李権 李權
人物紹介
李権は後漢末の益州の豪族である。陳寿の本文には独立した伝がなく、蜀書巻1劉二牧伝の、劉焉が他の事にかこつけて州内の豪族王咸・李権ら十余人を殺し、威刑を立てたという一節に名が見える。陳寿の本文は彼の字と出身、官職を記していない。 正史 蜀書 巻1 §8
蜀書巻8許麋孫簡伊秦伝の秦宓の記事にも、李権が秦宓に『戦国策』を借りようとしたところ、秦宓が戦国時代の術策は経書の憎むところだと答えた話が載っているが、陳寿の本文はこの李権が劉焉に殺された李権と同一人物かどうかを明らかにしていない。演義には登場しない。 正史 蜀書 巻8 §44–45正史 蜀書 巻1 §8
正史の記録
劉焉は張魯を督義司馬として漢中にとどまらせたが、張魯は谷の桟道を断ち、漢の使者を殺した。劉焉は上書して、米賊が道を断ったので二度と通じることができないと言った。また他の事にかこつけて州内の豪族王咸・李権ら十余人を殺し、威刑を立てた。犍為太守任岐と賈龍はこのためにかえって劉焉を攻め、劉焉は彼らを撃って任岐と賈龍を殺した。 正史 蜀書 巻1 §7–8
秦宓の記事には、李権が秦宓に『戦国策』を借りようとしたことが載っている。秦宓が戦国時代の合従連衡を何に使うのかと問うと、李権は、仲尼と厳平は多くの書を集めて『春秋』と『指帰』の文を成したのであり、海は多くの流れを合わせて大きくなり、君子は博く知ることで広くなるのだと答えた。 正史 蜀書 巻8 §44
秦宓は、書が史記や周の典籍でなければ仲尼は採らず、道が虚無自然でなければ厳平は敷衍せず、君子は博く知っても礼にかなわないものは見ないと答えた。そして『戦国策』は張儀と蘇秦の術を繰り返し、人を殺して自らを生かし、人を滅ぼして自らを保つもので、経書の憎むところだとし、戦国時代の詐術や権謀が何の役に立とうかと述べた。 正史 蜀書 巻8 §44–46
陳寿の本文は李権がその後どうしたかを記しておらず、秦宓の記事の李権が劉焉に殺された李権と同一人物かどうかも明らかにしていない。彼に対する評もない。 正史 蜀書 巻8 §44正史 蜀書 巻1 §8
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
演義に登場しない人物のため、正史(陳寿『三国志』本文)の点数のみです。
- 統率35
- 武力33
- 知力40
- 政治35
- 魅力45
- 徳40
- 処世35
- 文芸52
- 弁舌42
- 用人35
項目別の根拠
正直接の記録なし — 益州の豪族という身分から推定蜀書 巻1 §8
正直接の記録なし — 益州の豪族という身分から推定蜀書 巻1 §8
正直接の記録なし — 秦宓との問答から推定蜀書 巻8 §44
正直接の記録なし — 益州の豪族という身分から推定蜀書 巻1 §8
正直接の記録なし — 劉焉が威を立てるために殺した豪族として推定蜀書 巻1 §8
正直接の記録なし — 秦宓との問答から推定蜀書 巻8 §44
正直接の記録なし — 劉焉に殺されたことから推定蜀書 巻1 §8
正博く知るべきだとして秦宓に『戦国策』を借りようとした蜀書 巻8 §44
正直接の記録なし — 益州の豪族という身分から推定蜀書 巻1 §8
正史 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。
所属の変遷
- 後漢 · 正史 · 正史 巻31 「為臨邛長」