淳于導
| 職業 | 演武将 | 所属 | |
|---|---|---|---|
| 登場 | 演 | 収録 | |
| 出生 | 演? 推定 | 出身地 | |
| 死去 | 演208年 推定 | 死去地 | |
| 死因 | 演戦死 推定 | ||
| 実在 | 架空 | 言及 |
人物紹介
淳于導は演義第41回に登場する曹仁の部将である。曹操の軍が当陽で玄徳を追った日、麋竺を捕らえて馬上に縛りつけ、手に大刀を持って千余の兵を率い、まさに護送して功を献じようとしていたところで、甘夫人を見つけ出した趙雲と出くわす。 演義 第41回 §35–36 · 47
趙雲が大喝一声して槍をしごいて突きかかると、淳于導は防ぎきれず、趙雲の槍に一突きされて馬から落ちる。趙雲は麋竺を救い、馬2頭を奪う。 演義 第41回 §47–48
演義全120回のうち第41回の1回にのみ登場し、回目に名が見える回はない。陳寿の本文と裴松之の注には淳于導は登場しない。陳寿の本文の趙雲伝は、先主が当陽の長阪で曹公に追われ、妻子を捨てて南へ逃げたとき、趙雲が幼い子(後主)を自ら抱き、甘夫人を守って、ともに難を免れたと記すだけで、麋竺が捕らえられたことは記さない。 演義 第41回 §47正史 蜀書 巻6 §39
演義の描写
演義第41回で、荊州を得た曹操は各部隊から精鋭の鉄騎5千を選び、一日一夜のうちに劉備に追いつかせる。玄徳は10余万の百姓と3千余の軍馬を率いて江陵へ進み、趙雲に家族を守らせ、張飛に殿を務めさせる。当陽県の景山に陣を張ったその夜の四更ごろ、西北から曹操の軍が押し寄せると、玄徳は張飛の助けで血路を開いて東へ逃れ、夜が明けてみると麋竺・麋芳・簡雍・趙雲らはみな行方がわからなくなっている。 演義 第41回 §31–32 · 35–37
四更ごろから夜明けまで戦ううちに玄徳とその家族を見失った趙雲は、主君が託した甘夫人・糜夫人と幼主阿斗を探して乱軍の中をさまよう。草むらに倒れていた簡雍に出会うと馬を貸して先に行かせ、矢に当たって倒れていた兵から甘夫人が百姓の女たちに従って南へ行ったと聞き、後を追って甘夫人を見つけ出す。甘夫人は、糜夫人とともに追われるうちにはぐれ、糜夫人と阿斗がどこへ行ったかわからないと言う。 演義 第41回 §41–46
そのとき百姓たちが叫び声を上げ、また一隊の兵が飛び出してくる。前の馬上には麋竺が縛られており、その後ろでは一人の将が手に大刀を持って千余の兵を率いている。曹仁の部将淳于導が麋竺を捕らえ、まさに護送して功を献じようとしていたのである。趙雲が大喝一声し、槍をしごいて馬を走らせまっすぐ突きかかると、淳于導は防ぎきれず、趙雲の槍に一突きされて馬から落ちる。趙雲は進み出て麋竺を救い、馬2頭を奪う。 演義 第41回 §47–48
趙雲は甘夫人を馬に乗せ、大道を切り開いてまっすぐ長坂坡まで送り届ける。橋の上からなぜ兄者を裏切ったのかと叫ぶ張飛に、主母と幼主が見つからず遅れただけだと答えた趙雲は、麋竺に甘夫人を守って先に行かせたうえで、糜夫人と幼主を探しに数騎を率いて来た道を再び引き返す。 演義 第41回 §48–49
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率45
- 武力38
- 知力36
- 政治31
- 魅力36
- 徳42
- 処世40
- 文芸31
- 弁舌35
- 用人33
項目別の根拠
演千余の兵を率い、麋竺を捕らえて護送した第41回 §47
演趙雲の槍に一突きされて落馬した第41回 §48
演直接の記録なし — 曹仁の部将としての役割から推定第41回 §47
演直接の記録なし — 曹仁の部将としての役割から推定第41回 §47
演直接の記録なし — 曹仁の部将としての役割から推定第41回 §47
演直接の記録なし — 曹仁の部将としての役割から推定第41回 §47
演直接の記録なし — 曹仁の部将としての役割から推定第41回 §47
演直接の記録なし — 曹仁の部将としての役割から推定第41回 §47
演直接の記録なし — 曹仁の部将としての役割から推定第41回 §47
演直接の記録なし — 曹仁の部将としての役割から推定第41回 §47
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。
演義の登場回(1回)
登場登場なし 登場回の一覧 →