司馬防

正史演義 後漢 字 建公 Sima FangJiangong사마방건공司马防

プロフィール
職業正文官 · 治書御史 演文官 · 京兆尹所属後漢
登場正演収録
出生正149年 推定出身地河内郡 温県 推定
死去正219年 推定死去地
実在実在言及正8回

人物紹介

司馬防は司馬朗の父である。陳寿の本文に彼の名は一度しか出てこない。董卓が天子を長安に移したとき、治書御史であった彼は西へ移らねばならなかったが、四方が雲のように乱れているのを見て、司馬朗に家族を率いて郷里の県へ帰らせた。 正史 魏書 巻15 §17

演義では第39回、曹操が司馬懿を文学掾とする場面で、司馬懿を「京兆尹司馬防の子」と紹介するところに初めて登場し、全120回のうち2回に登場する。回目に名が入った回はない。第119回では、司馬炎が建てた七廟の系譜に、司馬雋の子であり宣帝司馬懿の父として挙げられる。 演義 第39回 §21演義 第119回 §47

正史の記録

司馬防の事績は、息子司馬朗の伝(魏書巻15劉司馬梁張温賈伝)に記されている。董卓が天子を長安に移して都とし、自らはそのまま洛陽に留まったとき、司馬朗の父司馬防は治書御史であったので西へ移らねばならなかった。司馬防は四方が雲のように乱れているのを見て、司馬朗に家族を率いて郷里の県へ帰らせた。 正史 魏書 巻15 §17

ところが司馬朗が逃亡しようとしていると告発した者がいて、司馬朗は捕らえられて董卓のもとに引き出された。司馬朗は董卓の前で言い終えたのち、董卓が必ず滅びることを知り、引き留められるのを恐れて、財物を散じて董卓のもとで権勢を握る者たちに賄賂を贈り、郷里に帰ることを願い出た。 正史 魏書 巻15 §17 · 19

陳寿の本文で司馬防の名が出てくるのはこの一か所だけであり、彼の字・本籍・他の官職・死は記されていない。 正史 魏書 巻15 §15–27

演義の描写

演義第39回で、曹操は三公の職を廃して自ら丞相としてこれを兼ね、毛玠を東曹掾、崔琰を西曹掾、司馬懿を文学掾とする。演義はこのとき司馬懿を「字は仲達、河内温県の人で、潁川太守司馬雋の孫、京兆尹司馬防の子、主簿司馬朗の弟」と紹介する。 演義 第39回 §21

第119回で、晋の皇帝司馬炎は司馬懿を宣帝、司馬師を景帝、司馬昭を文帝に追尊し、七廟を建てる。演義はその七廟を、漢の征西将軍司馬鈞から豫章太守司馬量、潁川太守司馬雋、京兆尹司馬防へと続き、司馬防が宣帝司馬懿を生み、司馬懿が景帝司馬師と文帝司馬昭を生んだと記す。司馬防自身が登場する場面はない。 演義 第119回 §47

演義と異なる点

官職:演義第39回と第119回は彼を「京兆尹司馬防」と呼ぶ。陳寿の本文は、董卓が長安に遷都したとき彼が治書御史であったと記すだけで、京兆尹は出てこない。 演義 第39回 §21演義 第119回 §47正史 魏書 巻15 §17

家系:演義第39回と第119回は司馬防を司馬雋の子で司馬懿の父と記す。陳寿の本文で司馬防は「司馬朗の父」として出てくるだけで、司馬雋・司馬懿との関係は記されていない。 演義 第39回 §21演義 第119回 §47正史 魏書 巻15 §17

董卓の時の事:演義には、董卓の長安遷都のとき司馬防が司馬朗に家族を率いて郷里に帰らせた事は出てこない。正史では、この事のために司馬朗が逃亡しようとしていると告発され、董卓のもとに引き出された。 演義 第39回 §21演義 第119回 §47正史 魏書 巻15 §17

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率3131±0
  • 武力3131±0
  • 知力4540−5
  • 政治4545±0
  • 魅力4040±0
  • 徳4545±0
  • 処世5842−16
  • 文芸4042+2
  • 弁舌3538+3
  • 用人4040±0
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

処世正58演42推定 −16

正董卓の遷都の際、四方が乱れるのを見て、司馬朗に家族を連れて郷里へ帰らせた魏書 巻15 §17

演直接の記録なし — 京兆尹であり司馬懿の父であることから推定第39回 §21第119回 §47

近い項目 9件 — 根拠を見る
  • 統率正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 治書御史の経歴から推定魏書 巻15 §17

    演直接の記録なし — 京兆尹であり司馬懿の父であることから推定第39回 §21第119回 §47

  • 武力正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 治書御史の経歴から推定魏書 巻15 §17

    演直接の記録なし — 京兆尹であり司馬懿の父であることから推定第39回 §21第119回 §47

  • 知力正45推定演40推定 −5

    正直接の記録なし — 治書御史の経歴から推定魏書 巻15 §17

    演直接の記録なし — 京兆尹であり司馬懿の父であることから推定第39回 §21第119回 §47

  • 政治正45推定演45推定 ±0

    正直接の記録なし — 治書御史の経歴から推定魏書 巻15 §17

    演直接の記録なし — 京兆尹であり司馬懿の父であることから推定第39回 §21第119回 §47

  • 魅力正40推定演40推定 ±0

    正直接の記録なし — 治書御史の経歴から推定魏書 巻15 §17

    演直接の記録なし — 京兆尹であり司馬懿の父であることから推定第39回 §21第119回 §47

  • 徳正45推定演45推定 ±0

    正直接の記録なし — 治書御史の経歴から推定魏書 巻15 §17

    演直接の記録なし — 京兆尹であり司馬懿の父であることから推定第39回 §21第119回 §47

  • 文芸・学術正40推定演42推定 +2

    正直接の記録なし — 治書御史の経歴から推定魏書 巻15 §17

    演直接の記録なし — 京兆尹であり司馬懿の父であることから推定第39回 §21第119回 §47

  • 弁舌・外交正35推定演38推定 +3

    正直接の記録なし — 治書御史の経歴から推定魏書 巻15 §17

    演直接の記録なし — 京兆尹であり司馬懿の父であることから推定第39回 §21第119回 §47

  • 識人・用人正40推定演40推定 ±0

    正直接の記録なし — 治書御史の経歴から推定魏書 巻15 §17

    演直接の記録なし — 京兆尹であり司馬懿の父であることから推定第39回 §21第119回 §47

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(2回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

所属の変遷

  1. 後漢 · 正史 · 正史 巻15 「歷官洛陽令、京兆尹」

家族

子司馬孚 正史, 司馬朗 演義・正史, 司馬懿 演義

Wikidataの歴史・演義人物項目に基づく。推定バッジのない関係は正史原文でも確認済み。