姜冏
人物紹介
姜冏は姜維の父である。正史に独立した伝はなく、蜀書巻14蒋琬費禕姜維伝の姜維の記事に名が一度出る。かつて郡の功曹であった時、羌・戎が反乱を起こすと身をもって郡将を守り、戦場で死んだ。このため子の姜維は中郎の官を賜り、本郡の軍事に参与することになった。陳寿の本文は彼の字と没年を記していない。 正史 蜀書 巻14 §29
陳寿は巻14の評で姜維を論じただけで、姜冏は扱わなかった。演義では第92回で姜維を紹介する箇所に、「かつて天水郡の功曹を務めたが、羌人の乱のために王事に殉じた」父として名が出るだけである。全120回のうちこの1回にのみ登場し、名が回目に入った回はない。 正史 蜀書 巻14 §52演義 第92回 §47
正史の記録
姜維は字を伯約といい、天水冀県の人である。幼くして父を亡くし、母とともに暮らし、鄭氏(鄭玄)の学問を好んだ。郡に仕えて上計掾となり、州に召されて従事となった。 正史 蜀書 巻14 §29
陳寿は続いて姜維の父姜冏について記す。姜冏はかつて郡の功曹であった時、羌・戎が反乱を起こすと身をもって郡将を守り、戦場で死んだ。このため姜維は中郎の官を賜り、本郡の軍事に参与することになった。陳寿の本文は、姜冏がいつどこで戦死したのかを記していない。 正史 蜀書 巻14 §29
建興6年(228)、丞相諸葛亮の軍が祁山に向かった時、姜維は巡察に出た天水太守に随行していたが、太守が姜維らを疑って夜に上邽へ逃げ、冀県さえも受け入れなかったため、諸葛亮のもとへ赴いた。諸葛亮が彼を迎え入れて連れ帰ったことで、姜維は母と離ればなれになった。陳寿の本文で姜冏の名が出るのは姜維の記事の冒頭のこの一か所だけであり、陳寿は巻14の評で姜維を論じただけで、姜冏は扱わなかった。 正史 蜀書 巻14 §29–31 · 52
演義の描写
演義第92回で、諸葛亮は勢いに乗って天水郡を取ろうと魏延の軍勢を差し向ける。天水郡太守の馬遵は、夏侯楙が南安城の中に閉じ込められたと聞いて文武の官を集めて協議し、功曹の梁緒・主簿の尹賞・主記の梁虔らは、本郡の兵をすべて起こして救うよう言う。夏侯楙が遣わしたという裴緒が公文書を渡して夜を徹して救援せよと言い、翌日、安定の兵はすでに出発したので急いで合流せよという伝令が来ると、馬遵は兵を起こそうとする。 演義 第92回 §44–46
そのとき一人の男が外から入って来て、太守は諸葛亮の計略にはまったと言う。演義は彼を、天水冀県の人で、姓は姜、名は維、字は伯約といい、父の名は冏で、かつて天水郡の功曹を務めたが、羌人の乱のために王事に殉じたと紹介する。続いて、姜維は幼い頃から多くの書を広く読んで兵法と武芸に通じ、母にこの上なく孝行を尽くし、のちに中郎将となって本郡の軍事に参与したという。演義で姜冏の名が出るのはこの一節だけである。 演義 第92回 §47
演義と異なる点
反乱を起こした者たち:演義第92回は、姜冏が「羌人の乱」のために命を落としたとする。正史は、羌と戎が反乱を起こしたと記す。 演義 第92回 §47正史 蜀書 巻14 §29
死の経緯:正史では、姜冏は身をもって郡将を守り、戦場で死んだ。演義第92回は王事に殉じたとするだけで、郡将を守ったことは記さない。 正史 蜀書 巻14 §29演義 第92回 §47
子が受けた官:正史では、姜冏がそのように死んだため、姜維は中郎の官を賜り、本郡の軍事に参与することになった。演義第92回は、姜維がのちに中郎将となって本郡の軍事に参与したとし、それが父の死によるものだったとは言わない。 正史 蜀書 巻14 §29演義 第92回 §47
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
- 統率4240−2
- 武力5042−8
- 知力4040±0
- 政治4545±0
- 魅力4240−2
- 徳7872−6
- 処世4040±0
- 文芸4040±0
- 弁舌3838±0
- 用人3838±0
演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上
10点以上の差がある項目はありません — 演義も正史とほぼ同じように描いています。
近い項目 10件 — 根拠を見る
正直接の記録なし — 郡の功曹の経歴から推定蜀書 巻14 §29
演直接の記録なし — 郡の功曹の経歴から推定第92回 §47
正羌・戎の反乱の際に戦場で死んだ蜀書 巻14 §29
演直接の記録なし — 郡の功曹の経歴から推定第92回 §47
正直接の記録なし — 郡の功曹の経歴から推定蜀書 巻14 §29
演直接の記録なし — 郡の功曹の経歴から推定第92回 §47
正郡の功曹を務めた蜀書 巻14 §29
演天水郡の功曹を務めた第92回 §47
正直接の記録なし — 郡の功曹の経歴から推定蜀書 巻14 §29
演直接の記録なし — 郡の功曹の経歴から推定第92回 §47
正身をもって郡将を守って戦死蜀書 巻14 §29
演羌人の乱の際に王事に殉じた第92回 §47
正直接の記録なし — 郡の功曹の経歴から推定蜀書 巻14 §29
演直接の記録なし — 郡の功曹の経歴から推定第92回 §47
正直接の記録なし — 郡の功曹の経歴から推定蜀書 巻14 §29
演直接の記録なし — 郡の功曹の経歴から推定第92回 §47
正直接の記録なし — 郡の功曹の経歴から推定蜀書 巻14 §29
演直接の記録なし — 郡の功曹の経歴から推定第92回 §47
正直接の記録なし — 郡の功曹の経歴から推定蜀書 巻14 §29
演直接の記録なし — 郡の功曹の経歴から推定第92回 §47
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。