令狐邵

正史 魏 字 孔叔 Linghu ShaoKongshu영호소공숙

プロフィール
職業正文官 · 弘農太守所属魏
登場正収録
出生出身地太原郡
死因正病死 推定
実在実在言及正3回

人物紹介

令狐邵は太原の人で、魏の弘農太守を務めた。正史には独立した伝がなく、魏書巻16任蘇杜鄭倉伝の末尾、評のすぐ前に名が一度見える。陳寿は、太祖(曹操)のときから咸熙年間に至るまでの魏郡太守呉瓘、清河太守任燠、京兆太守顔斐、弘農太守令狐邵、済南相孔乂を挙げ、彼らがみな良き二千石となったと記した。 正史 魏書 巻16 §96

陳寿の本文は彼の字と生没、そのほかの事績を記しておらず、巻16の評にも彼は登場しない。演義には登場しない。 正史 魏書 巻16 §96 · 98

正史の記録

魏書巻16は、倉慈が在官のまま死ぬと官吏と民が親族を失ったように悲しんだという記録の後に、太祖(曹操)のときから咸熙年間に至るまでの、魏郡太守である陳国の呉瓘、清河太守である楽安の任燠、京兆太守である済北の顔斐、弘農太守である太原の令狐邵、済南相である魯国の孔乂を挙げる。陳寿は、彼らがあるいは民を哀れんで獄を裁き、あるいは誠を尽くして恵みと愛を施し、あるいは身を清廉潔白に保ち、あるいは奸悪を暴いて隠れた罪を明るみに出し、みな良き二千石であったと記した。5人のうち誰がどれにあたるかは分けて記していない。 正史 魏書 巻16 §95–96

陳寿の本文で令狐邵が現れるのはこの一行だけである。彼が弘農太守となった時期とそのほかの官職、字、死は陳寿の本文に記されていない。巻16の評は、任峻・蘇則・杜畿・鄭渾・倉慈を魏代の名太守とし、杜恕を論じただけで、令狐邵は挙げていない。 正史 魏書 巻16 §96 · 98

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

演義に登場しない人物のため、正史(陳寿『三国志』本文)の点数のみです。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史
  • 統率31
  • 武力31
  • 知力42
  • 政治70
  • 魅力45
  • 徳50
  • 処世42
  • 文芸40
  • 弁舌40
  • 用人42
各項目100点

項目別の根拠

  • 統率正31推定

    正直接の記録なし — 弘農太守という役割から推定魏書 巻16 §96

  • 武力正31推定

    正直接の記録なし — 弘農太守という役割から推定魏書 巻16 §96

  • 知力正42推定

    正直接の記録なし — 弘農太守という役割から推定魏書 巻16 §96

  • 政治正70

    正弘農太守として良き二千石の一人に数えられた魏書 巻16 §96

  • 魅力正45推定

    正直接の記録なし — 弘農太守という役割から推定魏書 巻16 §96

  • 徳正50推定

    正直接の記録なし — 弘農太守という役割から推定魏書 巻16 §96

  • 処世正42推定

    正直接の記録なし — 弘農太守という役割から推定魏書 巻16 §96

  • 文芸・学術正40推定

    正直接の記録なし — 弘農太守という役割から推定魏書 巻16 §96

  • 弁舌・外交正40推定

    正直接の記録なし — 弘農太守という役割から推定魏書 巻16 §96

  • 識人・用人正42推定

    正直接の記録なし — 弘農太守という役割から推定魏書 巻16 §96

正史 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

所属の変遷

  1. 魏 · 正史 · 正史 巻16 「至黃初初,徵拜羽林郎」

家族

親族令狐愚 正史

Wikidataの歴史・演義人物項目に基づく。推定バッジのない関係は正史原文でも確認済み。