王累
人物紹介
王累は広漢の人で、益州を治めた劉璋の従事であった。劉璋が別駕の張松の言に従って法正を遣わし先主(劉備)を招こうとすると、主簿の黄権はその利害を述べ、王累は自ら州の城門に逆さ吊りになって諫めたが、劉璋は一つも聞き入れなかった。 正史 蜀書 巻1 §15–16
陳寿の本文には独立した伝がなく、蜀書巻1劉二牧伝のこの一節にのみ登場する。字やその後の事績、死については記されておらず、巻1の評も劉焉と劉璋を論じるのみで、彼を取り上げていない。 正史 蜀書 巻1 §16 · 21–22
演義では第60回の1回にのみ登場し、名は回目に入っていない。演義は、劉璋が法正を使者として送る際に帳前で一度諫め、劉璋が劉備を迎えに涪城へ出発する日に城門の上に逆さ吊りになって諫言の書を奉り、そののち自ら縄を切って落ちて死ぬ姿を描く。 演義 第60回 §43–44 · 58–60
正史の記録
別駕の張松は曹公に会って戻ると、劉璋に曹公と縁を絶つよう勧め、劉豫州は使君の近い血縁であるから交わるべきだと説いた。劉璋は法正を遣わして先主(劉備)と好みを結び、のちに張松が再び、州内の諸将が功を恃んで二心を抱いているので、豫州を得なければ必ず敗れると説くと、またこれに従って法正を遣わし先主を招いた。 正史 蜀書 巻1 §15–16
このとき劉璋の主簿黄権はその利害を述べ、従事である広漢の人王累は自ら州の城門に逆さ吊りになって諫めた。劉璋は一つも聞き入れず、通過する所ごとに先主を奉って接待するよう命じた。 正史 蜀書 巻1 §16
先主はわが家に帰るように領内に入り、建安16年(211)に涪県に至った。劉璋は歩騎3万余りを率いて会いに行き、百日余りにわたって楽しく酒を酌み交わした。翌年、先主は葭萌から兵を返して南へ向かい、19年(214)に成都を数十日包囲すると、劉璋は城門を開いて出て降伏した。 正史 蜀書 巻1 §16–18
陳寿の本文で王累が登場するのはこの一節だけで、字やその後の事績、死は記されていない。巻1の評は、劉璋は才が英雄に及ばないのに乱世に土地を占めたのだから、土地を奪われたのは不幸ではないと述べるのみで、王累を取り上げていない。 正史 蜀書 巻1 §16 · 22
演義の描写
演義第60回で、張松は劉璋に荊州の劉皇叔と好みを結んで外からの援軍とするよう勧め、劉璋は法正を使者とし、孟達に精兵5千を率いて玄徳を迎え入れさせる。主簿の黄権が反対して聞き入れられないと、また一人が「なりませぬ!なりませぬ!」と止める。帳前の従事官王累である。 演義 第60回 §38–43
王累は叩頭して、張松の言を聞くのは自ら禍を招くことだと言い、張魯が境界を侵すのは疥癬のような軽い病だが、劉備が西川に入るのは胸や腹にできた大病だと言う。劉備は世の梟雄で、先に曹操に仕えたときは彼を害そうと謀り、のちに孫権に従ったときは荊州を奪ったのだから、彼を呼び入れれば西川はおしまいだというのである。劉璋は二度とでたらめを言うなと叱りつけ、二人を助け起こして外へ出させる。 演義 第60回 §43–44
劉備が西川に入ると、劉璋は自ら涪城へ出て迎えようとし、黄権は衣の裾をくわえて諫めて前歯を2本折り、李恢も諫めて引き出される。翌日、劉璋が楡橋門を出ると、王累は自ら縄で城門の上に逆さ吊りになり、片手に諫言の書を、片手に剣を持ち、諫めに従わなければ縄を切って落ちて死ぬと叫ぶ。諫言の書は、楚の懐王が屈原の言を聞かずに武関で会盟して秦に苦しめられたことを挙げ、涪城で劉備を迎えれば行く道はあっても帰る道はないのではないかと恐れるとして、張松を市で斬り、劉備との約束を絶つよう求める。 演義 第60回 §54–59
劉璋が、仁者と会うのは芝蘭に親しむようなものなのに、なぜたびたび自分を侮辱するのかと激怒すると、王累は大きく一声叫び、自ら縄を切って地に落ちて死ぬ。演義は、黄権は歯を折ったが結局は劉備に降ったのだから、節を守ったことがどうして王累の剛直さに及ぼうかという後世の人の詩を載せる。涪城で劉備と会ったのち、劉璋は官僚たちに、黄権や王累のような輩は宗兄の心を知らずにむやみに疑ったのだから笑止千万だと言う。 演義 第60回 §59–61 · 64–65
演義と異なる点
諫言の回数:演義第60回で、王累は劉璋が法正を使者として送るときに帳前で一度、劉璋が涪城へ出発する日に城門に吊り下がってもう一度諫める。正史は、劉璋が法正を遣わして先主を招いたときに王累が城門に逆さ吊りになって諫めたと一度だけ記す。 演義 第60回 §43–44 · 58正史 蜀書 巻1 §16
吊り下がった時:演義では、王累は劉璋が劉備を迎えに楡橋門を出る日に城門の上に吊り下がる。正史では劉璋が法正を遣わして先主を招いたときのこととして記され、そのあとで劉璋は涪県に行って先主と会う。 演義 第60回 §58正史 蜀書 巻1 §16
諫言の内容:演義第60回は王累の言葉と諫言の書を載せる。張魯は軽い病で劉備は大病だと言い、楚の懐王の故事を挙げて張松を斬るよう求める。正史は王累が諫めたとだけ記し、その言葉は載せない。 演義 第60回 §43 · 58–59正史 蜀書 巻1 §16
死:演義第60回で、王累は諫言が聞き入れられないと、自ら縄を切って地に落ちて死ぬ。陳寿の本文は、彼が城門に逆さ吊りになって諫めたとだけ記し、死んだとは書いていない。 演義 第60回 §60正史 蜀書 巻1 §16
出身:正史は彼を「従事である広漢の人」と記す。演義は「帳前の従事官」「益州従事」と言うだけで、出身を明らかにしない。 正史 蜀書 巻1 §16演義 第60回 §43 · 58
劉璋の嘲笑:演義第60回で、劉璋は涪城で劉備と会ったのち、黄権や王累のような輩がむやみに疑ったのは笑止千万だと言う。正史にこの言葉はなく、劉璋が先主と百日余り楽しく酒を酌み交わしたとだけ記す。 演義 第60回 §65正史 蜀書 巻1 §16
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能力値
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
- 統率3131±0
- 武力3131±0
- 知力5060+10
- 政治4545±0
- 魅力4042+2
- 徳7888+10
- 処世3535±0
- 文芸4042+2
- 弁舌4050+10
- 用人3838±0
演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上
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正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。