呂公

正史演義 Lü Gong여공吕公

プロフィール
職業正演武将所属
登場正演収録
死因演戦死 推定
実在実在言及正1回

人物紹介

呂公は演義第7回に登場する劉表の勇将である。孫堅が襄陽を包囲すると、袁紹に救援を求めるため包囲を突破して出ると名乗り出て、蒯良の計略どおり峴山に伏兵を置いて孫堅を死なせたのち、程普の矛に突かれて馬から落ちる。 演義 第7回 §40 · 43–44

演義全120回のうち第7回の1回にのみ登場し、名が回目に入った回はない。陳寿の本文には登場せず、裴松之の注にのみ記録がある。陳寿の本文の呉書巻1孫破虜討逆伝は、初平3年(192)、孫堅が襄陽を包囲し、単騎で峴山を通りかかったところを黄祖の兵に射殺されたと記す。 演義 第7回 §40正史 呉書 巻1 §21

演義の描写

演義第7回で、孫堅は劉表討伐に出て黄祖を破り、蔡瑁まで退けたのち、襄陽を四方から包囲する。蒯良が、夜に天文を見ると将星が一つ落ちようとしており、孫堅に応じるものだとして袁紹に助けを求めるよう言うと、劉表は書簡を書き、誰か包囲を突破して出る者はいるかと問う。勇将の呂公が応じて行くと名乗り出る。 演義 第7回 §33 · 37–40

蒯良は呂公に兵馬5百を与え、弓の上手な者を多く連れて峴山へ急行し、百人は山の上で石を用意し、百人は弓と弩を持って林の中に伏せさせよと言う。追手が来たらまっすぐ逃げず、ぐるぐると回り道をして伏兵の所へ誘い込み、矢と石を一斉に浴びせ、勝ったら連珠号砲を放って城内から出て呼応させよというのである。 演義 第7回 §40–41

呂公は黄昏時にひそかに東門を開けて城を出て、峴山の山林に伏兵を置く。鬨の声を聞いて三十余騎だけを率いて追ってきた孫堅が一人先に駆けて来ると、呂公は馬首を返して一合戦い、すぐに山道へ逃げ込んで隠れる。孫堅が山を登ろうとした瞬間、銅鑼の音とともに石と矢が降り注ぎ、孫堅は脳漿がほとばしり、人馬ともに峴山の中で死ぬ。演義は孫堅の年齢を三十七歳とする。 演義 第7回 §42–43

呂公は孫堅に従っていた三十騎を皆殺しにして連珠号砲を打ち上げ、城内から黄祖・蒯越・蔡瑁が兵を分けて討って出る。しかし孫策を守って道を探していた程普と出くわした呂公は、数合も戦わないうちに程普の矛に突かれて馬から落ちる。演義で呂公が登場するのは第7回のこの場面だけである。 演義 第7回 §44

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
演義
  • 統率55
  • 武力42
  • 知力40
  • 政治31
  • 魅力38
  • 徳50
  • 処世40
  • 文芸31
  • 弁舌31
  • 用人33
各項目100点

項目別の根拠

  • 統率演55

    演峴山に伏兵を置き、孫堅と三十騎を皆殺しにした第7回 §42第7回 §43第7回 §44

  • 武力演42

    演孫堅と一合で逃げ、程普の矛に数合で討たれた第7回 §43第7回 §44

  • 知力演40

    演蒯良が立てた計略を受けてそのとおり実行した第7回 §40第7回 §42

  • 政治演31推定

    演直接の記録なし — 劉表の将としての役割から推定第7回 §40

  • 魅力演38推定

    演直接の記録なし — 劉表の将としての役割から推定第7回 §40

  • 徳演50

    演自ら包囲を突破して出ると名乗り出た第7回 §40

  • 処世演40推定

    演直接の記録なし — 劉表の将としての役割から推定第7回 §40

  • 文芸・学術演31推定

    演直接の記録なし — 劉表の将としての役割から推定第7回 §40

  • 弁舌・外交演31推定

    演直接の記録なし — 劉表の将としての役割から推定第7回 §40

  • 識人・用人演33推定

    演直接の記録なし — 劉表の将としての役割から推定第7回 §40

演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(1回)

登場登場なし 登場回の一覧 →