韓珩

正史演義 字 子佩 Han HengZipei한형자패韩珩

プロフィール
職業正演文官 · 別駕所属
登場正演収録
出生出身地代郡
実在実在言及正4回

人物紹介

韓珩は袁氏のもとで別駕を務めた人物である。正史には独立した伝がなく、魏書巻6董二袁劉伝の袁紹の記録の末尾に見える。 正史 魏書 巻6 §68

建安10年(205)、袁熙の将焦触と張南が背いて袁熙と袁尚を攻め、焦触が諸郡の官吏を駆り集めて袁氏に背く誓いを立てさせたとき、彼はただ一人、袁公父子の恩を挙げて曹氏には仕えられないと言った。焦触はその志を遂げさせ、のちに太祖がその節義を高く評価してたびたび招いたが、彼は応じず、家で生涯を終えた。 正史 魏書 巻1 §88正史 魏書 巻6 §68–70

陳寿の本文は彼の字と郷里を記しておらず、巻6の評にも彼の名はない。演義では第33回に幽州刺史烏桓触のもとの別駕として登場し、全120回のうちこの1回にのみ登場する。回目に名が入った回はない。剣を地に投げつけ、曹操には降らないと叫ぶ。 正史 魏書 巻6 §68–70 · 96–97演義 第33回 §23–24

正史の記録

魏書巻1武帝紀によれば、建安10年(205)春正月、太祖は袁譚を破ってその首を斬り、冀州を平定した。この月、袁熙の大将焦触・張南らが背いて袁熙と袁尚を攻めたので、袁熙と袁尚は三郡烏丸へ逃れ、焦触らはその県を挙げて降伏し、列侯に封じられた。 正史 魏書 巻1 §88

魏書巻6の袁紹の記録は、袁熙と袁尚がその将焦触と張南に攻められて遼西の烏丸へ逃れたと記す。焦触は自ら幽州刺史と称し、諸郡の太守や県令・県長を駆り立てて袁氏に背き曹氏に向かわせた。兵数万を並べ、白馬を殺して盟い、命に背く者は斬ると命じたので、人々はあえて口をきく者もなく、順に血をすすった。 正史 魏書 巻6 §68

別駕の韓珩の番になると、彼は、自分は袁公父子の厚い恩を受けたが、いま彼らが敗れ滅びても、知恵では救えず勇気では死ねなかったのだから、義においてすでに欠けている、北面して曹氏に仕えることはできないと言った。満座の者は韓珩のために顔色を失った。焦触は、大事を興すには大義を立てるべきであり、事の成否は一人にかかるものではないと言い、韓珩の志を遂げさせて、主君に仕える者たちを励ますようにせよと言った。 正史 魏書 巻6 §68–69

建安12年(207)、太祖が遼西に至って烏丸を攻めると、袁尚と袁熙は烏丸とともに迎え撃ったが敗れて遼東へ逃れ、公孫康が彼らを誘い出して斬り、その首を送った。太祖は韓珩の節義を高く評価してたびたび招いたが、韓珩は応じず、家で生涯を終えた。陳寿の本文は韓珩の字・郷里・没年を記していない。 正史 魏書 巻6 §70

巻6の評で陳寿は、袁紹と劉表は外見は寛大でも内心は猜疑深く、謀を好んでも決断できず、嫡子を廃して庶子を立てたので、後継ぎが倒れたのは不幸によるものではないと述べた。評は韓珩を別に論じてはいない。 正史 魏書 巻6 §96

演義の描写

演義第33回で曹操は袁譚を斬ったのち、郭嘉の言に従い、袁氏の降将焦触・張南らにそれぞれ本部の兵を率いさせ、三路に分かれて幽州を攻めさせる。袁尚と袁熙は曹操の軍がまもなく来ると知り、迎え撃つのは難しいと見て城を捨て、夜を日に継いで遼西へ逃れ烏桓に身を寄せる。 演義 第33回 §22–23

幽州刺史烏桓触は幽州の官吏たちを集めて血をすすって盟い、袁氏に背いて曹操につくことを議する。烏桓触はまず、曹丞相は当代の英雄であるから今から降伏しに行く、命に従わない者は斬ると言い、順に血をすすっていって別駕韓珩の番になる。 演義 第33回 §23

韓珩は剣を地に投げつけ、自分は袁公父子の厚い恩を受けたが、いま主君が敗れ滅びても、知恵では救えず勇気では殉じられなかったのだから、義においてすでに欠けている、北面して曹操に降れと言うならそれはしないと大声で叫ぶ。人々はみな顔色を失うが、烏桓触は、大事を興すには大義を立てねばならず、事の成否は一人にかかるものではないと言って、韓珩の好きにさせよと命じ、韓珩を押し出させる。 演義 第33回 §24

烏桓触は城を出て三路の軍馬を迎え入れ、まっすぐ曹操のもとへ来て降伏し、曹操は大いに喜んで彼を鎮北将軍とする。演義はその後韓珩がどうなったかを描かない。 演義 第33回 §25

演義と異なる点

誓いを立てさせた人物:演義第33回では、幽州刺史烏桓触が幽州の官吏たちを集めて誓いを立てさせる。正史では、袁熙の大将焦触が自ら幽州刺史と称し、諸郡の太守や県令・県長を駆り立てて誓わせた。 演義 第33回 §23正史 魏書 巻6 §68正史 魏書 巻1 §88

焦触と張南:演義第33回で焦触と張南はすでに曹操に降った袁氏の降将で、郭嘉の言により曹操の命を受けて幽州を攻めに来る。正史では、袁熙の大将焦触・張南らが背いて袁熙と袁尚を攻め、焦触らがその県を挙げて降伏し、列侯に封じられた。 演義 第33回 §22正史 魏書 巻1 §88正史 魏書 巻6 §68

拒む姿:演義第33回で韓珩は剣を地に投げつけて大声で叫ぶ。正史で韓珩が述べた言葉は演義とほぼ同じだが、剣を投げつけたという記述はない。 演義 第33回 §24正史 魏書 巻6 §68

誓いの場の結末:演義第33回で烏桓触は韓珩の好きにさせよと言い、彼を押し出させる。正史で焦触は、韓珩の志を遂げさせて、主君に仕える者たちを励ますようにせよと言った。 演義 第33回 §24正史 魏書 巻6 §69

その後:演義で韓珩は第33回以降登場しない。正史は、建安12年(207)に袁尚と袁熙が公孫康に斬られた記録のあとに、太祖が韓珩の節義を高く評価してたびたび招いたが応じず、韓珩は家で生涯を終えたと記す。 演義 第33回 §25正史 魏書 巻6 §70

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率3533−2
  • 武力3133+2
  • 知力4240−2
  • 政治4542−3
  • 魅力5245−7
  • 徳8888±0
  • 処世4540−5
  • 文芸4240−2
  • 弁舌4848±0
  • 用人4038−2
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

10点以上の差がある項目はありません — 演義も正史とほぼ同じように描いています。

近い項目 10件 — 根拠を見る
  • 統率正35推定演33推定 −2

    正直接の記録なし — 袁氏の別駕の官職から推定魏書 巻6 §68

    演直接の記録なし — 別駕の官職から推定第33回 §23

  • 武力正31推定演33推定 +2

    正直接の記録なし — 袁氏の別駕の官職から推定魏書 巻6 §68

    演直接の記録なし — 別駕の官職から推定第33回 §23

  • 知力正42推定演40推定 −2

    正直接の記録なし — 袁氏の別駕の官職から推定魏書 巻6 §68

    演直接の記録なし — 別駕の官職から推定第33回 §23

  • 政治正45推定演42推定 −3

    正直接の記録なし — 袁氏の別駕の官職から推定魏書 巻6 §68

    演直接の記録なし — 別駕の官職から推定第33回 §23

  • 魅力正52演45推定 −7

    正満座が顔色を失い、焦触が志を遂げさせ、太祖がたびたび招いた魏書 巻6 §69魏書 巻6 §70

    演直接の記録なし — 別駕の官職から推定第33回 §23

  • 徳正88演88 ±0

    正袁氏の恩を挙げて背反の誓いを拒み、太祖がその節義を高く評価した魏書 巻6 §68魏書 巻6 §70

    演剣を投げつけ、袁公の恩を挙げて曹操への降伏を拒んだ第33回 §23第33回 §24

  • 処世正45演40推定 −5

    正太祖がたびたび招いたが応じず、家で生涯を終えた魏書 巻6 §70

    演直接の記録なし — 別駕の官職から推定第33回 §23

  • 文芸・学術正42推定演40推定 −2

    正直接の記録なし — 袁氏の別駕の官職から推定魏書 巻6 §68

    演直接の記録なし — 別駕の官職から推定第33回 §23

  • 弁舌・外交正48演48 ±0

    正武力の威圧の中で、義を挙げて拒む意思を明らかにした魏書 巻6 §68

    演満座の前で義を挙げて大声で叫び、拒んだ第33回 §24

  • 識人・用人正40推定演38推定 −2

    正直接の記録なし — 袁氏の別駕の官職から推定魏書 巻6 §68

    演直接の記録なし — 別駕の官職から推定第33回 §23

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(1回)

登場登場なし 登場回の一覧 →