左咸
| 職業 | 演文官 · 主簿 | 所属 | |
|---|---|---|---|
| 登場 | 演 | 収録 | |
| 実在 | 架空 | 言及 |
人物紹介
左咸は演義第77回に登場する孫権の主簿である。麦城を抜け出そうとした関羽が潘璋の部将馬忠に捕らえられて引き立てられてくると、孫権は彼を礼をもって遇し帰順を勧めたいと言って官僚たちに諮る。左咸は、かつて曹操が恩愛と礼遇を尽くしても結局引き留めることができず、かえって彼に追い詰められたとして、ただちに除かなければ後日の禍根を残すことになると反対する。孫権はその言葉をもっともだとし、関羽父子は殺される。 演義 第77回 §9 · 11–13
演義120回のうち第77回の1回にのみ登場し、名が回目に入った回はない。左咸という名は陳寿の本文にも裴松之の注にも見えない。陳寿の本文の関羽伝は、孫権が将を遣わして関羽を迎え撃たせ、関羽と子の関平を臨沮で斬ったと記すだけである。 演義 第77回 §12正史 蜀書 巻6 §12
演義の描写
演義第77回で、孫権は呂蒙の策に従い、朱然と潘璋を麦城の北と臨沮の人里離れた山中の間道に伏せさせる。残る兵が300人余りしかない関羽は、北門の外に敵軍が多くないのを見て、関平・趙累とともに200人余りを率いて北門を突破するが、朱然と潘璋の伏兵に追われ、決石で鉤と縄に馬を引っかけられて倒れ、潘璋の部将馬忠に捕らえられる。関平も力尽きて捕らえられる。 演義 第77回 §1–4 · 6–9
夜が明けると、孫権は諸将を帳の中に集め、馬忠が引き立ててきた関羽に、今こそ屈服するかと問う。関羽は孫権を青い目の小僧、紫ひげの鼠輩と罵り、奸計にはまった以上、死があるのみだと言う。孫権が、関羽は世の豪傑で深く愛惜しているので、礼をもって遇し帰順を勧めたいと言って官僚たちを顧みると、主簿の左咸がいけないと進み出る。 演義 第77回 §10–12
左咸は、かつて曹操がこの人を得たとき、侯に封じて爵位を与え、3日に1度小宴を、5日に1度大宴を開き、馬に乗るときには金を一包み、下りるときには銀を一包み与えたと言う。それほど恩愛と礼遇を尽くしても結局引き留めることができず、関を破り将を斬って去るに任せたため、今日かえって彼に追い詰められ、危うく都を移してその鋒先を避けようとするほどだったというのである。すでに捕らえたのだから、ただちに除かなければ後日の禍根を残すことになるのを恐れると言う。 演義 第77回 §12–13
孫権はしばらくじっと考えたのち、その言葉はもっともだとして引き出すよう命じ、関羽父子はともに殺される。演義はそのときを建安24年冬12月(西暦220年初め)、関羽の享年を58歳と記す。演義で左咸の名が出てくるのは、この場面1か所だけである。 演義 第77回 §13 · 12
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率31
- 武力31
- 知力62
- 政治40
- 魅力35
- 徳40
- 処世45
- 文芸45
- 弁舌60
- 用人55
項目別の根拠
演直接の記録なし — 孫権の主簿という役どころから推定第77回 §12
演直接の記録なし — 孫権の主簿という役どころから推定第77回 §12
演直接の記録なし — 孫権の主簿という役どころから推定第77回 §12
演直接の記録なし — 孫権の主簿という役どころから推定第77回 §12
演直接の記録なし — 孫権の主簿という役どころから推定第77回 §12
演直接の記録なし — 孫権の主簿という役どころから推定第77回 §12
演直接の記録なし — 孫権の主簿という役どころから推定第77回 §12
演関羽が恩義では引き留められない人物だと見極めた第77回 §12
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。
演義の登場回(1回)
登場登場なし 登場回の一覧 →