賈範
人物紹介
賈範は演義第106回に登場する遼東の公孫淵の副将である。公孫淵が自ら燕王と称して年号を紹漢元年と改めると、賈範は、中原は上公の爵位で遇しているのに背いて謀反するのは道理に背くことであり、司馬懿は西蜀の諸葛武侯でさえ勝てなかった将であると諫める。大いに怒った公孫淵は彼を縛らせ、彼の言葉が正しいと加勢した参軍倫直とともに市で斬らせる。 演義 第106回 §3–5
公孫淵が滅んだのち、司馬懿は賈範と倫直が謀反してはならないと切に諫めて殺されたと聞き、彼らの墓に盛り土をし、子孫を栄えさせる。演義全120回のうち第106回の1回にだけ登場し、名が回目に入った回はない。陳寿の本文にも裴松之の注にも登場しない。 演義 第106回 §3 · 26–27
演義の描写
演義第106回は公孫淵を、遼東の公孫度の孫で公孫康の子と紹介する。公孫淵は太和2年(228)に叔父公孫恭の地位を奪い、曹叡は彼を揚烈将軍・遼東太守に封じた。のちに孫権が人を遣わして彼を燕王に封じると、公孫淵は中原を恐れて孫権の二人の使者の首を斬って曹叡に送り、曹叡は彼を大司馬・楽浪公に封じた。 演義 第106回 §1–2
それでも満足しない公孫淵が人々と協議して自ら燕王と称し、年号を紹漢元年と改めると、副将賈範が諫める。中原は主公を上公の爵位で遇しており、低く卑しいものではないのに、いま背いて謀反すれば実に道理に背くことになり、そのうえ司馬懿は兵を用いるのに巧みで、西蜀の諸葛武侯でさえ勝てなかったのに、まして主公ではなおさらであるというのである。公孫淵は大いに怒り、左右を叱りつけて賈範を縛らせ、斬ろうとする。 演義 第106回 §3
すると参軍倫直が賈範の言葉は正しいとし、国が滅びようとするときには必ず妖しい兆しがあるという聖人の言葉を引いて、国内の怪異な出来事三つを申し上げる。頭巾をかぶり赤い衣をまとった犬が屋根に上って人のように歩き回り、城の南の村人の飯を蒸す甑の中で幼子が一人蒸し殺されており、襄平の北の市では地面が陥没して、頭と顔はすべて備わっているが手足のない肉塊が湧き出たというのである。公孫淵は激怒し、武士を叱りつけて倫直を縛らせ、賈範とともに市で斬ったのち、大将軍卑衍を元帥、楊祚を先鋒として遼東の兵15万を起こし、中原へ攻め込む。 演義 第106回 §4–5
司馬懿が軍を率いて来て襄平を包囲すると、公孫淵父子は夜に南門を開いて逃げるが、四方から包囲されて馬を下りて降伏し、司馬懿の命で首を斬られる。襄平に入った司馬懿は、公孫淵の一族と謀議に加わった官僚をすべて殺す。ある者が、賈範と倫直は公孫淵に謀反してはならないと切に諫めて、二人とも公孫淵に殺されたと告げると、司馬懿は彼らの墓に盛り土をしてその子孫を栄えさせ、倉庫の財物を三軍に褒美として与えて洛陽へ帰る。 演義 第106回 §20 · 24–27
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率40
- 武力40
- 知力58
- 政治38
- 魅力40
- 徳70
- 処世40
- 文芸38
- 弁舌50
- 用人33
項目別の根拠
演直接の記録なし — 公孫淵の副将としての役割から推定第106回 §3
演直接の記録なし — 公孫淵の副将としての役割から推定第106回 §3
演司馬懿の用兵を挙げて中原に背く不利を指摘第106回 §3
演直接の記録なし — 公孫淵の副将としての役割から推定第106回 §3
演直接の記録なし — 公孫淵の副将としての役割から推定第106回 §3
演直接の記録なし — 公孫淵の副将としての役割から推定第106回 §3
演直接の記録なし — 公孫淵の副将としての役割から推定第106回 §3
演爵位による待遇と道理を挙げて公孫淵を説いたが失敗第106回 §3
演直接の記録なし — 公孫淵の副将としての役割から推定第106回 §3
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。