王氏
| 職業 | 正演その他 | 所属 | |
|---|---|---|---|
| 登場 | 正演 | 収録 | |
| 出生 | 出身地 | 太原郡 | |
| 実在 | 実在 | 言及 | 正1回 |
人物紹介
王氏は趙昂の妻である。演義第64回で、姜叙・楊阜・尹奉とともに馬超を討つことにした趙昂が、馬超に従っている息子の趙月がまず殺されることを案じると、君父の大恥を雪ぐためなら身を失っても惜しくはないのに、まして息子一人ではないかと言って彼に決意させる。 演義 第64回 §39–40
挙兵後には髪飾りと財物、絹織物をすべて持って祁山の軍中へ行き、兵士たちをねぎらい、馬超が趙昂の家の老人と幼子をみな殺したときには軍中にいたため難を免れる。 演義 第64回 §40 · 45
演義120回のうち第64回の1回にだけ登場し、名が回目に入った回はない。陳寿の本文には登場せず、裴松之の注にのみ記録がある。陳寿の本文の楊阜伝は、楊阜が郷里の姜隠・趙昂・尹奉らと馬超を討つ約束を結び、建安17年(212)9月に姜叙とともに鹵城で兵を挙げたと記す。 演義 第64回 §39正史 魏書 巻25 §30–31
演義の描写
演義第64回で、馬超は羌族と手を結んで隴西の州郡を奪ったのち、降伏した冀城の刺史韋康の家族40余人をみな斬る。楊阜は妻を葬ると言って休暇を得て歴城の姜叙を訪ね、姜叙の母が挙兵を促すと、姜叙は統兵校尉尹奉・趙昂と相談する。趙昂の息子趙月はそのとき馬超に従って裨将となっていた。 演義 第64回 §33–34 · 36 · 38–39
その日承諾して帰った趙昂は、妻の王氏に、姜叙・楊阜・尹奉と韋康の仇を討つことにしたが、兵を挙げれば馬超は必ず息子の趙月から殺すだろう、どうしたらよいかと尋ねる。王氏は声を励まして、君父の大恥を雪ぐためなら身を失っても惜しくはないのに、まして息子一人ではないかと言い、息子を顧みて行わないのなら自分が先に死ぬと言う。趙昂はそこで決意する。 演義 第64回 §39–40
翌日ともに兵を挙げ、姜叙と楊阜は歴城に、尹奉と趙昂は祁山に駐屯する。王氏は自分の髪飾りと財物、絹織物をすべて持ち、みずから祁山の軍中へ行って兵士たちに褒美を与えてねぎらい、軍勢を励ます。挙兵の知らせを聞いた馬超は大いに怒り、ただちに趙月を斬る。 演義 第64回 §40–41
戦いに敗れた馬超は冀城からも締め出され、歴城に入って城内の民を皆殺しにし、姜叙の母を殺し、尹奉と趙昂の家の老人と幼子もみな殺す。趙昂の妻王氏は軍中にいたため難を免れる。王氏はこののち演義に登場しない。 演義 第64回 §42–45
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率36
- 武力31
- 知力45
- 政治38
- 魅力58
- 徳85
- 処世60
- 文芸31
- 弁舌58
- 用人35
項目別の根拠
演直接の記録なし — 祁山の軍中で兵をねぎらった記録から推定第64回 §40
演直接の記録なし — 役割から推定第64回 §40
演直接の記録なし — 夫の挙兵を後押しした記録から推定第64回 §40
演直接の記録なし — 財物で軍を助けた記録から推定第64回 §40
演みずから祁山の軍中へ赴き、財物で褒美を与えて軍勢を励ました第64回 §40
演君父の恥を雪ぐためには息子一人も惜しまないと言った第64回 §40
演直接の記録なし — 役割から推定第64回 §39
演先に死ぬと言って趙昂に決意させた第64回 §40
演直接の記録なし — 役割から推定第64回 §39
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。