正直接の記録なし魏書 巻25 §30
趙昂
人物紹介
趙昂は楊阜の同郷人である。正史には独立した伝がなく、魏書巻25の辛毗楊阜高堂隆伝の楊阜の記録に一度名が見える。馬超が冀城に入って楊昂に刺史と太守を殺させたのち、楊阜は姜叙と馬超を討つ計略を定め、同郷の姜隠・趙昂・尹奉・姚瓊・孔信らと謀を結んで馬超を討つ約束を定めた。 正史 魏書 巻25 §28 · 30
楊阜伝はその後、建安17年(212)9月に楊阜が姜叙とともに鹵城で兵を挙げ、馬超がついに南の張魯のもとへ逃れたと記すが、趙昂がしたことは特に記していない。 正史 魏書 巻25 §31–32
演義では第64回の一回にのみ統兵校尉として登場し、その回目「楊阜 兵を借りて馬超を破る」に名は入っていない。息子の趙月が馬超の裨将となっていたが、妻王氏の言葉を聞いて決心し、尹奉とともに祁山に駐屯して馬超の背後を突く。馬超は趙月を斬り、尹奉と趙昂の一族の老人と子どもをことごとく殺す。 演義 第64回 §39–42 · 45
正史の記録
馬超は渭南で戦って敗れたのち、諸戎の首領を率いて隴上の郡県を攻めた。隴上の郡県はみな呼応したが、ただ冀城だけが州と郡の長官を奉じて固く守った。しかし正月から8月まで救援の兵は来なかった。刺史と太守はついに城門を開いて馬超を迎え入れ、馬超は楊昂に刺史と太守を殺させた。 正史 魏書 巻25 §26–28
楊阜は妻の葬儀を口実に休暇を得て、歴城に駐屯する外従兄の姜叙とその母を訪ね、馬超を討たない姜叙を問い詰めた。姜叙の母は憤然として、姜叙に楊阜の計略に従うよう命じた。計略が定まると、外では同郷の姜隠・趙昂・尹奉・姚瓊・孔信や武都の人李俊・王霊とともに謀を結んで馬超を討つ約束を定め、従弟の楊謨を冀へ送って楊岳に知らせ、安定の梁寛、南安の趙衢・龐恭らとも結んだ。陳寿の本文に趙昂の名はこの一か所にしか出てこない。 正史 魏書 巻25 §29–30
盟約が固まると、楊阜は建安17年(212)9月、姜叙とともに鹵城で兵を挙げた。馬超が自ら兵を率いて出てくると、趙衢・梁寛らは楊岳を解き放ち、冀城の門を閉ざして馬超の妻子を討った。馬超は歴城を襲って姜叙の母を捕らえて殺し、楊阜と戦った末に南の張魯のもとへ逃れた。楊阜伝はこの戦いで趙昂がしたことを特に記していない。 正史 魏書 巻25 §31–32
隴右が平定されると、太祖(曹操)は馬超を討った功を封じて十一人を侯とし、楊阜に関内侯の爵位を賜った。陳寿の本文は趙昂の字と官職、その後の事績と死を記さない。 正史 魏書 巻25 §33
演義の描写
演義第64回で、冀城の刺史韋康は夏侯淵の救援が来ないため馬超に降伏するが、馬超は本心ではないとして韋康の家族40余人をことごとく斬る。再び馬超の参軍となった楊阜は、妻を葬ると言って休暇を得、歴城の姜叙を訪ねて馬超を討とうと持ちかけ、姜叙はそこで統兵校尉の尹奉・趙昂と相談する。 演義 第64回 §33–34 · 36 · 39
趙昂の子趙月はこのとき馬超に従って裨将となっていた。趙昂はその日承諾して帰り、妻王氏に、姜叙・楊阜・尹奉と韋康の仇を討つことにしたが、兵を挙げれば馬超は必ずまず息子を殺すだろう、どうしたらよいかと尋ねる。王氏は「君父の大恥をすすぐためなら、身を失っても惜しくはありません。まして息子一人など」と言い、息子を顧みて行わないのなら自分が先に死ぬと言う。趙昂はそこで決心する。 演義 第64回 §39–40
翌日ともに兵を挙げ、姜叙と楊阜は歴城に、尹奉と趙昂は祁山に駐屯し、王氏は髪飾りや財貨・絹をすべて持って祁山の軍中へ行き、兵士たちに褒美を与える。馬超は姜叙と楊阜が尹奉・趙昂と力を合わせて事を起こしたと聞くと大いに怒り、ただちに趙月を斬り、龐徳と馬岱に歴城へ攻め寄せさせる。 演義 第64回 §40–41
姜叙と楊阜が敗れて逃げ、馬超が追うと、背後から尹奉と趙昂が攻め寄せて挟み撃ちにし、さらに夏侯淵の大軍まで押し寄せたため、馬超は大敗して逃げる。冀城にも入れなかった馬超は、姜叙・楊阜と、続いて尹奉・趙昂とそれぞれひと戦したのち、歴城に入って民を皆殺しにする。尹奉と趙昂の一族の老人や子どももみな馬超に殺されるが、趙昂の妻王氏は軍中にいたため難を免れる。 演義 第64回 §41–45
演義と異なる点
官職:演義第64回で趙昂は統兵校尉として登場する。陳寿の本文は趙昂の官職を記さず、楊阜の同郷人とだけ述べている。 演義 第64回 §39正史 魏書 巻25 §30
謀に加わった経緯:演義第64回では、楊阜の話を聞いた姜叙が統兵校尉の尹奉・趙昂と相談する。正史の楊阜伝では、楊阜と姜叙の計略が定まったのち、同郷の姜隠・趙昂・尹奉・姚瓊・孔信と武都の人李俊・王霊がともに謀を結んだ。 演義 第64回 §39正史 魏書 巻25 §30
妻と息子:演義第64回では、馬超の裨将である息子趙月のためにためらっていた趙昂が妻王氏の言葉で決心し、馬超が趙月を斬る。陳寿の本文には趙昂の妻と息子は登場しない。 演義 第64回 §39–41正史 魏書 巻25 §29–33
祁山駐屯と挟み撃ち:演義第64回で趙昂は尹奉と祁山に駐屯し、姜叙を追う馬超の背後を突く。正史の楊阜伝では楊阜が姜叙とともに鹵城で兵を挙げており、趙昂がどこにいてどう戦ったかは記されていない。 演義 第64回 §40 · 42正史 魏書 巻25 §31
趙昂の一族:演義第64回では、馬超が歴城で尹奉と趙昂の一族の老人と子どもをことごとく殺す。陳寿の本文で馬超が歴城で殺したのは姜叙の母であり、趙昂の一族が災いを受けたという話はない。 演義 第64回 §45正史 魏書 巻25 §31
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
- 統率4255+13
- 武力4042+2
- 知力4040±0
- 政治3533−2
- 魅力4042+2
- 徳5865+7
- 処世4545±0
- 文芸3131±0
- 弁舌3533−2
- 用人3335+2
演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上
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正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。