兀突骨
人物紹介
兀突骨は演義第90回に登場する南蛮の烏戈国の国主である。帯来洞主は彼について、身の丈一丈二尺で五穀を食べず、生きた蛇や猛獣を食事とし、身体に鱗があって刀も矢も通らない人物であると言い、その配下の兵はみな籐の鎧を着ていると語った。 演義 第90回 §31–32
孟獲の頼みを受けて藤甲軍3万を起こした彼は、魏延を次々に退けて陣を七つ奪ったが、16日目に魏延を追って盤蛇谷に入り、藤甲軍3万とともに焼け死んだ。 演義 第90回 §33 · 47–49 · 51
演義全120回のうち第90回の1回にのみ登場し、回目に名が入った回はない。回目の「藤甲を焼いて七たび孟獲を擒にす」が、彼の軍が焼かれた戦いである。陳寿の本文にも裴松之の注にも登場しない。陳寿の本文の諸葛亮伝は、建興3年(225)春に南征に出て、その秋にことごとく平定したと記すだけである。 演義 第90回 §51 · 54–55正史 蜀書 巻5 §24
演義の描写
演義第90回で、洞府を蜀軍に奪われた孟獲が身を寄せる所を問うと、帯来洞主は東南に700里離れた烏戈国とその国主兀突骨を挙げた。孟獲が土の穴に住む兀突骨を訪ねて再拝し、先の出来事を訴えると、兀突骨は洞の兵を起こして仇を討ってやると言い、兵を率いる頭目土安と奚泥を呼んだ。みな藤甲を着た3万の兵は烏戈国を発ち、烏戈国の者だけは飲めば気力が倍増するという桃花水の桃花渡口に陣を構えた。 演義 第90回 §31–34
翌日、烏戈国主が率いる藤甲軍が河を渡ってくると、蜀軍の弩の矢は藤甲を貫けず、刀や槍も通らず、魏延の軍はことごとく敗れて逃げた。後を追った魏延が見ると、蛮兵のうち疲れた者は鎧を脱いで水面に浮かべ、その上に座って河を渡っていた。 演義 第90回 §36–37
孟獲が、諸葛亮は結局伏兵を使うだろうから樹木の茂った所にはむやみに進まないようにと言うと、兀突骨は中国の者が詭計を多く用いることはすでに知っていると言い、自分が前で戦うので孟獲は後ろから指図してほしいと言った。諸葛亮の命を受けた魏延は戦うたびに白旗を目指して逃げ、15回負けて陣を七つ捨て、兀突骨は自ら軍の先頭に立って追ったが、樹木の茂った所に旗が見えれば進まなかった。 演義 第90回 §42–47
孟獲が、諸葛亮はもはや計略が尽きたと言うと、兀突骨は大いに喜び、蜀軍を意に介さなくなった。16日目、彼は象に乗り、日月の模様の狼鬚帽をかぶり、金と珠の瓔珞をまとって先頭に立って魏延を罵り、逃げる魏延を追って草木のない盤蛇谷に入った。谷の口が丸太と石、乾いた薪で塞がれ、地中の導火線に火がつくと、兀突骨と藤甲軍3万は互いに抱き合ったまま盤蛇谷の中で焼け死んだ。 演義 第90回 §47–51
山の上からこれを見下ろした諸葛亮は、社稷に功はあっても必ず寿命を縮めるであろうと言って涙を流した。陣に戻った彼は、藤甲は刀や矢を通さなくても油に浸した物なので火に遭えば必ず燃えるとして火攻めを用いた理由を明かし、烏戈国の人々を根絶やしにしたのは自分の大罪であると語った。 演義 第90回 §51–52 · 57–59
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率55
- 武力72
- 知力28
- 政治31
- 魅力55
- 徳55
- 処世25
- 文芸31
- 弁舌35
- 用人31
項目別の根拠
演直接の記録なし — 烏戈国主としての役割から推定第90回 §33
演孟獲の訴えにすぐさま洞の兵3万を起こした第90回 §33
演孟獲のために仇を討つと言って兵を出した第90回 §33
演直接の記録なし — 烏戈国主としての役割から推定第90回 §33
演直接の記録なし — 烏戈国主としての役割から推定第90回 §33
演直接の記録なし — 烏戈国主としての役割から推定第90回 §33
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。