王必

正史演義 Wang Bi왕필

プロフィール
職業正文官 · 丞相長史 演文官 · 長史所属
登場正演収録
出生正? 演? 推定出身地
死去正218年 演(同じ) 推定死去地
死因正殺害 演殺害 推定
実在実在言及正7回

人物紹介

王必は曹操配下の丞相長史であった。正史には独立した伝がなく、陳寿の本文では武帝紀の建安23年(218)正月の記事に一度出てくる。この時、漢の太医令吉本が少府耿紀、司直韋晃らとともに反乱を起こして許を攻め、王必の陣営を焼いたが、王必は潁川典農中郎将厳匡とともにこれを討って斬った。 正史 魏書 巻1 §159

演義では第69回にのみ登場し、全120回のうち1回の登場で、名が回目に入った回はない。演義は彼を、曹操の命で許都の御林軍を統べ、金禕・耿紀らの決起の際に矢を受け、その傷が悪化して死ぬ人物として描く。 演義 第69回 §23–24 · 34 · 43

正史の記録

建安23年(218)春正月、漢の太医令吉本が少府耿紀、司直韋晃らとともに反乱を起こして許を攻め、丞相長史王必の陣営を焼いた。王必は潁川典農中郎将厳匡とともにこれを討って斬った。 正史 魏書 巻1 §159

陳寿の本文で王必が出てくるのはこの記事だけである。武帝紀は彼の字と出身、反乱を平定した後に彼がどうなったかを記していない。 正史 魏書 巻1 §159

演義の描写

演義第69回で、管輅が翌春に許都で必ず火災があると言うと、曹操は鄴郡に留まり、夏侯惇に許都を往来して巡察させ、長史王必に御林軍の軍馬を統べさせる。主簿司馬懿が、王必は酒を好み性格が寛緩なのでこの職に堪えられないのではと言うと、曹操は、王必は自分が荊棘を切り開きあらゆる苦難を経た時にずっと付き従った者で、忠実かつ勤勉で心が鉄石のように堅いとして、そのまま任せる。王必は御林軍を率いて許都の東華門外に駐屯する。 演義 第69回 §23–24

建安23年春正月、耿紀と韋晃は曹操を討つことにし、王必と交わりのきわめて厚い金禕を引き入れる。金禕は内外呼応して王必を殺しその兵権を奪おうと言い、期日に先立って王必を訪ね、元宵節に灯火をともして太平の気象を示すよう勧める。王必はその言葉をもっともだと思い、城内の住民にみな灯籠を掲げさせる。 演義 第69回 §25–26 · 29 · 33

正月十五日の夜、王必が御林軍の将たちと陣中で酒宴を開いていると、二更を過ぎて陣営の後ろから火が上がり、鬨の声が起こる。王必は馬に乗って南門を出たところで耿紀と出くわし、矢を一本肩に受けて西門の方へ逃げる。追われると馬を捨てて徒歩で金禕の家の門を叩くが、門の向こうから金禕の妻が「王必のやつは殺したの?」と尋ねる。王必はそこで初めて金禕も一味だと悟り、ただちに曹休の家に駆け込んで、金禕・耿紀らがともに謀反したと知らせる。 演義 第69回 §34–36

曹休が城内で敵を防ぎ、夏侯惇が大軍を率いて来て許都を包囲し、耿紀と韋晃を捕らえる。その時、王必はすでに矢傷が悪化して死んでおり、曹操は彼を手厚く葬らせたうえで、曹休に御林軍の軍馬を統べさせる。 演義 第69回 §36–37 · 43

演義と異なる点

反乱を起こした者:演義第69回では、金禕が策を立て、耿紀・韋晃とともに太医吉平の二人の子吉邈・吉穆を引き入れ、吉平は先に董承の衣帯詔事件の際に曹操に殺されたとする。正史武帝紀では、漢の太医令吉本が少府耿紀、司直韋晃らとともに反乱を起こした。武帝紀の本文には金禕の名がない。 演義 第69回 §29–30正史 魏書 巻1 §159

曹操の信任:演義第69回では、司馬懿が王必は酒を好み性格が寛緩だとして反対し、曹操が彼を苦難の時に付き従った者だとしてかばう。陳寿の本文の武帝紀にはこの問答はない。 演義 第69回 §24正史 魏書 巻1 §159

元宵節の灯火:演義第69回では、金禕の勧めで王必が城内に灯籠を掲げさせ、その夜に決起が起こる。武帝紀は反乱が建安23年(218)春正月に起こったとだけ記す。 演義 第69回 §33–34正史 魏書 巻1 §159

誰が平定したか:演義第69回で、王必は矢を受けて逃げ、曹休に謀反を知らせ、乱は曹休と夏侯惇が平定する。正史武帝紀では、王必自身が潁川典農中郎将厳匡とともに反乱者たちを討って斬った。 演義 第69回 §34–37正史 魏書 巻1 §159

死:演義第69回で、王必は矢傷が悪化して死に、曹操が手厚く葬らせる。陳寿の本文の武帝紀には、王必が負傷したことも、彼の死も記されていない。 演義 第69回 §43正史 魏書 巻1 §159

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率5030−20
  • 武力4035−5
  • 知力4025−15
  • 政治4535−10
  • 魅力4042+2
  • 徳5072+22
  • 処世4545±0
  • 文芸3533−2
  • 弁舌3535±0
  • 用人3828−10
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

徳正50推定演72 +22

正直接の記録なし — 反乱を鎮圧した記録から推定魏書 巻1 §159

演曹操が忠実かつ勤勉で心が鉄石のようだと評した第69回 §24

統率正50演30 −20

正陣営を焼かれたが、厳匡とともに吉本らの反乱を討伐魏書 巻1 §159

演十五夜に陣中で酒宴を開いていて変乱にうろたえた第69回 §34

政治正45推定演35推定 −10

正直接の記録なし — 丞相長史の官職から推定魏書 巻1 §159

演直接の記録なし — 城内に節句を告げた記録第69回 §33

識人・用人正38推定演28 −10

正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻1 §159

演謀反を企てた金禕ときわめて親しい間柄だった第69回 §26

近い項目 5件 — 根拠を見る
  • 武力正40推定演35 −5

    正直接の記録なし — 反乱討伐の記録から推定魏書 巻1 §159

    演耿紀の矢を肩に受けて逃げた第69回 §34

  • 魅力正40推定演42推定 +2

    正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻1 §159

    演直接の記録なし — 御林軍を任された記録から推定第69回 §24

  • 処世正45推定演45 ±0

    正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻1 §159

    演金禕が一味だと悟り、曹休のもとに駆け込んで知らせた第69回 §36

  • 文芸・学術正35推定演33推定 −2

    正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻1 §159

    演直接の記録なし — 事績から推定第69回 §24

  • 弁舌・外交正35推定演35推定 ±0

    正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻1 §159

    演直接の記録なし — 事績から推定第69回 §33

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(1回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

関連事件(1)

ウィキペディア情報ボックス・原文キーワードの自動照合(推定)を含みます。