鉅野へ逃げる途中、呂虔の矢を受けて落馬する。正史の武帝紀は曹操が薛蘭らの首を斬ったと記すだけで誰が斬ったかは明らかにしておらず、呂虔の伝にも薛蘭と戦ったという記述はない。 演義 第12回 §35正史 魏書 巻1 §33正史 魏書 巻18 §40–44

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率3830−8
  • 武力3835−3
  • 知力3530−5
  • 政治4031−9
  • 魅力3533−2
  • 徳2838+10
  • 処世3535±0
  • 文芸3331−2
  • 弁舌3531−4
  • 用人3331−2
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

徳正28演38推定 +10

正李乾を反乱に引き込もうとし、聞き入れないと殺した魏書 巻18 §2

演直接の記録なし第12回 §34

近い項目 9件 — 根拠を見る

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(2回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

所属の変遷

  1. 呂布勢力 (~195) · 正史 · 「布將薛蘭、李封屯鉅野」 · 「遂斬蘭等」(sgz-wei-01:s33)

関連事件(1)

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